9歳前後の小学生たちが、駆けっこをしながら、テニスクラブに飛び込んできた。北欧ノルウェーは初夏を思わせる日差し。半袖でちょうどいい気候が、子どもたちのはじける笑顔とマッチする。
4月30日、オスロ近郊スナロヤのテニスクラブを訪ねた。昨年の全仏オープンをはじめ、4大大会で過去3度準優勝し、世界ランキングの自己最高は2位のカスパー・ルード(25)が幼少期からプレーしたクラブだ。クレーコートがインドアを含めて5面、インドアのハードコートが3面、そこに質素なクラブハウスがあるこぢんまりしたたたずまいだ。
「ねえ、写真を撮って!」
カメラを持っていると、少女たちがたどたどしい英語で話しかけてきた。
コーチのリリアン・コレルードさん(52)は「このクラスはテニスを上達したいというより、友だちがいるからここで遊びたいといった感覚の子が多い。まあ、私の給料をこの子たちの親が払ってくれているから、いいんだけど」。わざと愚痴のように話すけれど、顔は笑っている。
「この年代はテニスが好きになることが一番大切だから」
これがノルウェースタイルだ。
ノルウェー五輪委員会や各競技の統括団体が中心となり、子どものスポーツの権利を定めた規定がある。12歳までは全国大会を開くのは禁止。小学生年代ではウェブサイトなどに個人の成績を掲載することすら禁じている。
こんな現行の規定は、「子どもの権利条約」で、子どもたちが暴力から守られ、能力を伸ばして成長する権利をうたっていることを参考に、2007年にできた。子どもの競技では勝利至上主義を排し、「スポーツは楽しむもの」という哲学が徹底されている。
コレルードさんはいう。「子どもたちは競うのが好きで、頭ではスコアを数えているから、ばかばかしいルールかもしれないけれど、親の過度な介入は避けられる」。この方針への強い反対論は聞こえてこないという。
「それに、幼いときから国際大会に出て初戦で負け続けるより、まずは基礎を固めることが大切だ」
近年、スポーツ界でのノルウェー勢の躍進は目覚ましい。
ルードをはじめ、サッカークラブ、マンチェスター・シティー(イングランド)で活躍するアーリング・ハーランドは世界屈指のストライカーだし、ゴルフや陸上でも世界的なトップ選手が生まれている。
2021年東京五輪では8個のメダルのうち、4個が陸上男子の400メートル障害などの金メダルだった。冬季五輪では圧倒的だ。2022年北京大会の金16個を含む計37個のメダル数は、参加した国・地域の中で最も多かった。
「文化」として根付くノルディックをはじめ、スキーの強さが際立つ。人口555万人(2023年)と、日本の20分の1にも満たないなかでは「スポーツ強国」と呼ぶにふさわしい。
ルードの一家とは家族付き合いだというスナロヤテニスクラブのもう一人のコーチ、トーマス・ピーターソンさん(59)は「カスパーの父親は4大大会でベスト16に進み、五輪にも出た。でも、息子にテニスを押しつけたりはしなかった。あくまでカスパーが自発的な向上心で日々努力するのを、私たちは温かく見守っていた」。
サッカーのハーランドにしても、幼いころはクロスカントリースキー、ハンドボール、陸上にも親しんでいたという。
午後4時。中学生のレッスンが始まると、本気度が増した。
ピーターソンさんは「14歳ぐらいになれば、自分が進みたい方向が明確になってくる」。一度、言葉を切り、ここは強調しておくと前置きして言った。
「カスパーやハーランドのようなスーパースターが生まれたのは偶然のようなもの。大成するのは、ほんの一握りで、運も必要だけどね」
オスロから北へ、電車で1時間ほどの街、ハーマルも訪ねた。
ここには女子ハンドボールの強豪クラブ、ストーハーマルがある。ノルウェー女子は2008年北京五輪以降、4大会連続で金メダル二つを含むメダルを獲得した。
14歳以下のチームの練習を見学していたら、レジェンドがいた。
ハイディ・シュッグムさん(50)は1992年バルセロナで銀メダル、2000年シドニーは銅メダルを獲得し、名選手として鳴らした。今はノルウェー五輪委員会の地域担当で、ユース年代の育成に携わる。
世界レベルで競ってきた経験から、12歳まではランク付けせず、全国大会を開かないノルウェーの政策をどう思うのか。
「国民にスポーツを好きになってもらうという点では機能している。人口は約550万で子どもたちの数も限られているから」。出生率は1.40(2023年)で少子化も進む。そんななか、12歳同士の試合には得点掲示板もなく、全員が平等に出場機会が与えられる配慮を好意的にとらえた。
理学療法士の資格も持つシュッグムさんのような元一流選手が、引退後に地元クラブで指導者になるケースも多い。的確なコーチングを受ければ、上達も、それだけ促される。
「子どもたちは、うまくなれば楽しいと思うし、楽しければ、さらに続けようと思う。その好循環が理想だ」
効用は、子どもだけではないという。
「子どものときにスポーツの楽しさを知れば、大人になっても体を動かす習慣は続く可能性が高い」。国民の健康維持、医療費の削減にもつながる点で、国家としても有益という考え方だ。
そう力説するシュッグムさんのかたわらで、ここでも、練習中の子どもたちから笑顔があふれていた。