世界人口80億人、「問うべきは数ではない」
今年4月に発表された世界人口白書2023「80億人の命、無限の可能性:権利と選択の実現に向けて」(以下、白書)は、数は重要でないと指摘する。
白書を執筆した国連人口基金(UNFPA)のナタリア・カネム事務局長は声明で、こう述べた。
「問題は、人口が多すぎるのか、または少なすぎるのかではありません。問うべきは、望む数の子どもを希望する間隔で産むことができるという基本的人権を、すべての人が行使できているかどうかです」
数ではなく、生活の質(クオリティー・オブ・ライフ)が問題なのだと訴えたのだ。
4月に開催された白書の発表イベントで、主宰した米シンクタンク、ウィルソン・センターの担当ディレクターは「人口とは『人々』のことであり、80億人の『選択と権利』が問題なのです」と語った。
世界で身体の自己決定権のゆり戻しが起きている
白書が強調する「権利と選択」は新しい概念ではなく、1994年の国際人口開発会議で提唱された「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」(性と生殖に関する健康と権利)の概念をくむものだ。
1994年、エジプトのカイロで開催されたICPDでは、それまでの人口と開発をマクロ的な数として捉える国家主義的な人口政策に決別し、個人の人権と健康というミクロの視点、リプロダクティブ・ヘルス/ライツという、すべての個人・カップルが出産する子どもの数、時期を自由に決断できる権利の視点から人口政策に取り組むことが提唱された。
1994年のICPD、そして翌年の国連の北京女性会議(第4回世界女性会議)で女性の権利として確認されたリプロダクティブ・ヘルス/ライツの概念は、セクシュアル・ライツ(性的な行動や、自分の性的指向・ジェンダー自認・性表現を含めたセクシュアリティーなどについて自分で決定する権利)を含めた「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)」として確立。
SRHRは、2015年に国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)にも目標3(あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する)と目標5(ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る)に盛り込まれている。
人工妊娠中絶をめぐり、国家のもとで奪われる尊厳
国家が生殖をコントロールしようとするとき、私たちは個々の人権が不当に制限され、尊厳が奪われてきたことを歴史上、何度も目撃している。
顕著な例が、日本の旧優生保護法(1948~1996年)のもとでの強制不妊手術だ。
被害者は、法律に基づき、自らの意思とは関係なく施された不妊手術により、子どもを望んでも持つことができない身体にされてしまった。旧法下で不妊手術を受けた2万4993人のうち強制された被害者の数は全国で少なくとも1万6475人と報告されている。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツを考えるとき、中絶の問題は避けて通れない。
米国では、2022年6月、トランプ政権下で保守派が多くなった連邦最高裁が憲法上の人工妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆す判断を出した。
SRHRを推進する国際NGOである国際家族計画連盟(IPPF)のアルバロ・ベルメホ事務局長は「そもそも中絶は、憲法上保障されるべき命を守る保健医療ケアであり、今回の決定は許されざる暴挙だ」と非難する声明を即座に出した。
一度獲得した憲法上の権利が50年後に覆されたという事実は、いかに女性の身体の自己決定権が不確かなものなのかを物語っている。
欧州議会は2020年、EU圏内でSRHRを敵視するナショナリズムとポピュリズムの相まった勢力がここ10年間で台頭してきたことを報告している。前述の米国の最高裁判決を非難する決議も採択しているが、EUも一枚岩ではない。
昨年6月にアメリカ人の妊娠16週の女性がマルタを旅行中に流産しかけた。数日後には破水、更には胎盤剝離(はくり)が起こり、人工中絶なしには母体に危険が及ぶ状況に陥ったが、カトリックの影響が強く、いかなる理由による人工中絶も許されていないマルタでは処置を受けられなかったため、スペインまで輸送されてやっと手術を受けることができたという。
この事件が国際的に報道された後、マルタでは11月に女性の身体に危険がある場合には中絶を認める法律の改正案が上程されたが、定義が広すぎると激しい抗議が起き、最終的には6月末、差し迫った死の危険がない場合以外には中絶は認められないとする修正が入った。
世界人口白書が問うた「女性の自己決定権」の所在
今年の世界人口白書が、1994年のICPDで確認したはずの個の論理に改めて光を当てたのは、SRHRに対する世界的な反勢力の拡大という背景があるのではないかと思われる。
白書は、最近の68カ国の調査で、パートナーのいる女性44%は、保健医療、セックス、避妊について自ら決定権を持っていないとの推定をあげ、ICPDから30年たち、SDGsにもターゲットとして掲げられているにもかかわらず、なぜいまだに女性が自分の身体についての自己決定権を持たないのかと私たちに問うている。
日本も他人事ではない。
今月7月10日に終わったばかりの日本の人権状況に関する国連UPR(普遍的定期的審査)では、ノルウェーやメキシコからの堕胎罪を廃止すべきだとの勧告に対し、日本政府は「胎児は生物として保護される必要があり、胎児を軽んじることは人命を軽んじることに等しいので慎重な検討が必要だ」と回答している。
