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給料をもらえるようになった国、もらえなくなった国 中間層はどこへ

World Now
ニルマラ(左)は「新人なのに筋がいい」とほめられていた=江渕崇撮影

給料をもらうようになったインド

帽子とマスクをつけた女性たちが、ミシンの前にズラリと並ぶ。セサミストリートのキャラクター「アビー」「エルモ」のぬいぐるみをつくっている。縫い合わせだけで45もの手順があるという工程は、ほとんどが手作業だ。

中国に本社を置くぬいぐるみメーカー「パルス・プラッシュ」が、インドに開いた第1工場を3月に訪れた。インド南東部の大都市チェンナイから高速道路で約1時間。牛の群れが通りを行く工業団地にある。責任者のシーマ・ネヘラ(42)は「ビジネスを大きくしたいなら、これからは中国よりもインドが答えです」と話す。

インドの強みは賃金の安さだ。工員の月給は平均1万1000円ほど。パルス社の中国工場で払う賃金の3分の1以下で済む。今春さらにインド北東部で新しい工場を開いた。インドの2工場で計1000人いる工員を、あと数年で5000?6000人に増やすつもりだという。

インド・デリー郊外で1995年に創業。2000年にインドより賃金が安かった中国・杭州に移った。だが、10年もたつと中国沿岸部の賃金水準は3倍近くなり、主な生産の場をインドに戻した。

スローガンは「メイド・イン・インディア」

工場はむっとした熱気でじっとしていても汗がにじむ。見習いのニルマラ(27)がぬいぐるみの裏側を縫い付けていた。10キロ離れた農村から、会社のバスで通う。夫は畑で働くが収入が足りない。賃金をもらうのは初めてだ。見習い期間が終われば、月給は最低賃金の4700ルピー(約7500円)になる。

9歳の長女と6歳の長男がいる。「もっと稼いで、よい教育を与えたい」

インドは、競争力が陰った中国の「次」の座を見すえる。政府は「メイク・イン・インディア」のスローガンを掲げて製造業を誘致しようとしている。

タイヤ大手のブリヂストンは、ムンバイ郊外のプネにインドで二つ目となる工場を13年に設けた。働いているのは、日本の高専にあたる技術学校を卒業した20代の若者たちが多い。大半が農村出身者で、1年半の見習い期間を終えると月4万円、年間50万円ほどの給料になる。

タイヤの製造ラインで働くスワプニル・ソナワーレー(22)は、家族で初めての賃金労働者だ。給料の一部は家族に仕送りしている。「もっと学んだり、家を買ったり、家族と旅行に行ったりしたい」

世界銀行は、「グローバルな中間層」を年収5000ドル(約55万円)程度からと定義する。インドは2030年には約10億人と世界でも飛び抜けた数の中間層を抱えると予想されている。

「アジアの中間層が世界を変える」

元シンガポール外務次官、キショール・マブバニ氏が語る

キショール・マブバニ氏=江渕崇撮影

21世紀、中国とインドは世界の経済大国になります。世界史の中で欧州、そして北米が栄えたのはこの200年間のことです。世界は「通常」の状態に戻るのです。欧米の人たちには受け入れがたいことのようですが。

アジアに住む中間層は、2012年にだいたい5億人でした。これが20年までには17億5000万人に増えるとの予測があります。あとたった数年のことです。この中間層の急激な増え方は人類史上、かつてなかったことです。

中間層のかなりをアジアが占めることで、消費者とはだれかという考え方も大きく変わります。みんな米国人向けに商品を作ってきたのに、短い間に中国人やインド人が主要な消費者として台頭するのです。産業のあり方が根本から見直されるでしょう。

中国やインドが先進国の仕事を奪っているというのは誤解です。私は1980年代にシンガポールの国連大使として米国に赴任していました。そのとき米国は「日本が仕事を奪っている」と言っていました。日本からの輸出攻勢への反発からです。

しかしGMの車が売れなくなり、逆にトヨタの車が売れたのはトヨタが生産性を高め、デザインを改善し、消費者のニーズをくんだからですよね? GMもそれに気づいて適応しました。

先進国の仕事がなくなることへの解決策は、国境に壁を築いたり、関税を課したりすることではありません。国民に教育を受けさせ、変化に対応できる能力を養うことです。日本は、80年代までうまくいったモデルに、とらわれすぎてはいませんか?

