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黒人を負の連鎖から救い出す 「最重要は仕事でも学校でもない」という大切な視点

ホワイトハウスへ猛ダッシュ
メリーランド大学で黒人研究をするジョセフ・リチャードソン教授=2021年8月13日、メリーランド州カレッジパーク、ランハム裕子撮影

【前の記事を読む】「僕も13回刺されたことがある」元密売人の壮絶な経験、若者を救う武器に

■何よりも大切なものは

「全てはここから始まる」

メリーランド州立大学のジョセフ・リチャードソン教授(52歳)は頭を指さしながら、目を見開いてこう言う。「若者たちにとって一番大切なのは仕事を見つけることでも、学校に入ることでもない。精神的に健康でなければ何をしても成功しない。雇用率や進学率をコントロールすることはできないが、自分をコントロールすることは可能だ」。リチャードソン教授は何よりもメンタルヘルスケアの重要性を強く訴える。

その理由は、重傷を負った若者たちが身体的な傷だけではなく、深い心の傷を負っている場合が多いからだ。リチャードソン教授はプログラム立ち上げの準備期間に繰り返しケガをし運ばれて来る若者たちについて研究を重ねた。「幼少期から暴力行為や性的虐待を受けたり目撃したりした人。暴力や麻薬中毒により親を亡くした人。収監により家族や親がいない状態で育った人。貧困区域で育った人のほとんどが生涯に渡る心理的トラウマを抱えていた」。このトラウマが「負の連鎖」の大きな要因の一つになっているとリチャードソン教授は分析する。

研究対象としてリチャードソン教授に出会い、後に「インターベンション・スペシャリスト」としてプログラムに従事したチェ・ブロックさん(33歳)も例外ではなかった。「特に25歳で13回刺されて以来、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、これまでの人生で一番辛い期間を過ごした。精神的にボロボロだった」と話すブロックさんは、助けられる側から助ける側に移行した後も、自身のトラウマとたたかっていた。

「私の活動をサクセスストーリーだと言う人がいるが、幼少期から積み上げられた心の傷を癒すことは簡単ではなかった。未だに苦しむことがある。トラウマはスイッチのようにオンとオフができるようなものではない」

チェ・ブロックさん=2021年10月5日、メリーランド州ランハム、ランハム裕子撮影

■黒人の若者が抱えるトラウマ

CAP-VIPのセラピストとして若者のメンタルヘルスの改善に従事したエドワード・マッカーティーさんは、プログラムに参加した黒人の若者が持つ主な症状についてこう説明する。

「PTSDに苦しむ人は、2つの領域を行ったり来たりする。1つは過度の疑心暗鬼。神経組織が常に警戒した状態にあり、静寂や安全を感じることができないため、人とのコミュニケーションは『相手がどれだけの脅威か』を査定することに集中する。もう一つは人との関係を完全にシャットダウンし深い鬱に陥る状態。家から出ることもできず、家族や友達との関係も遮断しようとする」。さらにストレスホルモンが分泌され続けることが、動脈硬化や炎症、自己免疫疾患、リウマチ性関節炎などの慢性疾患を引き起こす原因にもなるという。

「黒人の若者の多くは、人を撃ちたくて銃を持つわけではない。人との信頼関係がなく、常に危険を感じる環境の中で、反射的に自分を守ろうとするリアクションだ」とリチャードソン教授は語る。「銃を持つ。酒や大麻に溺れる。彼らがなぜそのような行動をとるのか。一つ一つに原因がある」。

ブロックさんは暴力が横行する黒人の貧困区域について説明する。「深いトラウマを抱えた人たちが歩き回る環境は、まるでコーラだ。コーラの缶を振り続ければ、どうなるか。開けたら爆発するだろう」。

常に危険を感じ疑心暗鬼の状態でいれば、過剰反応を起こすことで暴力が生じる。いくら体の傷が治っても、同じ精神状態で元の環境に戻れば、また病院に戻って来ることになる。このパターンを変えることがリチャードソン教授のプログラムの目的だった。

一方で黒人男性がメンタルヘルスケアを求める率は極めて低い。マッカーティーさんによれば、その理由は2つある。1つは、米国で黒人が経済的に最下層にいるということ。貧困率が高く、限られた資源へのアクセスしかない状況で、心理的治療を求める余裕を持つ人は少ない。2つ目は黒人社会にある固定観念だ。メンタルケアを求めることが特に黒人男性の中で「弱い」または「クレイジーな」人の象徴される傾向が根強く残っている。このスティグマこそが、治療への道の大きな障害となっているという。

プリンス・ジョージズ病院にある「トラウマ・ベイ」と呼ばれる外傷センター(2018年、リチャードソン教授提供)

「プログラムに参加した若者たちの99%が、これまでメンタルヘルスケアを受けたことがなかった。彼らは銃で撃たれたり刃物で刺されたりしなければ、生涯背負ってきたトラウマを誰かに打ち明けたり、向き合ったりすることはなかった」。リチャードソン教授は現状を嘆く。

「幸か不幸か、彼らは重傷を負ったことがきっかけで初めて心の治療をすることができた」

■プロジェクトの成果

暴力と隣り合わせの環境が原因で繰り返される外傷は「トラウマ・レシディビズム(外傷の再犯率)」と呼ばれる。リチャードソン教授によれば、トラウマ・レシディビズム率は全米で5%から60%という広範囲に渡り、地域によって非常に異なる。例えばワシントン近郊のボルチモアにある外傷センターのレートは58%だ。つまり10人中6人が、退院から数年以内に同じような重傷を負い病院に戻ってくる。

プリンス・ジョージズ病院内にある外傷センター。重傷患者が運ばれてくると、応急処置のガーゼなどが床に散乱する(2018年、リチャードソン教授提供)

リチャードソン教授が2017年に立ち上げたCAP-VIPプログラムには、2019年までの2年間で計116人の若い黒人男性が参加した。その中で病院に戻ってきたのは1人だけだった。リチャードソン教授は語る。

「プログラムを立ち上げる前のプリンス・ジョージズ病院のレートが32%だったことを考えれば、2年後に1%以下まで下がったという結果はプログラムが成功したことを意味する」