黒人コミュニティーで公立学校閉校 教師らハンスト
ーーみなさんが社会活動に取り組むようになったのはなぜですか。
2000年代初頭、市は地域の公立学校を相次いで閉校し、私立にしたりチャータースクール(教育委員会から特別認可を受け、民間が運営する学校)にしたりしようという動きがありました。対象はすべて黒人コミュニティーの地域。こうした市の動きに声をあげようと、ハンガーストライキなどが行われ、教職員組合の教員もそこに参加しました。
そうした運動を通じ、保護者や生徒と一緒にコミュニティーに根差した活動をしてきた労組内のグループができました。2010年、選挙によって新執行部が誕生し、今のようなやり方を採用するようになり、活動が大きく変わりました。
――どう変わったのですか。
リーマン・ショック前後に労組も非難にさらされましたが、こうした攻撃と効果的に対抗するためにも、他団体とつながることは重要だと思うようになりました。他団体との支援と連帯で、ほかの人たちの要求にも気づかされました。
こうしたプロセスはある意味で、労組としてのアイデンティティーを変革し、何ができるのかを考えるきっかけになっています。シカゴという街は社会運動の盛んな土地柄で、いくつものコミュニティーができそれらが影響力を持っています。
――その一つが、持続可能なコミュニティースクールですね。20の公立学校が地域団体などと連携して、子どもだけではなく、地域の大人も支援して、学校を核にして地域再生を目指す取り組みです。労組はどう関わっていますか。
シカゴで黒人や肌の茶色い子どもたちが等しく教育を受けられるように、他団体と一緒に要求することはこれまでの運動の延長としてとらえ、必要不可欠だと思っていました。
この活動について2016年の労働協約に盛り込みました。労働協約は、象徴的な価値とともに実用面でも有効です。政治家の発言などではなく、実際に書面になっているので、それをベースに実行する手段になる。実現できたのは書面の労働協約があったからです。
労働協約づくりには地域団体のメンバーも加わりました。私自身、当時はその責任者で、各団体の担当者に何が起きているのかを伝え、課題や伝えたいアイデアがないかをたずねながら進めていきました。
こうしたやり方は前例がなく、市は非常に怒っていました。ほかの人が入れば、議論や決定の過程が世間にさらされます。教員と保護者が一緒になってコミュニティーと立ち上がるのを怖いと感じたようです。
暴力や貧困に取り組み社会的公正目指す
――この活動は労組にとってどのような影響を与えましたか。
健康保険と賃上げを要求するだけではなく、社会的公正さを追求するという意味で、私たちの教職員組合としてのアイデンティティーを広げました。
労組に加入するということは、社会とのコミットメントが生まれる。子どもの学ぶ力に大きく影響する問題を解決するためには、暴力、貧困といった根源的な問題を指摘する必要があると気づかされました。
――組合ではほかにどんな要求をしてきたのですか。
シカゴには、ホームレス状態にある子どもたちが2万人いて、全児童生徒の6%を占めます。多くは黒人ですが、移民の子どもたちも増えています。学校に来ても、家がない状態であれば十分な休養も栄養もとれません。学習には休養や栄養は不可欠です。またホームレスの経験がある子どもは、生活態度の面からみても課題が多くみられます。
家がない子どもは宿題ができない。子どもたちは学べる環境になく、教職員もきちんと教えられない。それを改善するのは私たちの務めです。そうやって教員たちが教室で日々経験していることを突き詰めて考えてもらい、もっと広い目標を設定することが重要です。
2019年には、市に対してホームレス状態にある子どもたちに住まいの提供を要求しました。実現できませんでしたが、最近、ボストンの教職員組合は、4000軒の住まいの提供を実現させました。やればできるのです。
――どのように進めたのですか。
実は、私が提案した時、多くの人が「そんな要求聞いたことがない」「勝てないよ」と及び腰でした。でも要求事項には可能なことだけではなく、不可能だと思っても入れることが、学校で起きている問題を提起し、考え方を改めさせて新しいモデルをつくることにつながるんだと説得しました。最終的には、優先順位は低めでも要求事項に入りました。
