6月はプライド月間。世界各地でLGBTQ+の権利や文化を祝い、コミュニティーへの連帯を示すさまざまなイベントが行われる。そんな中、大手コーヒーチェーンのスターバックスがプライド月間の店内装飾を拒んだため、150店舗で3000人がストライキを始めたというニュースが流れた。株価はこの影響で2.5%以上も下落したという。
プライドパレードを週末に控えて盛り上がるサンフランシスコではどうか。現地の様子をリポートする。
「プライド運動」発祥地の一つ
スタバのニュースが流れた6月23、24日、サンフランシスコ中心街の3店舗をのぞいたが、どこも今のところ営業中だった。店員にストライキの予定を聞いても肩をすくめて「I’m not sure.(わからないよ)」。LGBTQ+への連帯拒否は、おそらくこの街ではありえないのでは…という印象を持つに至った理由を書いていく。
23日夕刻、洗濯しに外出した私の耳ににぎやかな音楽と歓声が聞こえてきた。近づいてみるとトランスジェンダーコミュニティーへの連帯を示す「トランスマーチ」だった。
小さな子どもと一緒の家族連れや、非当事者だがLGBTQ+サポーターであることを示す「Ally(アライ)」のTシャツを着ている人も少なくない。
メインステージは、サンフランシスコ名物・ケーブルカーの車両の上。教職員組合員たちがマイクで「学校でのLGBTQ+への差別をやめよう。自分のままで生きるのは基本的人権だ」と語りかけていた。
古参アクティビストであるスーザン・ストライカーが「『ストーンウォール』を祝う最初期のプライドパレードはここサンフランシスコでも始まった。でもゲイパワー、ゲイプライドの運動はストーンウォール以前からこの街で始まってるんだよ、忘れないで!」と地元民に連帯を呼びかけると、ひときわ大きな歓声が上がった。
「ストーンウォール」とは、ニューヨークでのゲイバー取り締まりに対して当事者たちが抵抗し、プライド月間の誕生と、世界的なLGBTQ+差別反対・権利獲得運動のうねりを生むきっかけとなった1969年の「ストーンウォールの反乱」のことだ(プライド月間の起源)。
私がこのスピーチを聞いたのは町の中心部パウエルストリート駅周辺だったが、LGBTQ+差別を行った企業がすぐ近くにあるそうで、スピーカーは名指し、参加者はブーイングで抗議していた。サンフランシスコ・プライドは今年で53回目、トランスマーチは20回目。もし差別などしようものなら、市民が大勢詰めかけて目の前で抗議の意思を示す街なのだ。
バックラッシュの中でも街中にあふれる連帯の印
ABC7の報道では、全米各地で近年500件にのぼる反LGBTQ+法案が生まれ、そのほとんどがトランスジェンダーを標的にしているという。
最大のLGBTQ+人権団体HRCが1980年設立以降初めて「緊急事態宣言」を出すほど、バックラッシュは深刻だ。南部アーカンソー州は2021年4月に全米で初めて、18歳未満の未成年がホルモン療法や性別適合手術を受けることを禁じる州法を定めたが、それ以来、少なくとも19州がこれに追随する法整備を行った。
だがアメリカ自由人権協会(ACLU)が未成年トランスジェンダー当事者らを弁護して州を訴えた結果、アーカンソー州連邦地裁が2023年6月22日、一転してこの性別違和治療禁止法を無効とする判決を下している。
そんな攻防はどこ吹く風というほど、サンフランシスコ市内はレインボー一色だ。
高級百貨店Macy’sも、バンク・オブ・アメリカや、星つき高級ホテルも、レインボーフラッグを掲げて連帯を示している。ランドマークのセールスフォース・タワーは、毎晩レインボーのライトアップで夜空を照らしている。
市庁舎前通りには、両側に大きなレインボーフラッグが等間隔で掲げられ、町を一望できる丘にはプライドの象徴、巨大なピンク・トライアングル(ホロコーストでゲイのユダヤ人男性が付けさせられたことに由来)がドーンと鎮座している。