これは、女性の中絶へのアクセスを否定する米国やマルタなどの勢力と同じ主張であり、5月に議長国として発表したばかりのG7首脳コミュニケの見解と矛盾することから、政府はさらなる説明と是正に向けた努力を期待したい。
議長を務めた今年のG7サミットで、日本は実に多くのジェンダー平等、SRHRに関わる約束を掲げている。G7首脳宣言で、SRHRが変革的な役割を持つこと、全ての人がSRHRを達成することへの積極的な関与を確認していることに注目したい。
我々はさらに、SRHRがジェンダー平等並びに女性及び 女児のエンパワーメントにおいて、また、性的指向及び性自認を含む多様性を支援する 上で果たす、不可欠かつ変革的な役割を認識する。我々は、安全で合法な中絶と中絶後 のケアへのアクセスへの対応によるものを含む、全ての人の包括的なSRHRを達成することへの完全なコミットメントを再確認する。国内外において、ジェンダー平等及び あらゆる多様性をもつ女性及び女児の権利を擁護し、前進させ、守ることにコミットし、 この分野における苦労して勝ち取った進展を損ない、覆そうとする試みを阻止するため に協働する。G7広島首脳コミュニケ、43パラグラフ
6月、岸田首相は、「2030年代までに入るまでが少子化傾向を反転できるかどうかのラストチャンス」として「異次元の少子化対策」を打ち出した。
その少子化対策「加速化プラン」の基本理念として、①若い世代の所得を増やすこと、②社会全体の構造や意識を変えること、③全ての子ども・子育て世帯をライフステージに応じて切れ目なく支援することの3つを挙げている。
掲げたメニューを見てみると、少子化対策というよりも、少子化社会におけるジェンダー平等政策だ。
世界人口白書は、「適切なアプローチを取れば、出生率がどうであれ、強靭な社会は繁栄することができる」と強調した。日本政府としても、ジェンダー平等を加速化することで、強靭な社会を作り出すよう努力してほしい。少子化対策という名を借りつつジェンダー平等が進むことを大いに期待する。
気をつけなければいけないのは、少子化対策というと、つい「数」を意識してしまうが、政府は少子化のトレンドは反転させたいとしながら、目標値は示していないことだ。むしろ出生率と結びつけようとしているのはメディア側のようにも見える。国家が出生率を目標に掲げれば、産むことの強制につながりかねない。成果を出生率の向上に求めないという私たちの覚悟も問われる。
「異次元の少子化」に取り組む日本に必要な二つの変革
政府の異次元の対策の内容として、政府にはさらに二つ、実行してもらいたい政策がある。
一つは、選択的夫婦別氏制度、もう一つはG7で掲げた「ジェンダー・トランスフォーマティブ教育」の導入だ。
内閣府男女共同参画局の「人生100年時代における 結婚・仕事・収入に関する調査」(2022年3月)によれば、20~39歳の女性の25.6%、同年代の男性の11.1%が、名字・姓が変わるのが面倒ということを結婚したくない理由として挙げている。
法務省によれば、婚姻後に夫婦のいずれかの氏を選択しなければならないとする制度を採用している国は、世界の中で日本だけという。権利と選択の保障という観点から、政府は婚姻により一律に同姓を強制することはやめ、希望する人には選択制を認めるため、必要な民法改正を進めるべきだ。
また、今年のG7は「就学前教育から高等教育まで、ジェンダーに関連する障壁や根本的な差別的社会規範を引き続き打破する」ことを打ち出し、「ジェンダー・トランスフォーマティブ教育(ジェンダー分野で変革的な教育)」を掲げている。実行するために、日本は率先してユネスコの提唱する「包括的性教育」(性教育だけでなく、ジェンダー平等や性の多様性、人権の尊重などさまざまなテーマが含まれる)の導入を実行すべきだと考える。
男女共同参画大臣の性別よりも大切なこと
ところで、先のG7男女共同参画・女性活躍担当大臣会合で、日本だけが男性の大臣を送り、ジェンダー平等について議論したことが、国際的に取り上げられて揶揄された。
しかし、ジェンダー格差指数における日本の不名誉な順位(125位/146カ国中)と関連づけるのであれば、本来、取り上げるべきは、G7プロセスに首脳会合をはじめ15もの関係閣僚会合がある中で、女性が議長を務める会合がたった二つしかなかった点だ。
問題は、日本の閣僚・政治家における女性の少なさなのだ。
小倉将信男女共同参画大臣は、大臣会合で「ジェンダー平等は、女性だけのことではなく、男性も巻き込んでいくことが大切」と話し、他国の大臣に好意的に受け止められていた。女性だからといってジェンダー平等に関心のない大臣よりは、よほど男性でもやる気のある大臣にジェンダー平等や課題に積極的に取り組んでもらいたいと思う。
小倉大臣は、G7サミットに先駆け4月に市民社会が主催したW7(Women7)サミットで「ジェンダー平等の議論が進んだと思ってもらえるようにリーダーシップを発揮していきたい」とG7に向けた意気込みを語った。このことを実践していくためにも、またG7首脳宣言及び男女共同参画担当大臣会合で掲げたジェンダー平等に関するコミットメント(約束)、そして「異次元の少子化対策」を実行に移していくためにも、引き続き責任を果たしていただきたい。
もちろん市民社会やメディアは厳しく監視し、私たちの「選択と人権」が保障されているか、「生活の質」が上がっているかどうか、検証していかなければならない。
UNFPAのカネム事務局長は白書に関する声明をこう結んでいる。
「つまるところ、人口とは人々のことです。誰もが機会を与えられ、健康で、十分な教育を受け、権利を行使することができれば、個人と社会が共に繁栄することは、さまざまなデータにより十分に証明されています。すべての人々の権利、尊厳と平等が真の意味で尊重され、保障されれば、無限の可能性を秘めた未来への扉が開かれるでしょう」
私たちは、古くて新しいこの呼びかけに、真摯に耳を傾けるべきだろう。