「学校で教えるな」の背景にトランスジェンダーへの偏見
3月18日、夕刻の英議会で、真っ向から対立する二つの電子署名について、議員らが話し合った。一つは「LGBTQについて教えるな」という署名で25万筆近くが集まった。もう一つは「幼い頃から学ぶべきだ」というもの。こちらも10万筆を超えた。
与党・保守党の議員も、最大野党・労働党の議員も、大筋では教育現場でLGBTQを扱うことを支持する声明を読み上げた。ただ、保守党のニック・フレッチャー議員はこう話した。
「男の子は男の子、女の子は女の子で、性転換はできないと私は信じている。外部の教育者はこれに反する教材を作り、学校で『イデオロギー』として押しつけている」
フレッチャー議員が疑問視するのは、生まれながらの性と自認する性が一致しない「トランスジェンダー」の存在だ。英国の世論調査によると、こうした考えは近年、「異端」とは言えなくなっている。「トランスジェンダーに偏見はない」と答える国民は2017年時点で84%だったが、2022年は64%に減少し、逆に「偏見がある」は2倍超の33%に上った。
4人の娘を育てたタニア・カーターさんも、懐疑的な見方をする一人だ。子どもの保護の必要性を訴える「英国安全学校同盟」のトップを務め、性教育そのものに反対しているわけではない。
ただ、「教材は生物学的、法的に正確でなければならず、性自認のような議論が分かれることを、政治的な動機で事実として教えてはならない」という。
カーターさんの四女は10代後半で、同性パートナーがいるレズビアンだ。2人の女性が交際をすることは「まったくかまわない」と感じている。一方、たとえば将来、四女が性転換手術をするとなると、話は別だ。
「女の子がピンク色を好む必要はない。けど、だからと言って『それは本当は男の子だからだ』という考えを学校で植え付けてはいけない」
英イングランドにおける性教育は、1993年の教育法により、セカンダリースクール(11~16歳)で義務化された。プライマリースクール(5~11歳)では必修ではなく、学校が教えるかを決められる。
現在の性教育のカリキュラムは2020年9月に始まった。「人間関係・性・保健の教育」として政府から指針が出されている。LGBTQに関する内容も、この時点で盛り込まれた。当時の教育相は「子どもたちはLGBTQについて学んだ上で学校を卒業すべきだ」と声明を出し、その重要性を強調していた。
子どもに授業を受けさせない「退席権」、対象は性教育だけ
性教育を前進させるために常に必要になるのは、保護者の理解を得ることだ。その一つが「退席権」。セカンダリースクールの性教育において、保護者がその内容を「不適切だ」と感じた場合、自分の子どもを授業に出席させない選択をすることができる。
ロンドンで働く20代の現役教員によると、退席権が使われるケースは少ない。ただ、「LGBTQの内容について自信がない」という教員もいて、そうした場合は詳しい教員が「代役」を務めるという。
75を超える性教育関連団体が加盟する「性教育フォーラム」(SEF)のトップ、ルーシー・エマーソンさんは「保護者が学校と安心してやりとりできることはとても重要だ」としつつ、性教育だけが特別にこの「退席権」の対象になっていることを疑問視する。
「信仰や人種、個々人の背景など、感情が揺さぶられることは性教育だけに限らない。学校にとって大きな圧力になっていることは残念だ」
長年、性教育に関わってきたエマーソンさんにとって、忘れられないシーンがある。2017年、「性教育フォーラム」の設立30年を記念したイベント。若者が司会を務め、国会議員や教職員で会場は満席になり、教育相が子どもたちの話に真剣に耳を傾けた。
「何よりも重きを置くべきは、子どもたちの意見を大切にすること。そこが、保護者や政府、教員といった利害関係者がそれぞれの立場を考える出発点になるからです」
エマーソンさんはそう考えるからこそ、LGBTQに関する授業をカリキュラムから削除していけないと信じている。SEFの調査によると、自らを性的少数者だと自認する若者の6割が学校では十分に学べていないと感じており、全体の3割がLGBTQに関する主な情報源に「ソーシャルメディア」を挙げたという。
「子どもたちに何を伝え、親はいかに役割を果たすのか。それを考えるとき、子どもたちこそが、私たちのナビゲーションの一部になる必要があります」
英国は日本よりも、ずっと先を走っているように見える。その上で、最適解を探る議論をなお続けている。では、日本は何を学べるだろうか。エマーソンさんは答える。
「大人たちには、自分たちの子どもに何を望むのか、それを考えてほしい。私たちは子どもに安全で、健康で、幸せになってほしい。そこを一番に据えれば、意見の違いがあってもやっていけると思います」