強制的に男女同数にする究極の制度がフランスの県議選に導入されている。男女がペアを組んで立候補する制度だ。ペアに投票するのだから当然、当選するのは男女半々となる。
このドラスティックな制度によってどう変わったのか。調べると、制度導入直前の選挙で女性が一人も当選していなかった県、つまり女性が一気に半数に増えた県が三つあった。その一つを訪れた。
「女嫌い」の有力者 ペア選挙で「王朝」終結
フランス南西部に位置するタルヌ・エ・ガロンヌ県。面積が小さい県で、人口も26万人あまり。主な産業は農業で、ブドウ畑やトウモロコシ畑など、のどかな風景が広がる。
この県の政界に長年にわたって強大な影響を及ぼしてきた存在が、「ベイレ一族」だ。
長く女性ゼロが続いたこの県議会。実は唯一の例外もベイレ一族だった。エブリーヌジャン・ベイレさん。1970年から1982年までフランスで女性として初めて県議会議長を務めた。エブリーヌジャンさんの夫は1959年に亡くなったが、県議と選挙区が重なるヴァランス・ダジョン市の市長を兼務していた。夫の死後、彼女が後継者となった。
さらに、このベイレ夫妻の息子、ジャンミシェルさん(76)も、1985年から30年にわたり県議会議長を務め、今も現役の県議。元老院議員や閣僚経験もあり、国政でも有名な人物だ。
2011年には社会党の大統領選予備選に出馬し、大統領を務めたオランドに敗れた。1977年から2011年までと、20年からヴァランス・ダジョン市長も兼ねる。
一族は地元紙のオーナーでもあり、政敵を紙面で批判してきた。資産家で、地元には一族の名をとった道路や公共施設もある。
「彼は女性嫌いとして有名。私が当選した当初は、毎日のように新聞で攻撃されて大変だった」。県庁所在地モントーバンの女性市長、ブリジット・バレージュさん(70)はそう語る。20年以上にわたり市長を務め、2002年から10年間は国会議員を、2015年からは県議を兼ねていた。
ジャンミシェルさんは県議会議長のとき、男女ペア立候補制度に反対を唱えた。所有する地元紙でも反対の主張を載せた。
県議会に激震が走ったのは、そのペア選挙の直後のことだった。
制度に反対していたジャンミシェルさんだが、制度が導入されると女性に声をかけてペアを組み、立候補して当選した。議長選には当選する見込みがないと考えたのか自らは立たず、別の女性を擁立した。
ところが、その女性が議長選に落選したのだ。
「システム・ベイレやベイレ王朝と呼ばれ、長年この地域を支配してきたベイレ一族の力が落ちたことを見せつけた出来事だった」(元県議)。バレージュさんは「男女ペア制度がシステム・ベイレを終わらせたのだ」と強調する。
ペア制度の導入により、ペアを見つける作業の前に引退を選んだ男性議員もいた。公然とベイレを批判して当選した若い男性議員も現れた。
バレージュさんの後押しを受けて、25歳の時に2015年の選挙で当選したマチュー・アルブーグさん(34)は、「ベイレは自分の支持者しか相手にしない。男性の政治家はプライドとかメンツにこだわって対立することが多いが、女性は違う。だから県議会でも女性のほうが政治交渉もやりやすい」と話す。
女性が増えたことによって県議会の権力構造が変わったのだ。
パスカル・オリエンティスさん(59)は、ペア制度が導入される直前まで県議を一期務め、ペアを見つけて立候補したが、落選した。
「私は無所属だったんですが、ペア選挙導入で選挙区の広さが倍になったことで、無所属の候補には不利になったと思う。どういう人物なのかわからず、政党本位で選ぶようになったのでは」。今は地元のサンタモンドペラガル村の村長をしている。ただ、ペア制度自体には賛成だという。
「男女同数まで70年以上」危機感から制度導入
なぜ、男女ペア立候補制度が導入されたのだろうか。
もともとフランスも女性政治家が少なく、1993年の時点で下院(国民議会)の女性比率は6%にすぎなかった。EU諸国の中でも少ないのが目立ち、女性政治家や市民団体は女性を増やすことを求めた。