世界は劇的に変わっています。ヘンリー・フォードが自動車の大量生産に成功し、馬車という当時の大産業がつぶれてしまいました。自動運転車が普及すれば、タクシー運転手は新たな仕事を考えなければなりません。時計の針を止めることはできないのです。

Kishore Mahbubani シンガポール国立大学のリー・クアンユー公共政策大学院長、元シンガポール外務次官。インド系移民の両親を持ち、「アジア主義」の論客として知られる。著書に、『大収斂』『「アジア半球」が世界を動かす』。1948年生まれ。

給料をもらえなくなったスペイン

若者のほぼ2人に1人は職がないスペインで、起業に挑む人が増えている。なかには自分の能力を試したいというケースもあるが、働き口がなくて仕方なく、という人も多いという。日本と同じぐらいの賃金水準で推移してきたスペインに、若者たちを訪ねた。

バルセロナの旧市街。古い建物を改装した共有オフィスをのぞくと、80人ほどの若者たちが、パソコンに向かっていた。起業家やデザイナー、プログラマー、社会活動家。特定の企業に雇われずに生きる若者たちだ。

マルタ・ウルデッチ(26)は、自ら企画・運営する映画イベントが2週間後に迫っていた。出場者は映画の構想を短時間でプレゼンし、一緒に制作する仲間や資金の出し手を募るのだという。「自分のアイデアで新しい領域を切り開いていきます。今は雇われるつもりはありません」

欧州連合(EU)の統計によると、スペインの若者が起業する割合は7%で、2%に満たないドイツの4倍以上だ。

バルセロナにある失業対策のNPOは起業家に無利子で融資している。会長のウリオル・ルマンサス(68)は、「技能もない若い人が長続きさせるのは難しい」と話す。1人での起業への融資は、厳しく審査しても3割が焦げ付くという。

やむにやまれず起業した人にも会った。バルセロナの近郊にある商店街で小さな量り売りの香水店を営むオリティア・セリーナ(27)。かつては薬局で働いていた。ところが、いま3歳になる長女を妊娠したときに解雇された。夫(31)も細切れの仕事しかない。何十もの薬局に面接を申し込んだが職は見つからず、2年前にフランチャイズチェーンの香水販売を始めた。

得意客に造花をサービスするセリーナ=江渕崇撮影

月に5000ユーロ(約62万円)売り上げることもあるが、仕入れや家賃の支払い、社会保険料を引くと、手元には1000ユーロも残らない。収入は薬局勤務の時より少ない。バイク事故でケガをし、1カ月店を閉めたときは経費だけが出ていった。「安定した働き口があれば雇ってもらいたい」

「賃金の世界」の外に生きる

「時間銀行」という試みがスペインなどで広がっている。お金で支払われる給料とは違う価値をもとにした経済だ。

4月下旬、マドリード郊外の個人宅に女性4人が集まった。音楽に合わせて妖艶に腰を振るアラブの踊りのレッスンに1時間半、汗を流した。講師のナジャット・チェックが受け取るのはユーロではない。「時間」という単位の報酬だ。

犬の散歩、マッサージ、パソコンの修理、英会話。なんでも1時間サービスをすれば、その分を口座にためられる。人に頼むときはその時間分を口座から払う。チェックが参加しているリバス時間銀行の会員は350人。ネットを介してやりとりしている。こうした組織はスペインに300以上ある。

だれが何をしても、1時間は1時間と評価される。『雇用なしで生きる』という本を書いた時間銀行の専門家、フリオ・ヒスベール(51)は、本業が銀行員。「既存の経済では、限られた労働しか評価しない。雇用がボロボロの今だから、だれもが自己肯定感を持てる、もう一つの経済をつくる意味があります」

(江渕崇)