3月4日、オランダ・ブルメンダール市の小学校「森と砂丘の学校ブルメンダール」。校内の廊下や窓、教室、体育館は、ピンクや水色の画用紙でつくられたハートで彩られている。体育館に集まった子どもたちに、市助役のアーティヤ・ハムリさんが語りかけた。
「今日は太陽が出ていて気持ちがいいですね。春が来るぞという感じ。春に起こることは、誰かを友達以上に好きかもしれないと、あれこれ想像を膨らませ、そわそわすることでもあります。それを『春のムズムズ期』と呼びます」
この日は、「春のムズムズ週間」と呼ばれる性教育週間の初日。ハムリさんは続けた。「特別な気持ちをもつ相手が女の子でも男の子でも、異性愛者でもレズビアンでもいい。オランダではそれを尊重します。みなさんにも自分の気持ちを尊重してほしいです」
授業のテーマは「オンラインから身を守る」
性教育週間の授業を見せて欲しいと、取材を申し込んだ。案内された11、12歳のクラスで実際に目にしたものは予想外だった。今年の性教育週間のテーマは「オンラインから身を守る」。体の発達や性交についての授業かと思っていたが、この学校では、同意に関することや尊厳や平等など様々なテーマを扱うのだという。
教諭のマーティン・ゴーセンスさん(61)は20枚以上の写真を子どもたちに見せてこう言った。「本物かAIによる合成か。そう思った理由を話し合いましょう」。本物の写真は4枚だけだが、子どもたちは判断に迷う場面もあった。
生徒ジュスト・フンヌフェルトさん(12)は「WhatsApp」というSNSを使っているが、実際に知らない人からメッセージや電話がくることがあるという。ゴーセンスさんは語りかけた。「本物かどうかを見分けるのは難しい。誰とどういう風に知り合うか。大事なのは嫌なことを嫌とはっきり伝えること。まさに『自分を守る』ことです」
オランダでは、2012年に性教育が初等教育、中等教育、特別支援教育で義務化された。国が学校に対して生徒に最低限達成させることが望ましい内容を示す「中核目標」で、「セクシュアリティーや、性の多様性を尊重しつつ、そうした社会への対応の仕方を学ぶ」と明記。憲法の規定では「教育の自由」が保障されており、どのように教育をするかは学校にゆだねられている。
共学の中高一貫校「へリット・ファン・デ・フェイン・コレイジュ」で取材した15歳と16歳の女子生徒2人は、生物の授業で、クラスを二つに分けて、一人ひとりがペニスの模型にコンドームを速くつける「競争」をしたという。「速くつけるだけでなく、破れないように、中身が漏れないように縛る練習で、実践的だった」と話す。
子どもたちの性の興味にこたえるテレビ番組や博物館も
性教育の場は学校だけでなく、メディアや公共施設で取り扱うことも珍しくない。公共放送が制作した「ドクター・コリー・ショー」というシリーズ番組では、ドクター・コリーという女性医師に扮した俳優が「セックス」「マスターベーション」など、思春期の子どもが関心をもつ性に関する様々なトピックで、ユーモアを交えながら話していく。「裸」がテーマの際は、男性と女性が陰部を隠さずに裸で出演する場面も。番組をもとにつくられた本では、紙で再現された男性器や女性器が飛び出すしかけになっている。
制作のきっかけは、2012年の性教育の義務化だった。教師たちが性を教えることに不安を感じており、「オープンに性について話せるきっかけになれば」という狙いがあったという。この番組や本を使っている学校もある。
アムステルダムにある家族向けの「NEMO科学博物館」では、「人間」をテーマにした常設の展示の中で、キスや性交、性の多様性について触れている。展示では、来場者が自分の手をつかってキスをする体験を再現できたり、「どのくらいの頻度でセックスするのか」「初めてのセックスは何歳の時か」といった質問が書かれた小さな扉を開いて、オランダ国内の数値の答えを見たりできる。親子連れ、学校単位の来場もある。担当者は「学校ではまだ、生物学的な側面やセックスの危険性に主眼が置かれている。でも、子どもたちは同意やジェンダー、セックスのプレジャーについても学びたがっている」と話す。
性教育の普及に大きな役割を果たしてきたのが、教材を開発・提供している専門機関「ルトガース」だ。義務化前の2005年から、保健所とともに春のムズムズ週間の取り組みを始めた。参加している小学校は4割以上に上る。専門家エルスベス・レイツルマさん(47)は「性教育週間としてその時間を確保することで、学校全体で取り組めるようになった」と話す。
しかしそんなオランダでも、昨年から性教育週間の反発があった。学校などに「子どもたちへの過激な性教育によって子どもたちが性行為に奔放になる」といった批判がきて、今年は右派ポピュリスト政党のチェリー・ボーデ党首が「学校がポルノを拡散している。『春のムズムズ週間』はやるべきではなく、子どもは自分たちでセックスについて学ぶべきだ」と発言した。一方で、教育省初等中等教育省のマリエル・パウル大臣はメッセージ動画を配信。「批判的な質問は歓迎だが、教師への脅迫は容認できない。教員は信頼されるべき存在だ」と訴えた。
セクシャリティーは素晴らしいもの
子どもからは「もっと性教育を」という声が高まっている。ルトガースなどが2022、2023年に実施した、13~24歳の約1万人への調査では、学校で受けた性教育への評価が、10点満点中、平均で5.6点で、2017年の調査より低かった。理由を尋ねると(複数回答)、67%が「授業が少なすぎる」、半数は「欲しい情報が得られなかった」と回答。トピック別でみると、セックスの楽しい側面、メディアやネットにおけるセックス(性的な画像や文章を送り合うことなど)、同意に反するセックスなどについてあまり情報が得られなかったと答えた。
国は2022年に掲げた「性的健康政策のビジョン」の中で、性的健康について、これまで強調していた性感染症や望まない妊娠を防ぐことだけでなく、「楽しく、安全で平等な性体験を楽しむための知識や自由」が必要だとしている。保健省の専門家、イリス・ボータマンスさんはこう話す。「性を学ぶことで、性について自律的な行動ができるようになり、性の喜びを知ることにもなる。セクシュアリティーは人間の一部であり、やっかいなものではなく、すばらしいものとして扱うべきだ」