当時の市長にも「(そのテーマは)労働協約に適切ではない」とも言われました。そしたら多くの人が怒ったのです。どうして子どものホームレスの問題が「適切ではないのか」と。世論とメディアの反応をみて、組合の人たちも「これなら闘える」と感じるようになっていきました。
――その結果はどうなりましたか。
全学校の看護師とソーシャルワーカーの配置につながりました。医療面や子どもたちの感情やトラウマを受けとめることを専門としていない先生たちにとってはそれらを受けとめるのは大変です。
また初めて、各学校にホームレスの子どもたちの担当が作られました。食事をとれているか、住まいの支援が得られているか、引っ越した場合には、次の学校に転入できているかをみていくのです。
前例なくても必要なことを話し合う 政治にも参画
――住まいの提供はそもそもどのように着想したのですか。
ロサンゼルスの教職員組合が、緑化を掲げていました。校庭にもっと自然を増やしたり、ソーラー発電を手掛けられるように子どもたちにプログラミングを教えたりといったことを掲げ、実際に市当局に受け入れさせました。そこから着想しました。ロサンゼルスやボストンなどとは切磋琢磨しています。ただ全国組織からの指導はありません。でも本来は、もっとやっていく必要があります。
ほかの産業の労組との交流があり、全米自動車労働組合(UAW)のショーン・フェイン会長は私たちの組合活動がモデルだと言ってくれました。そして彼らは今回のストで新しく、一週間の労働時間を40時間ではなく、32時間(週休3日)にすることも主張しました。私たちの組合以外にも変化をもたらしていると感じています。
――先生が声をあげることに対して、生徒たちからの反響はありますか。
今秋シカゴであったUAWのストに、連帯を示すために行くました。シカゴの工場で働いている教え子2人もその場に来ていて、声をかけてくれました。「来てくれてありがとう。こうやって活動することは先生から学びました」と言ってくれました。これまで生徒のグループにも労働協約について説明してきました。でも今度は市内の全生徒が参加できるかたちで、労働協約について彼らの声を聞く場をつくることも考えています。
――労組としてのこれまでにない要求や運動はどのように発想するのですか。
こうした前例のない要求を考えるとき、私たちの常識が試される面があります。多くの先生は経験したこと、予見可能性があること、日常的に起きていることをベースに物事を考えます。多くの人に、より大きな夢を見てもらうようにすることが、新しい可能性を生み出すことにつながります。
労組のリーダーの仕事は、前例がなくても必要なことを話しあい、丁寧に考えようと伝えることです。正しい問いをたてることが重要です。
そのために夏に勉強会を開いています。50人くらいが受けて、オーガナイジングの会話の基礎を学び、その人たちが次に学校訪問にいく。まず課題を聞く。そして考え方を示す。税金を払いたくない自治体、もしくは裕福な企業相手に要求をのませるように、私たち自身を訓練しています。
ーー政治への参画を目指そうと思ったのはなぜですか?
2012年、私たちが歴史的なストをした直後、当時の市長が、それまで以上に閉校を断行しました。報復のために政治的な権力が使われたことは明らかでした。教育委員会は学校の教員、子どもたちとその家族の声を聞いていませんでした。市長が阻害するなら、市長を変える必要があると。当時の教組の会長は体調が理由で政治的な挑戦は難しくなりましたが、私たちにはその可能性があると思うようになりました。
――実際、元組合のメンバーから市長を輩出していかがでしょうか。
市長だけではなく、市議会議員にも、かつて草の根の活動でハンガーストライキをやった組合員の1人がなりました。私たちはこれまで教育委員会に無視されたり、さげすまれたりしてきましたが、私たちの主張を聞いてくれるようになりました。今まで出会えなかった重要な判断をする立場の人たちとも会議で話せるようになりました。課題解決も迅速に進むようになっています。
その結果、同時に何に予算が使われ、だれが雇われ、何がおこなわれているのかがよりわかるようになりました。すべての先生たちに12週間の有給での育休を実現しました。今まで以上に労組に入りたい人たちがでてきました。
まだまだ変えないといけないことがたくさんあります。ただ、今の市長も、多くの課題をいっぺんに向き合わざるをえず、私たちも常に批判にさらされています。でもそれでもより良い変化をもたらせることを示したい、そう思っています。