――世の中で社会課題を扱う広告が増えていますね。山田さんは大手広告代理店の博報堂をやめてまで、社会課題を専門とする広告会社を設立しました。なぜですか。
私が代表を務めている「社会の広告社」は2018年に設立しました。文字どおり、社会のための広告をつくることを専門にする広告会社です。
それまでは広告代理店の博報堂で、たくさんの商業広告を手がけてきたのですが、あるとき、社会問題だけを扱う広告をやりたいと思うようになり、独立したんです。きっかけは2011年の東日本大震災でした。
博報堂時代は、ビールや車、ファストフード、エネルギー関係、不動産……あらゆるジャンルのCMを作ってきました。
旬のタレントさんを起用して、大きいお金をかけてキャンペーンをするという、クリエーターとしてすごく刺激的で楽しい日々を送っていたんです。おそらく200本以上のCMは作ったと思います。
そんなとき震災が起きて、突然テレビからCMが消えたんです。その枠は、ACジャパンの公共広告に差し替えられました。僕らCMを作る人間は何もすることがなくなって。
僕自身も被災地を訪れる機会がありました。CMを担当したクライアントの店舗が被災して、泥かきの手伝いに行ったんです。泥の中からたくさん、腐ったサンマが出てきて……。クライアントの社長も来ていたので、その場でCMのプレゼンをしましたが、「今はCMやるタイミングじゃないよな」ということを言われて。結局、そのCMはお蔵入りしました。
東京に戻ってきて、悶々(もんもん)としていました。被災地のために何かできることはないかなと。
そこで思いついたのが、被災地を支援するNPOやNGOのCMを作ったらどうだろう、ということでした。
いろんな団体が被災地に入るかたわら、ネットを通じて被災地外に住む人たちにドネーション(寄付)を呼びかけていたのですが、そこには広告がありませんでした。
だったら僕はCMを作るボランティアをしようと思い、「チャリTV」というプロジェクトを始めました。チャリティーのテレビ局という意味ですね。サイトを作り、支援団体に片っ端から電話をして、「CMを作らせて下さい」とアプローチしたんです。
被災者と支援者とをネットでつなぎ、直接支援物資を届ける活動や、震災遺児の支援、自然エネルギーを増やそうという活動……。色んな団体にアプローチしました。
自家用車で被災地に入り、長いときで2週間、短いときで2泊3日ぐらいかけて転々とし、支援団体が活動している様子をビデオで撮影しました。東京に戻って編集をし、CMを完成させてチャリTVのサイトで見られるようにしました。
被災地ではたくさん、不条理を目撃しました。例えば、福島第一原発事故で生じた放射性物質で汚染された地域の人たちが移住する際、ペットは連れていけないので施設に預けていたんです。預けられたペットを支援する団体のプロモーションビデオを撮影するということで、福島県飯舘村に行きました。
おじいちゃんがペットの犬を預けるため、「一緒に暮らせねえからな」と言いながらおりに入れようとするんですが、犬が聞いたこともないような声で鳴きながらなかなか入ろうとしませんでした。カメラを回しながら涙があふれました。そんな経験は初めてでした。
もっと言うと、僕の両親が福島出身で、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚が福島に住んでいました。両親は当時、千葉県に住んでいましたが、避難してきた親戚がそこに身を寄せたりとか。
自分自身、博報堂に入ったころから東京電力を担当していました。原発やエネルギーのベストミックスについて、こんなにすばらしい科学技術はないぐらいの思いで広告を作っていました。
でも実際には安全でもなければ、環境によくもなかった。無邪気に広告をつくっていた自分を責めました。
CM作りを通じて色んな団体の人や被災者と話をすることで、気づいたことがありました。日本全体がぶっ壊れつつあるんだなと。
超高齢化や貧困格差、空き家問題、気候変動、DVや性暴力……。被災地はもちろん大変でしたけど、日本の各地で様々な問題が起きていることを知ったのです。社会問題について、シャワーを浴びるように知りました。
僕はそれまで、大企業の経済活動のために自分のクリエイティブのスキルを使い、CMを作る仕事を無邪気にしてきたわけなんですが、もっと伝えるべきものは世の中にいっぱいあるんじゃないかと思いまして。
それでも半年後には僕の回りは「震災モード」から「通常モード」に戻ったんです。テレビCMも経済活動も再開しました。
