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ウクライナ侵攻2年 戦時中の軍トップ交代は「禁じ手」、元陸自幹部の懸念とは

揺れる世界 日本の針路 更新日: 公開日:
ゼレンスキー大統領(左)とザルジニー総司令官。軍トップの交代が発表された同日に撮影された
ゼレンスキー大統領(左)とザルジニー総司令官。軍トップの交代が発表された同日に撮影された=2024年2月8日、ウクライナ首都キーウ、ロイター

ウクライナのゼレンスキー大統領は2月8日、ウクライナ軍トップのザルジニー総司令官を更迭し、後任にシルスキー陸軍司令官を充てる人事を発表した。シルスキー氏は1965年7月生まれ。モスクワの高等軍事学校で学び、ソ連軍にも約5年間在籍した。8歳下で、ウクライナ・オデーサ陸軍士官学校で学んだザルジニー氏が北大西洋条約機構(NATO)にも派遣されたこともある西欧スタイルの軍人だったのに対し、シルスキー氏は旧ソ連・ロシア軍の影響を強く受けているとされる。元陸上自衛隊中部方面総監を務めた山下裕貴・千葉科学大客員教授は、「今回の軍トップを巡る人事が、そのままウクライナの置かれた苦しい状況を表している」と指摘する。(牧野愛博)

ザルジニー氏は、ゼレンスキー大統領が推進した国防改革の象徴だった。

ザルジニー氏は当時、ロシア軍の影響を強く受けたウクライナ軍人が多いなかで、NATOの軍事ドクトリンを取り入れるよう主張する、新世代軍人の代表的な存在だったからだ。

2021年7月、当時は中将だったザルジニー氏(現在は大将)は、8歳年上で当時は上級大将(現在は大将に統一)だったシルスキー氏を飛び越えて総司令官に就任した。

山下氏は「シルスキー氏とザルジニー氏は職務上、陸軍司令官と部下の北部作戦管区司令官という関係でした。このクラスの逆転は、階級が絶対の世界で、普通はあり得ない人事です。ゼレンスキー氏はこの時点で、シルスキー陸軍司令官を退任させるべきでした」と語る。

ゼレンスキー大統領(中央左)に軍事作戦を説明するシルスキー陸軍司令官(中央右)
ゼレンスキー大統領(中央左)に軍事作戦を説明するシルスキー陸軍司令官(中央右)=2023年11月30日、ウクライナ北東部ハルキウ州クピャンスク、ロイター

2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻した。緒戦はウクライナ軍の士気は高く、西側諸国からの支援も十分にあったため、ザルジニー氏とシルスキー氏のような、ウクライナ軍内部にある路線の食い違いが表面化することはなかった。

ただ、シルスキー氏は東部ドネツク州の激戦地バフムートで、戦略的な価値の低さから撤兵を促す西側諸国の助言を振り切り、大規模な戦力投入を続けたとされる。結果的に、ウクライナ軍に多数の死傷者が出ることになり、シルスキー氏の人望も低下したという。

山下氏は「ザルジニー氏は、年上で階級も上だったシルスキー氏を強くいさめることができなかったのでしょう。好きにやらせた結果が、バフムートでの戦力消耗につながったと言えます」と語る。

そして昨年6月から始まったウクライナ軍の反転攻勢は、めぼしい成果を上げられないまま、膠着状態に陥っている。北朝鮮から弾薬提供を受けたロシア軍に対し、米国など西側諸国からの支援が十分ではないウクライナ軍は攻勢に出られない状態だ。

北東部ハルキウ州のクピャンスク、東部ドネツク州のアウディーイウカなどで、ロシア軍が勝利したり主導権を握ったりしている。

山下氏は「戦況が悪化するなかで、ゼレンスキー氏は自らへの非難の矛先を、別に向けたかったのでしょう」と語る。

ロイター通信によれば、2023年終盤の世論調査では、ウクライナ国民の90%以上がザルジニー氏を信頼していると答え、ゼレンスキー氏の77%を大きく上回っていた。ゼレンスキー氏も、ザルジニー氏が将来、自分の政敵になるという懸念を募らせていたのかもしれない。

しかし、今回の交代劇は逆に、ウクライナを取り巻く状況がそれだけ厳しいことを内外に印象付ける結果になった。

「ウクライナにとっての終わりの始まり」?

山下氏は「戦時中に最高司令官を交代させることは禁じ手です。作戦の失敗や戦況の悪化を自ら認めることになり、自軍の兵士を不安に陥れ、士気を大きくくじくことになるからです」と語る。日露戦争中の1904年から1905年にかけてあったロシア・旅順要塞の攻略戦では、日本軍は多大な犠牲者を出し、最高指揮官だった乃木希典将軍に世論の批判が集中したが、指揮官の交代はなかった。

山下氏は「今回の総司令官交代は、ウクライナにとっての終わりの始まりかもしれません」と語る。

望みの綱は、今春から夏にかけて始まるとみられる、米国製F16戦闘機の配備だが、滞っている弾薬など、西側諸国からのウクライナへの軍事支援が回復する見通しは立たない。秋の米大統領選でトランプ氏が当選すれば、米国のNATOへの関与はさらに低下するかもしれない。個人的にNATOとも太いパイプがあったザルジニー氏の退場は、ウクライナにとって大きな打撃になる。

厳しい状況のなか、新しい総司令官に就任したシルスキー氏は、ゼレンスキー氏の期待に応えるため、攻勢に転じなければならない。だが、バフムートなどで多数の犠牲者を出したことから、ウクライナ軍兵士はシルスキー氏に反発しているという情報もある。さらに、現場重視で人命を尊重したザルジニー氏から、ロシア軍式の中央統制スタイルのシルスキー氏に代わり、ウクライナ軍自体が戦術の変化に戸惑うかもしれない。

シルスキー総司令官は2月14日、就任後初めて東部戦線を視察し「戦況は極めて困難な状況にある」と述べた。これはゼレンスキー大統領と戦況判断の不一致で解任された前任のザルジニー氏と同じ認識と言える。これを裏付けるように最新の戦況では、ウクライナ軍は要衝アウディーイウカからの撤退を決めた。同地は戦略的にはさほど大きな価値がない地点とされるが、両軍が激突した結果、世界的に注目を集める戦場と化していた。

ザルジニー氏は人命を尊重して無謀な作戦を避ける考えから、反転攻勢を急ぐゼレンスキー氏に従わず、最終的に更迭された。シルスキー氏は結果として、より多大な犠牲をウクライナ軍に強いることになるかもしれない。ゼレンスキー氏の立ち位置はますます厳しいものになっていくだろう。