多くの人や犬がレインボーの服や装飾を身に着けて街を行き交い、駅の電光掲示板にも「次の日曜日はプライドパレード、時間と場所は…」という案内が出てくる。
プライド月間であることを意識せずにこの街で過ごすことは難しい。
痛みの記憶を乗り越えて広がったLGBTQ+への連帯
しかしサンフランシスコでも最初から多様性が歓迎されていたわけではなかった。むしろ苛烈な排斥運動の舞台だったことを、カストロ地区にあるGLBT 歴史博物館(The GLBT Historical Society Museum)を訪れて痛感した。
LGBTQ+の歴史や文化を単独でまとめた博物館はここが全米で初だという。
1978年の「ゲイ・フリーダム・デイ」のために、退役軍人でアーティストだったギルバート・ベイカーが作った、世界で最初のレインボーフラッグが収蔵されている。世界で広く使われている旗は6色だが、オリジナルは8色だったことや、各色の意味も初めて知った。
フラッグが中央に置かれたメインギャラリーは8畳ほどと、まったく広くはない。でも社会運動をしている身からすると、「地元民の小さな取り組みがやがて大きなムーブメントにつながることもあるので、写真や資料を残しておくことは大事だなあ」と見入ってしまう内容だった。
まず目を引いたのは、ジロウ・オオヌマ(大沼二郎/1904-1990年)という日系人の展示だった。第2次世界大戦の頃、ベイエリアでも彼を含む8,000人が「敵性市民」として収容所に入れられた。彼もその一人で、恋人のロナルドと引き裂かれ、ユタ州の収容所に送られてしまった。日系人+ゲイという、自分では変えようもない二重の属性を背負い、ゲイ向けフィットネス雑誌のコレクションを心の支えに孤独と屈辱を生き延びた彼の人生はその後、日系4世のティナ・タケモトによって映画化された。
サンフランシスコ州立大学のエイミー・スエヨシ教授を中心に、アジア系LGBTQ+の若者たちが移民1世にあたるLGBTQ+当事者500人以上の証言を聞き取った「ドラゴンフルーツプロジェクト」のコーナーもあった。
動画を見ると、大沼に限らず1960〜70年代のアジア系移民社会では、同性愛は誰にも言えないダブーだったとわかる。この博物館にはレズビアンバーを網羅した60年代の手書きの地図も展示されているが、今よりずっと孤独な中、当事者同士なんとかつながりを持とうとしていた姿がしのばれる。
そんな中、大きな転機が訪れた。
全米史上初めてゲイであることを公表して議員となったハーヴェイ・ミルク(1930-1978年)の登場だ。ここカストロ地区にパートナーとともにカメラ店を開き、ゲイムーブメントのリーダーとして注目されるようになった彼は、やがてLGBTQ+差別反対と権利獲得を訴えてサンフランシスコ市議会議員に当選。だが差別はとても根強く、命の危険を感じるようになる。
ミルクが死を予見して録音した切実な肉声を博物館で聞いた。
「希望がなければいけない。同性愛者だけでなく、黒人やアジア人や障害者や老人や、マイノリティーの私たちすべてが、希望がなければ諦めるしかない。希望だけでは生きていけないことはわかっているけど、それでも希望のない人生は生きるに値しない。一人ひとり、みんなで希望を与えなければ」
悪い予感は的中した。
当選翌年の1978年、ミルクは前市議会議員ダン・ホワイトにより、市長もろとも市庁舎で射殺されたのだ。ホワイトに下った刑は懲役わずか7年。この判決に怒りを感じた人たちは、サンフランシスコのあちこちでデモや暴動を起こし、反差別の機運が一気に高まった。
社会の不平等を正すために立ち上がったミルクの最後の8年は、2008年にショーン・ペン主演で映画化され、アカデミー賞8部門にノミネート、主演男優賞、脚本賞を受賞した。彼の功績をたたえるモニュメントは、カストロ駅構内にも残されている。
