性別変更で有休、外相はLGBT 「同性愛は犯罪」だったオーストラリアが変わった理由
かつては同性愛行為を犯罪として取り締まった国は今や、トランスジェンダーたちにもやさしいしくみを、次々と実現させている。社会の変化を後押ししたものは何なのか。(西村宏治)
オーストラリア南東部ビクトリア州の大都市メルボルン。中心部から路面電車で15分ほどの場所に、ひときわ目を引く真新しい建物がある。
壁が何カ所も丸くくりぬかれたような独特のデザインで、中に入ると、吹き抜けに明るい日差しが入り込む。
「ビクトリア・プライドセンター」。性的少数者たちの公民館とも言える存在で、2021年にオープンした。
性的少数者の人たちがかかわる美術展、写真展、音楽会などのイベントが催されている。人権やジェンダー関連の書籍を集めた書店やカフェもあり、地域のすべての人に開かれている。州政府が運営を支援している。
「政府の支援は、とても大切な意味を持ちます。そうであっていいと、公的に認められることだから」
州政府の「LGBTIQ+コミュニティー・コミッショナー」、トッド・フェルナンドさんは言った。当事者の立場から州政府に助言する役割だ。
州政府は近年、性的少数者をめぐってさまざまな取り組みを続けてきた。念頭にあるのは、とくに健康福祉、教育、法制度、雇用といった社会の基盤となる分野で差別的な扱いをしないこと。このために医師や教員、司法・ビジネス関係者と議論を重ねる。
2019年には出生証明書の性別を変えるのに、手術を不要とした。
職場の環境も整えてきた。2020年から、性別の変更に必要な治療や法的手続きなどのために、州職員に4週間の有給休暇を認める。
同様の有給休暇は、スーパーマーケットや銀行、携帯電話会社など、大手企業でも導入が広がる。企業が性の多様性を尊重することは、ごく当たり前になっている。
州はさらに2022年、1600人以上の当事者に意見を聞き、2032年までの戦略をつくった。性的少数者を差別から守るさらなる法制度や、健康福祉サービスの充実、安全を守る対策を強めていく。
フェルナンドさんは「政府の対応が進んだのには、当事者たちが声を上げ続けたことが大きかった」と振り返る。
英国の植民地だったオーストラリアでは、英国にならって男性の同性愛行為は犯罪だった。1960年代末から当事者が抗議する運動を始めた。
だが、1978年、シドニーで性的少数者のパレード「マルディグラ」を初めて開くと、警察が介入し、53人を逮捕した。
それでも闘いは続いた。その動きはじわじわ広がり、1990年代後半までに全州で同性愛は犯罪でなくなった。
運動は、結婚の平等を求める訴えへと続き、20年かけて同性婚の合法化が実現した。
最近の行政や企業の取り組みは、当事者たちの闘争の歴史を受け止めた結果でもある。
フェルナンドさんは、「世界を見れば、声を上げられることで危害を加えられる当事者も多い。その点、私たちは安全で声を上げられる環境だった。だからこそ、立ち上がる役割があった」と言う。
政治家や官僚にカミングアウトした当事者が増えたことも理解を広げている。
対外的な顔であるペニー・ウォン外相は、自らがレズビアンだと公表し、パートナーが生んだ2人の子を育てている。
今年2月のマルディグラでは、昨年5月に就任したアンソニー・アルバニージー首相が、現職首相として、初めて行進に加わった。
一方で、過激に反発する人たちもいる。メルボルンでも3月、反トランスジェンダーの活動家やネオナチのグループが街頭でデモをした。
だが、ダニエル・アンドリューズ州首相はSNSで「ネオナチに居場所はない」と非難し、続けた。「トランスジェンダーのみなさん、政府は支援し、尊重します。みなさんの権利は妥協できるものではないから」
州庁舎の前には、その決意を示すように、多様な性のシンボルである「プログレス・プライド・フラッグ」が掲げられている。