当然、今までやって来たプレゼンも始まり、何億みたいなお金をかけて、徹夜しながらプレゼン資料を作って、電通が勝った、博報堂が勝った、みたいな世界が戻ってきました。
伝えるべき社会課題が日本にいっぱいある中で、それを見て見ぬふりをして経済活動している自分に対し、「何をやっているんだ」と思うようになりました。ちょっとこれはもう、できないなと思い、社内でどんどん仕事を降りていったんです。
企業にいながら社会課題を伝える仕事をするにはどうしたらいいのだろうと考えて、ちょうどそのころ世の中で言われ始めていたCSV(Creating Shared Value)に注目しました。経済を回しながら、社会を変える、ビジネスと社会課題解決の両立を目指していくという考え方です。企業にCSVのプランを提供するようなことをやれば、博報堂にいながら社会課題を扱えるんじゃないかと思い、始めたんです。
でもなかなか成果は上がらなくて。上司からは「全然もうからないじゃん。もうどのぐらいやってんだよ」と言われて。
「企業が社会課題に向き合う時代になりますから大丈夫です。ちょっと待って下さい」と説得しながら続けたんですけど、どんどん査定も落ちまして、肩身も狭くなっていきました。
一方で、被災地を支援する団体向けのCM作りは活発になっていき、会社に許可を取った上で、友人たちと一緒にNPO法人をつくって活動を続けることにしました。法人の名前は「Better than today.」。いわばNPO案件だけを手がけるクリエイティブエージェンシーでした。
NPOのネットワークが広がる一方、本業では大企業の「壁」をなかなかこじ開けられない状況が続きました。あるときふと、会社をやめてもいいかなと思える瞬間がありました。
ただ、問題は家族です。僕も家族を養わないといけません。NPOやNGOのCM作りは無償でやっていましたので、NPO法人のままだと、持続可能ではないなと思いました。
被災地を回っていたときにも、妻から「被災地支援も、社会や世界を救うのもいいけど、家族を救って!」って言われたことがあったので、家族に苦労をかけないためにも、きちんと利益を出す株式会社としてやろうと考えました。
自分の思いをしっかり伝えないと、妻は納得しないと思ったので、プレゼンシートをちゃんと作って、妻にプレゼンしたんです。
商業広告は散々やりました、これからの人生後半戦は社会問題を専門にした広告を作りたい、そのために会社を辞めて独立したい……。そう打ち明けたんです。
「いいじゃん。私もそれで会社やめるわ」。妻はそう言ったんですね。実は妻は妻で、当時やっていた仕事を辞めたいと思っていたらしく。テレビ局の情報番組のディレクターで、仕事と家庭との両立が難しく、悩んでいたようです。
夫が作る会社を手伝うことがちょうどいいきっかけになったんです。そして2人で会社を辞めて「社会の広告社」を設立しました。
僕はそれまで、会社(企業)のための広告をつくっていたので、これからは社会のための広告を作るということで、この社名にしました。
――「社会の広告社」ではどんなことをやっているのですか。
主に三つのパターンがあります。一つは行政の案件です。例えば、ひきこもり当事者の生きづらさなど、生の声を伝える「ひきこもりVOICE STATION」のプロデューサーなどがあります。こちらは大手広告代理店と組み、入札に参加して受注しました。
二つ目はNPO、NGOからの依頼ですね。先方から依頼を受ける形で進むことが多く、例えば市民発のファクトチェックメディアのネーミングやデザイン、広報戦略をやったり、若者の住宅つき就労支援「チャン巣プロジェクト」の広告キャンペーンを手がけたりしました。
映像やサイトを作るだけの仕事というのは引き受けていないです。広告というのは、映像を作っておしまい、ではないので。誰にどのように伝えるのか、といったマーケティングや、どんな印象をもってもらうかといったブランディングなどの戦略が大切で、逆に映像制作を伴わないケースもありますよね。
三つ目は「自主開発」です。例えば、長年ダム計画に翻弄されてきた長崎県のある里山の歴史や現状を訴えるため、映画を作りました。「ほたるの川のまもりびと」という作品です。
広告キャンペーンではないですが、メディアに取り上げてもらうことでこの問題の啓発ができました。
博報堂にいたころのように、クライアントが大企業で、一つの案件で大きなお金が動くということはありませんが、妻と2人でやって、生活には困らないぐらいの収入は得られています。
――広告ではいわゆる「おかわり」と言って、同じクライアントから次の年も仕事もらうことがありますよね。そうすることで経営的にも安定するとは思いますが、山田さんの場合はどうでしょうか?