政党間でも争点に浮上。1999年に憲法が改正され、翌年には「同数」を意味する「パリテ」という言葉を使った通称「パリテ法」が制定された。政党は下院の選挙に際して男女同数を擁立することが義務づけられ、守らなかった政党には政党助成金を減額するという罰則が設けられた。
ただ、フランスは小選挙区制なので、必ずしも女性が半分当選するわけではない。女性比率はパリテ法導入の前に比べれば増えたが、2022年の総選挙後は約37%だ。
県議会は国政にも増して女性比率が低く、1999年時点で1割を切っていた。「このままでは男女同数まで70年以上かかる」(2008年に出された政府の報告書)との危機感から、強制的に男女半々にしようと、男女ペアという世界的にもまれな制度が導入されたのだ。
「法案審議の際は、むやみに女性を増やして政治の質を下げるとか、立候補できる女性がいないとか、批判や非難、冷笑や嘲笑の嵐だった」
パリテを監視する独立機関「女男平等高等評議会」(HCE)の会長、シルビー・ピエールブロソレットさんはそう説明する。今では「女性が増えて政治の質が下がった」といった議論はほとんど聞かれないという。
女性にとって、ペア選挙が政治の世界に出るハードルを下げるのは確かなようだ。
タルヌ・エ・ガロンヌの県議、クリスチャン・ルコーさん(71)は、もともとアパレル関係の仕事をしていて、ペア選挙の導入と共に出馬し、現在2期目。「市のレベルだったら政治家に立候補していたかもしれないけれど、県議は考えたこともなかった。ペア制度の導入で、立候補しないかと声をかけられたのが大きい」
同じくカトリーヌ・ブルドンクルさん(57)はソーシャルワーカー出身で「ペア制度でなくても立候補していたと思うが、制度によって立候補しやすくなった」
現在、タルヌ・エ・ガロンヌにあるモリエール市の市長を務めるバレリー・エブラルさん(52)は、「自分も県議選に出ないと声をかけられたが、今は市長に専念したいので断った」という。「ペア制度は必要だった。女性が、より政治に関心を持つようになった。でも、ペアの相手に女性を選べないのは問題だと思う」
クリスティーヌ・テリエさん(67)とマリーアニエス・クロワーさん(72)は、パリから電車で1時間ほどの距離にあるロワレ県の女性県議だ。2人ともペア選挙によって当選した。同県議会は、タルヌ・エ・ガロンヌほどではないが、制度導入直前の選挙で女性比率が約14%だった。
中学校の校長だったクロワーさんは、ペアの男性に声をかけられて出馬した。「政治の世界に関心はあったけど、ペア制度じゃなかったら立候補しなかった」。子どもや障害者を支援するNPOの仕事から転じたテリエさんは「私は政治家になりたかったので、ペア制度じゃなくても立候補したと思うが、この制度じゃなかったら当選は難しかったと思う」。
NPOの地道な活動、政策の変化…次は国民議会?
2人が声をそろえたのは「女性が増えて政策が変わった」ということだ。
「男性の関心は、道路や箱物といった公共事業が中心。でも障害者スポーツの促進や子どもの貧困、シングルマザーの支援などの政策が、女性議員が声をあげたことで次々に実現した」という。
彼女たちを支援してきたのが、女性を政治に送り出す活動をしているNPO、 Elles aussi(彼女たちも、の意味)だ。Elles aussiは30年以上にわたり活動を続け、女性政治家を後押ししてきた。女性政治家を増やす政策がとられてきたのは、このような団体の地道な活動も大きい。
国民議会の議員で、マクロン大統領の創設した「共和国前進」から2017年に初当選したベロニク・リオトンさん(54)は「私が当選したてのころは、国会議員のなかでも性差別的な発言が結構あった。今はずいぶん少なくなったと思う。政策も女性の健康に焦点をあてたものが増えるなど、変わった」という。
HCE会長のピエールブロソレットさんは「県議会で女性が半数になったことで、政策が変わるなど確かな成果を上げている」と評価する。
HCEは今年、国民議会でもペア制度を導入するようにマクロン大統領に提言した。ピエールブロソレットさんはこう強調する。「男女同数にするのには、ペア制度が最も効果がある。県議会でそれが実証されている」