「ブーン」おもちゃで遊ぶ子どもがヒントに
東京を拠点に活動するイギリス出身の作曲家兼音楽プロデューサーのニック・ウッドさん(59)は2019年冬、「ある音」のヒントを求めて京都を散策していた。子どもたちが車のおもちゃで遊んでいるのが目に入った。エンジン音をまねて、「ブーン」という声を出しながら。
それで、ひらめいた。
映画からCM音楽まで幅広く手がけるウッドさんが探していたのは、電気自動車(EV)のための音だ。エンジン車のような音が出ないEVには、低速で走っている時、周囲の歩行者に車の接近を知らせる警告音を出す装置(AVAS=車両接近通報装置)が必要になる。ウッドさんが求めていたのは、「これまでとは全く異なるAVAS音」だった。
クライアントは、イタリアで創業した自動車メーカー、フィアット(現在はステランティス傘下のブランド)。初めて世に送り出すEV、FIAT500e(チンクエチェントイー)のためのAVASだ。
ウッドさん自身、個性的なデザインを気に入り、東京でフィアットのエンジン車に乗っていたことがあった。他のメーカーのAVASを聞き、「宇宙船や飛行機のような音」に物足りなさを感じた。
人の声にひかれたのは、このとき訪れた京都の禅寺、建仁寺の両足院での経験もあった。静かな庭で思いを巡らせた。「わび、さびの概念を支えるのは、不完全の中にある美。それも生かしたいと思った。人の声は不完全だ。だからこそ美しいのではないか」。声を大切にするオペラの国、イタリアにふさわしいアプローチだと確信した。
フェリーニ映画の曲でイタリアテイストアップ
老舗メーカーの歴史を、未来の主役となるEVが引き継ぐ、をコンセプトに据えた。ガソリン車が出していたエンジン音をあえて、無音で走るEVから出す。しかも人の声を使うという、ユニークなやり方で。
声は、フィンランドのルディ・ロックさんに頼んだ。人や動物の声帯模写で知られるボイスアーティストだ。さらに、ミラノの作曲家とも連携し、イタリア音楽の巨匠ニーノ・ロータが作曲したアマルコルドのテーマを加えることにした。世界的な映画監督フェデリコ・フェリーニが映画で使った楽曲だ。
「こうしてフィアットにぴったりの、素敵なソニック・ブランディング(音のブランディング)が完成した」
11月上旬、フィアットの創業地トリノを訪れると、500eが軽快に走り回っていた。間近でその音を聞きたいと思い、東京のステランティス・ジャパンを訪ねた。500eが滑り出すように動くと、人の声とは思えないようなAVASの「エンジン音」が静かに鳴り始める。時速20キロを超えると、アマルコルドが響いた。爽快感があり、「さあ出発だ」という高揚感も得られる。
その後発売されたスポーツタイプのEV、アバルト500eは、アクセルと連動したリアルな「エンジン音」を響かせる。ステランティス・ジャパン広報マネジャー英(はなぶさ)信司さん(59)は「EVのドライビング体験をより楽しみ、満足してもらうための仕掛けです」と説明する。
「車が白物家電化しないように工夫」
音に力を入れるのはフィアットだけではない。映画音楽の作曲家を起用し、EVのスイッチ音などを作るメーカーもある。
こうしたブランディングはなぜ必要なのか。欧州の車事情に詳しいモータージャーナリストの竹花寿実さん(50)によれば、源流は1980年代に日本で起きた高級車ブーム、いわゆる「ハイソカーブーム」にさかのぼる。静かな走りを売りにした車が一つのトレンドになり、ハイブリッド車と、エンジンのないEVの登場がその流れを後押しした。
竹花さんは「静かさは一つの価値だが、同時に、ブランドの個性を見えにくくする」と指摘。「多くのお金を払って買ってもらう車が『白物家電化』しないように、特に高級車メーカーがサウンドデザイナーを起用したり、AVASを選べるようしたりして、オーナーの満足度を高める工夫をしている」。また、ドライバー側にもスポーティーな車ではエモーショナルな音を聞きたいというニーズは根強いといい、「EVのレーシングカーを開発しているポルシェは、モーター音を増幅させて迫力のある音を作り出している」と言う。
企業による音のブランディングは、想像以上に私たちの耳を刺激するようになっている。商品名を連呼するだけでなく、企業が体現したい価値を表現したり、消費者にワクワク感をもたらしたり。有名なのはマクドナルドのサウンドロゴだろう。多くの人が「パラッパッパッパー」を聞いたことがあるはずだ。ネットフリックスは、「ダダーン」で、コンテンツへの期待感を高める。現在では、サウンドロゴを作る自治体も現れているほどだ。
音のブランディングが盛んになった背景には、消費者への視覚による情報伝達が難しくなったこともある。ソーシャルメディアの台頭で、人々は一日のかなりの時間を、動画を見たりテキストを読んだりして過ごすようになった。視覚情報は飽和状態で、割って入る余地はない。一方、「ながら聞き」という言葉があるように、何か他のことをしているときも聴覚には情報を伝えることができる。音や音楽は潜在意識への働きかけが強く、気分や行動に与える影響も大きいとされる。スマートスピーカーやスマホの音声アシスタントの普及も、このトレンドを後押ししている。
東京や上海、ロサンゼルスなどに拠点を置く音楽制作スタジオSynの創設者でもあるウッドさんは、国内外の多くの企業の音のブランディングを手がけてきた。
日本の発音を意識したり、無国籍を意識したり
今では「パラッパッパッパー」で知られるマクドナルドだが、かつて日本では「マークドナーアールド」という、少しゆっくりしたテンポのCMが流れていたことを覚えている人もいるだろう。ウッドさんは「日本では、英語の『マクダーナルド』という発音をしない。日本人の言い方に合わせないと心に響かないと思った」と振り返る。
一方、飲料メーカーのキリンのサッカー日本代表応援CMソングとしても知られる楽曲「パッション」では、どこの国の言語でもない言葉を使った。軽快なリズムとあいまって、「ランバラバラ エ ランバラバラ エ」という言葉の連なりが、国境を越えて愛されるサッカーというスポーツの楽しさ、興奮を観客に伝える。
ウッドさんにとって、優れた音のブランディングとは何なのだろうか。「究極のゴールは、目を閉じて音を聞いた時、名前やロゴを見なくても、誰なのか、何なのか分かること」。ただ、それには忘れてはならないことがあるという。「記憶に残る、これまで聞いたことがないような素晴らしい印象的な音ができても、露出が少なければ覚えてもらえない。多くの人が繰り返し聞いてくれるかどうか。そこはクライアントの力なのです」
「ただ、一つお伝えしたい」と続けた。企業の力による露出でもなく、映画で使われたのでもないが、素晴らしい音のブランディングの例が日本にはある、という。
♪いしや~きいも~、やきいも~
「聞くだけで、何のことか正確に分かる。しかも、その音を聞くとおなかまですいてくる。すごいと思いますよ」