そもそも行政案件は毎回、入札がありますし、NPOやNGOからの案件も、ずっと同じところの仕事を引き受けようとは考えてないんですね。
世の中には取り組むべき社会課題がまだまだたくさんあります。団体側としても、自走できるようになった方がいいんです。なので、キャンペーンのお手伝いということだけでなく、僕らなしでも団体自体が自ら発信したり広報ができるよう、ノウハウを伝えるようにもしています。
――「社会の広告社」が手がけている広告は、行政や非営利団体からのもので、博報堂にいたときのような大企業のではありません。業界では今、大企業の広告も社会課題をテーマにしたものが増えています。この状況をどうみますか。
おっしゃる通り、僕は最近、企業案件をやっていないので分からない部分もありますが、企業がSDGs(持続可能な目標)やESG投資を意識することは当たり前になってきて、状況が変わってきているなというのは感じます。
時々、博報堂時代の同僚から「お前があのとき言っていた世界になってきたな」とか、「今ソーシャルグッドが当たり前になってきています。何か仕事があれば僕たちも呼んで下さい」とか言われるようにもなりまして、僕は「なんであのとき応援してくれなかったんだよ」と腹が立つこともありますけど(笑)、それでも、企業がやり始めないと世の中は動かないと思いますので、いい流れかなと思います。
ただ、まだまだCSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)の域を出ていないものが多いなというのが印象です。CSRだと、あくまで社会貢献の意味合いが強く、本業の事業活動とは無関係なので、「本丸」じゃないなという感じなんですね。
大企業にしてみれば、やっぱりお金をもうけなければならないという大ミッションがあるので、社会課題に取り組むにしたって「甘い部分」が出ると思うんですよね。
――甘い部分とは、例えばどういうことでしょうか。
確かにやったらベターではあるけども、それで全て課題が解消できるわけではないということですかね。社会課題に取り組んではいるんだけど、実体が伴っていないものもある、いわゆる「ウォッシュ」的なものと言いますか。
――企業とは元々、利潤を追求する存在ですよね。そういう意味で、どこまで社会課題に挑んでいくのか、ビジネスとの両立も含めて考えると難しそうですが、それでもまだまだできることはあるのでしょうか。
大いにあると思います。僕自身、NPOやNGOの人と会って話をするたびに、社会問題を解決するサービスやビジネスのアイデアを思いつきます。そういうこともあり、もっと企業は色んなNPOやNGOと接点を持つべきだと思っています。
そうすることで、社会課題を解決できるビジネスのタネが見つかり、イノベーションのヒントが生まれるんじゃないかと思うんです。
僕一人ではマンパワーも資力もないのですが、きっと企業ならできるはずで、そういう意味でも外部のNPOやNGOとの接点を持って欲しいなと思いますね。その間をつなぐ存在として、弊社も頑張れると思うのです。
――企業が社会課題に取り組むことに伴い、広告もまた、単なる商品やサービスを宣伝する装置から変わってきています。一方で、広告が消費者の批判を浴びて「炎上」したり、ネットのコンテンツの間に挟み込まれてうっとうしがられたりすることもあります。広告は「嫌われ者」なのでしょうか。
広告って、電通や博報堂といった大手広告代理店によって裏で仕組まれたもの、というイメージがあるかもしれないんですが、普通に企業のマーケティング活動の最後のポイントでしかなくて、商品の素敵な「包装紙」みたいなものだと思うんです。
僕らは中身は作れないけど、その中身にいいところがあったら、そこを包装紙により伝わるような言葉やデザインで書いて、世の中に紹介しましょうというのが広告だと思っています。
僕は広告を作るとき、どんな広告であっても、誰かにとって何か幸せになれるようなポイントを必ず入れようと、心してやっていました。
ただ、消費者が抱く広告へのネガティブな気持ちも分かります。僕自身、博報堂にいたとき中身がまったく変わらない商品を春夏秋冬と売り続けなきゃいけないことがありました。
そこで広告としては、消費者の欲望を刺激して「買いたい」と思わせるような仕掛けを考えることもあるわけです。どういった瞬間に人は欲望を刺激されるのかとか、そういうシチュエーションを研究して、そのポイントを活用するとか。
広告は経済活動そのものです。資本主義社会である以上、必ず存在するものなので、見る側、消費者側が広告リテラシーをもっと持った方がいいとは思います。
なぜなら、広告は何らかの意図をもってやっているものだからです。世の中になんとかして伝えようと、手を替え品を替え、色んな方法で広告を作っています。
――特に社会課題を扱った秀逸な広告を見ると、広告なのか、あるいは私たちのような報道コンテンツなのか、線引きがよくわからなくなってくることもあります。逆に報道コンテンツだって、究極的には誰かの何かの広告になっているのではないかとか。私は記者人生の前半、事件取材を主にやっていたので、「○○警察署は、○○容疑者を逮捕した」というような事件記事をたくさん書きましたが、これだって見ようによっては○○警察署の「手柄」を伝える広告とも言えなくもないんじゃないかと……。
なるほど、確かに線引きは難しいですね。だから僕は「社会の広告社」の一番の理想は、「広告をしない広告」だと思っていて。そうした事例の一つで、僕が一番「嫉妬」したのは、「注文を間違える料理店」です。
認知症の人たちがやっているレストランという、事実ではあるんですが、店名も含め、認知症の人たちの思いや現状を上手に伝えているなと。
かつて認知症は痴呆症と呼ばれて、家族からは隠される存在だったのが、そういったイメージをポジティブに変えることに成功したと思います。メディアの取材も殺到したでしょうし、まさに「広告をしない広告」のいい例でした。
そう考えると、広告はやっぱり面白くて、ネットとかで飛ばされちゃうと残念ですよね。注文を間違える料理店もそうですが、広告って、CM1本とか、映像とかだけではなくて、誰かと誰かのコミュニケーションが起こりうる瞬間には、全部広告があるというぐらい、身近な存在だと思います。
うちの会社としても、もっともっと社会にインパクトを残せるような社会の広告をつくっていきたいと思います。みなさん、広告は世の中をハッピーにするものです。嫌いにならないでください。