昨年11月下旬、ニューデリー北部。車や三輪タクシーが騒々しく行き交う通りの前で、人々が旗を掲げて集まっていた。全国組織の労組10団体が企画したデモだ。
労組の代表たちが次々とスピーチに立ち、賃金アップなど待遇改善を政府に訴えていく。演説に呼応して声を上げる人々の中に、民族衣装のサリーを着た女性たちの姿があった。
「約束通りに賃金を払って」組合が雇用主と交渉
「私たちはひとつだ」と拳を振り上げる女性たちは、SEWA(自営女性たちの協会)のメンバー。「家事労働者に最低賃金の保障を」などと書かれたプラカードを掲げている。
1972年設立のSEWAは、家事労働者のほか、行商や建設など非組織の現場で働く女性たちを支える。各地にある家事労働者を支援する労組で、唯一の全国組織だ。
3日間続いたデモの参加者の一人が、ニューデリー東部で家事労働者として働くプラティマ・ダスさん(31)。「SEWAは私の人生を、そして、多くの家事労働者たちの人生を変えてくれました」
ダスさんは6歳のとき、インド東部から母と一緒に働き口を探してニューデリーに来た。それ以来、家事労働者として働いている。学校に行ったことはない。
勤め先の家庭では、ひどい扱いを受けてきた。約束通りに賃金を払ってくれないことはしょっちゅう。指摘すれば、「それなら働かなくていい」と言われた。
家のトイレも使わせてもらえず、「外で探せ」と命じられた。インド人の休憩時間につきもののお茶を、雇用主の家族と同じ食器で飲むことも許されない。
ずっと、それを受け入れてきたが、8年前、SEWAに勧誘され、認識が変わった。賃金の不満を訴えると、SEWAは雇用主と交渉もしてくれたのだ。
SEWAのメンバーらによると、ダスさんのような家事労働者が誰かを特定するのが、労組の活動の第一歩だ。
スラムなどを回って人づてに探す。朝早くバスに乗るのは彼女たちが多いから、同じバスに乗って知り合いになる。こんなふうに地道に探し当てると、問題を聞き出す。
ダスさんの経験は、多くの女性たちに共通する。
決まった休みが一日もないのは当たり前。休みたいときはそのつど、雇用主に頼まないといけないが、その分、給料から差し引かれる。雇用主が不機嫌で熱いお茶を浴びせられる、家で物がなくなると盗んだ疑いをかけられる……。こんな例は枚挙にいとまがない。
性的虐待もたくさんあるとみられるが、女性たちが話したがらないので、実態はわからないという。
特にひどいケースは、SEWAのメンバーがが個別に雇用主と話をする。取り合わない場合、15~20人の集団で家に乗り込み、雇用主が応じるまで繰り返し交渉する。
「女性たちを組織化することが大切。個人の声は小さくても、団結して声を上げれば、大きな力になる」。家事労働者2万人を支えるSEWAデリー支部の幹部、スマン・バルマさん(53)は話す。
ダスさんは2年前、新しい職場の家庭で、月に4日、休みをもらえるようになった。初めてのことだった。
月給は以前より多い1万1000ルピー(約1万9000円)で毎年、500ルピー賃上げする約束だ。ニューデリーの非熟練労働者の最低賃金より6000ルピー少ないが、自ら交渉した結果だ。
「SEWAで権利というものを学んだからできた。これからも幼い息子の教育のために頑張る」。そう言って、ピースサインを見せた。
家事労働者は数千万人? 口約束を防ぐ「ジョブカード」
インドの労働者の9割を組織に属さず、建設、農業、漁業、行商などの現場で働く人たちが占める。中でも、家事労働者は最も待遇の悪い職種のひとつ。そもそも法的に労働者として認められていない。
国際労働機関(ILO)によると、インドの女性の家事労働者数は公式の統計上は300万人だが、実際には数千万人いるとみられる。昔から彼女たちを雇ってきた上流階級だけでなく、最近は中流家庭も雇いはじめた。経済成長が格差を広げるなか、貧しい女性たちの限られた選択肢のひとつが家事労働だ。彼女たちはカーストが低い場合が多い。
「彼女たちを守る法律はなく、代わりにすべてのルールを決めるのは雇用主。そんな環境で彼女たちは日々、屈辱的な扱いを受けている」
デリー国立法科大労働法研究擁護センター長のソフィー・K・ジョセフ准教授(41)は指摘する。
ジョセフさんによると、大きな課題は契約が口約束であることだ。支払いは、雇用主のさじ加減次第。働いた分の給料を払わない、といったケースはこんな環境で生まれる。
SEWAの南部ケララ州支部では、この問題への独自の対策を続けている。
「これは私のジョブカードです」。アンビカ・デビスさん(57)が、州都トリバンドラムにある事務所で、ピンク色の小さな紙を見せた。雇用主が毎日、デビスさんの出退勤の時間を記入して署名する。
「私が働いた証拠になるので、給料の支払いで問題になったことはありません。雇用主も私がSEWAの組合員と知っている。SEWAが安全な環境を確保してくれている」
ジョブカードを使えるのは、支部の家事労働者2万人の4分の1を占める、SEWAによる10日間の研修を受けた女性たち。研修では労働者の権利を学び、清掃や料理などの家事のスキルを洗練させるほか、高齢者や産後の女性、子どものケアといった内容もある。
「彼女たちに、自分は『お手伝い』ではなく、労働者だという自覚を与える」。SEWAケララ支部書記で、SEWAの全国組織のソニア・ジョージ副会長(49)は言う。
支部では、ジョブカードを持つ組合員の給料を雇用主がSEWAの銀行口座に振り込む方式も導入。そこから毎日、5ルピーずつの額を差し引いて別口座にプールし、病気などで組合員が急な出費が必要なときに使えるようにしている。
インドでは、家事労働者の権利をうたうILOの国際条約が2011年に採択されて以降、SEWA以外の労組の取り組みも盛んになっている。
近年の課題は、個別の支援に加えて、家事労働者を法的に認める国の仕組みづくりだ。労組同士が連携し、最低賃金や医療保険などの法制度を家事労働者にも整備するよう政府に求め続けている。