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世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)の歴史を振り返る 北朝鮮と韓国の会合も

ダボス・リポート2024 更新日: 公開日:
毎年、世界経済フォーラムの年次総会が開かれるスイス東部ダボス
毎年、世界経済フォーラムの年次総会が開かれるスイス東部ダボス=2024年1月、世界経済フォーラム提供

始まりは1970年代

ダボスは夜間に雪が積もり、朝ホテルを出ると、-13度だった。雪靴で凍った道を滑らないように歩き、会場近くまで行く列車の駅に向かう。列車の車内はスキー板を抱えてすぐに滑れるように準備している人やスーツ姿の参加者、地元の通勤客が入り交じり、不思議な雰囲気だ。

車窓の外には森が広がる。時々クロスカントリーをしている人が見える。スノーボードをしている人が、列車のすぐ横で並走するように滑っていった。

ダボスは標高約1500mの山の中にあるリゾート地で、夏は避暑地、冬はスキー場として賑わう場所だ。人口は1万人あまり。なぜ山深い小さな町でこんな大きな会合が開かれるようになったのだろうか。

始まりは、1970年代にさかのぼる。スイスのジュネーブ大学の経済学者クラウス・シュワブ教授が企業トップを招き、ヨーロッパの企業がアメリカの経営手法に対抗する手法や、株主だけでなく、従業員や顧客などにも利益をもたらす経営のあり方について話し合う会合を始めたのがきっかけだった。

登壇したクラウス・シュワブ教授
登壇したクラウス・シュワブ教授=2024年1月、世界経済フォーラム提供

毎年会合を重ねるうちに参会者は増え、ドル固定相場制(ブレトンウッズ体制)の崩壊や第4次中東戦争といった歴史的な転換点を契機に、経営や経済だけでなく政治や社会問題などへも範囲を広げていったのだという。

歴史的な舞台、格差の象徴にも

1989年には北朝鮮と韓国がダボスで初の閣僚級会合を開き、東西ドイツの統一が話し合われたこともある。回数を重ねるうちに、影響力の大きい企業トップや政治家が会う場所となった。

「世界経済フォーラム」といういまの名前になったのが1987年。2015年に国際機関として認定された。

世界のトップ企業や政治家から、アーティストまで個人的なつながりを得られるというメリットもあり、参加する企業が増える一方で、金持ちのエリートが集まる「金持ちクラブ」という批判もつきまとってきた。

特に、世界で富裕層が一部の富を独占し、経済格差が広がる中で、ダボスはその象徴とも見られることも多い。

今年の年次総会(ダボス会議)への参加者は各国の首脳や国際機関のトップ、民間企業のトップなど、2000人を越える。中でも注目を浴びたのが、ウクライナのゼレンスキー大統領。ほかにも、中国の李強首相、フランスのマクロン大統領、スペインのサンチェス首相、イスラエルのヘルツォグ大統領などで、アメリカのブリンケン国務長官、サリバン大統領補佐官なども。

国際機関では、グテーレス国連事務総長や、世銀総裁、WHO(世界保健機関)事務局長、EUのフォン・デア・ライエン欧州委員長なども参加している。フォーラムの発表だと、今年は「世界の主要地域から、60人以上の各国政府リーダーたちを含む300人以上の公人が参加予定」とある。

今年参加している企業トップでは、オープンAIのサム・アルトマンCEO、マイクロソフトのサトヤ・ナデラCEO、セールスフォースのマーク・ベニオフCEOなど日本でも名の知られる大企業のトップがずらりとならぶ。動物行動学者のジェーン・グドールさんら研究者のほか、俳優のミッシェル・ヨーさん、チェリストのヨーヨー・マさんら多くのアーティストも名を連ねる。

登壇するオープンAI社のサム・アルトマンCEO=2024年1月18日、スイス東部ダボス、ロイター通信

会期中は、あちこちで立ち話をしている各国政府高官や、著名人がいる。ふだんならアポを取るのことも難しいような人でも、気軽に声をかけられる。大都市の大会議場で、この雰囲気を作り出すのは確かに難しいだろう。

雪に閉ざされた小さな町だからこそ、膝をつき合わせて話をしたり、個人的な関係を結ぶ緊密さが生まれるーー。シュワブ氏がこの町を会場に選んだのも、そうした理由があったという。

もっとも、現在は規模が大きくなりすぎて、会場周辺で宿泊を探すのは至難の業だ。宿泊費も高騰し、何年も続けてホテルをおさえていないと、1泊数十万円から100万円以上というとんでもない額になる。政府係者の中には約2時間離れた隣国のリヒテンシュタインに宿泊して通ってくる人もいるらしい。

期間中は、民泊でさえ1泊数十万円、中には100万円を超しており、この町は1年の収益のほとんどをこの数日で稼いでいるようだ。

地元に住むフランクさんは毎年、会場と隣接する町を結ぶシャトルバスのドライバーとして働いているという。

「この時期は町は一部閉鎖されるし、ものすごい警備になる。みんなそれに慣れているから、それぞれの過ごし方があるんだ」と話す。町を出る人もいれば、会議関係の仕事をする人も多い。ホテルが高騰するため、スキー客も町から消える。

「ゲレンデはがらがらだから、スキーし放題になる。地元の特権だね」

では、中ではどんな話がされていたのか。次回報告する。