エイズによりホモフォビア(同性愛嫌悪)が広がった90年代にも再びバックラッシュが吹き荒れ、多くの人が文字通り命をかけて差別と戦った。
博物館にはキース・ヘリングがデザインしたAct against AIDS Tシャツなども飾られている。差別や偏見にさらされている当事者がもしここに来て、戦って権利を勝ち得てきた先人たちの足跡を見ることができたら、「一人じゃない」と励まされ、心に希望の光がともるだろう。
前出の「ドラゴンフルーツプロジェクト」のエイミー・スエヨシ教授は地元を中心としたクィア研究や、サンフランシスコ・プライドへの貢献が認められ、2022年7月に有色人種で初めて、サンフランシスコ州立大学の学務担当学長兼副学長に選出されている。
「当事者が自分を偽らずに暮らせる環境であることが重要」
地域で連帯の輪が広がる意義について、「人権と国家 理念の力と国際政治の現実」 (岩波新書)の著書でもあるスタンフォード大学・筒井清輝教授はこう語る。
「LGBTQ+当事者がカミングアウトしやすくなるメリットが大きい。日常的に会話する範囲の中に何人も当事者が存在していると理解できていれば、非当事者も慣れて、抵抗感がなくなっていく。その点で、日本でもカミングアウトする人が増えれば、元々アメリカのような宗教的抵抗は少ないので、急速に潮目が変わる可能性がある。
アメリカに住む私の子ども世代では、昨日まで女の子だとされていた子がクラスで「今日から私はケーシーです。呼び方はShe/HerじゃなくてThey/Them*にしてください」とカムアウトすることも普通にある。同性婚が法律上認められていることもあり、多様性を当然のものとして育ったZ世代以降にとってはLGBTQ+に批判的な言説自体が受け入れられにくい」
「先住民族の権利獲得や、女性蔑視に基づく慣習をなくした社会運動の例から見ても、バックラッシュの中心にいる保守的な人々の考え方を変えるには『当事者と一人の人間として接して話を聞き、交流を深めること』が一番。それで全員の気持ちが動くわけではないが、一定数の人の心が動けば彼らの行動が変わり、社会が変わっていく」
過去にふたをしないこと、違いを認め合うこと
地元メディアの報道によれば、カリフォルニア州にもバックラッシュの波がじわじわ届き始めている。
ロサンゼルス近郊の街テメキュラでは、ハーヴェイ・ミルクの伝記を学校の図書館から撤去する決定がなされ、州の教育長が調査に乗り出した。
ミルクを輩出したカストロ地区選出の現職・元議員ら5人は共同声明で「ハーヴェイの記憶を消し去ろうとする悪質な攻撃の最も恥ずべき点は、子どもたちを利用していることだ。同性愛嫌悪やトランスフォビアは弱い立場にある子どもたちのメンタルヘルスに重大な影響を与える」と抗議。さらに「子どもたちは違いが認められ、祝福される時、より安全に、自由に、自分らしく、その可能性を最大限発揮することができる」とも指摘している。
差別や偏見は時に人の命を奪うことを、サンフランシスコ市民は地元の歴史を通じて知っている。その反省から立ち上がり、属性で差別されない社会を作ろうと、非当事者たちも一緒になって反差別運動を起こし、何度もバックラッシュを押し戻してきた。
一人ひとりに平等な権利があれば、たとえ自分がマイノリティーになった時にも、排除されない安心感と希望につながるからだ。痛みの歴史を乗り越えて、いま街をあげてLGBTQ+への連帯を表明しているサンフランシスコの姿は、日本の私たちにも大切なことを語りかけている。
なお、ストーンウォールやピンク・トライアングルなどLGBTQ+の歴史については、6月15日に東京で開催したプライド月間記念イベント「私はLGBTQ+アライ(Ally)、アナタは?」で、山縣真矢さんが解説してくれている。
ぜひ以下の動画を見て、日本のLGBTQ+の置かれた現状を知り、差別や偏見をなくすために非当事者でもできる小さな一歩を一人ひとりに踏み出していただければうれしい。