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女性議員増やす制度を日本にも「男に勝てない」心理的すり込みなくす

World Now 更新日: 公開日:
スウェーデンの政治家は、年齢でも多様だ。18歳から立候補でき、レーケベリ市議のジョエル・オルセンさん(右)は大学生、バルムド市議のマヤ・カストランデルさん(左)は、高校生だ

今、政治の世界で男女平等が進んでいる国でも、昔からそうだったわけではない。日本だからできない、ということはない。有権者も多様性を求めている。

議会に女性が増えて多様性が増せば、政治は変わる。権力構造を変え、それまで光のあたっていなかった政策を実現する。しがらみや忖度(そんたく)、なあなあで回っていた政治をもっとオープンで透明に、公平にする。これまで政治取材を長年してきた日本、そして今回取材したフランス、スウェーデン、台湾などを観察したうえでの結論だ。

「先進国」もかつては日本と同じだった

スウェーデンも40年前は、年配の男性政治家がサウナに集まって、あるいはウイスキーを飲みながら意思決定をしていた。20年前には、乳児を議会に連れてきていいかが問題になった。日本でも似たような光景があるが、スウェーデンもそれを経て今がある。多様性が増せばこれらの問題は解決に向かう。「スウェーデンだからできた」のではない。

今年の統一地方選で初当選した東京都世田谷区議の小野瑞季さん(31)。彼女の区議会での質問の様子を見ようと、支援する女性たちが傍聴に出かけた。

質問中に年配の男性議員たちが不自然に大きな声でおしゃべりを始めた。その光景に驚いた女性たちは、「質問をしていた新人議員を萎縮させる心理的ハラスメント」と、議会において議員間で行われるハラスメント防止を条例化すべく動き始めた。

このように、政治の世界に異分子が入り込むと、今まで当たり前のように行われていたことが可視化されて疑問符がつき、改革が始まる。

政治の世界に女性を増やすための制度がある。たとえば、フランス県議選の男女ペア立候補制度、台湾の市議選の「女性枠」によるクオータ制だ。これらの制度には「女性政治家の質を下げる」という批判が日本では必ず出るが、そうはならない。

台湾では、最初は女性枠で当選しても、次からは男性に負けないで当選したいと思って奮闘し、女性枠を「卒業」していった女性たちが多くいた。昨年の統一地方選ではほとんどの女性が男性より多く得票して当選し、女性枠での当選は4人だけだった。

ただ、制度があることで、女性の政治参加を促す効果は確かにある。立候補への心理的なハードルを下げるのだ。台湾の女性枠で私が想起したのは、かつて取材した日本の科学者の世界での「女性限定」の公募枠だ。女性限定にすると、通常の公募よりも女性の応募者のレベルがぐんと上がったという。

男性と競合したら勝てない、と最初から思い込んで応募するのもやめてしまう。女性だけならば勝負できるかもしれない、と思えるのだ。この気持ちは、男性が圧倒的に多い政治ジャーナリズムの世界で生きてきた当事者として、とてもよくわかる。「男性に勝てるわけがない」とすり込まれてしまうのだ。

男性が必ずしも悪いわけではない。モノトーン、単一性が偏りを生むのだ。以前、男性看護師を取材したことがある。男性が多数の世界が多様性に欠けて問題が起こるのなら、その逆、女性が多数の世界はどうなるのだろうと考えたからだ。

そこでは女性と男性を反転させたことが生じていた。男性が誘われなかったランチ会で、重要なことが決まっている。男性が多数の世界で女性が疎外感を覚え、萎縮し、知らない間に物事が決まると感じていたこととまったく同じことが、女性が多数の世界で男性に起こっていた。

選挙戦略ではなく、正面から理念を掲げて欲しい

今、日本の自民党も衆議院の解散総選挙に向けて都市部を中心に女性や若い男性を次々に擁立している。なぜかといえば、そのほうが「勝てる」からだ。

今回取り上げた東京都杉並区の大部分が入る東京8区も、前回の総選挙でベテランの石原伸晃さんが立憲民主の女性の新人に負けた。

自民党は石原さんに代えて女性を公認。生存のため、権力を維持するために自民党は何でもする。政治に多様性を求める有権者を追いかけているのだ。有権者は女性候補を求めているという世論調査の結果もある。

権力闘争のために女性を増やすのが悪いとはいわない。政治とはそういうものだから。

しかしここは、正面から「女性を増やす」という理念、政治的意思のもとで制度を実現させる政治の姿を日本でも見たい。それこそ、有権者から支持を得て生き延びられる、かもしれない。