まず紹介したいのは、アディダスとマーケティング会社FCB TORONTOによる、ダウン症ランナーへ世界各地のマラソン大会の出場権を確保する取り組み「Runner 321」だ。
マイケル・ジョーダンの「23」、リオネル・メッシの「10」、ウェイン・グレツキーの「99」……。メジャーなスポーツには、その分野のスター選手を表す象徴的な数字があるものの、ダウン症のアスリートたちが目指したくなる数字はこれまで存在しなかった。
「321」はダウン症の人々にとって象徴的な意味を持つ。ダウン症はトリソミー21とも呼ばれ、21番目の染色体が通常よりも1本多い、3本になることから引き起こされる遺伝子疾患だ。これに関連して、321はダウン症コミュニティで広く使われている。
2022年3月21日の世界ダウン症デーに、アディダスはダウン症の人で初のアイアンマン完走者としてギネス認定された、クリス・ニキックたちに密着した映像を公開。ランディングページでは、レース参加への手順を詳細に説明し、誰もがSNSで使用できる画像やゼッケンなどのRunner 321ツールキットを提供した。
世界で最も身近なスポーツの一つ、マラソンの大会に神経障害があるアスリートの参加を後押しする社会的ムーブメントは、幅広いコミュニティで共感を呼んだ。
その結果、2023年には世界で最も大きい六つのマラソン大会(うち4大会はアディダスの競合であるナイキ、ニューバランス、アシックスがスポンサーを務める)が「ランナー321」の出場枠を創設するまでになった。
3月21日に公開された映像は、「WHEN YOU DON’T SEE YOURSELF REPRESENTED IN SPORTS, IT’S HARD TO IMAGINE WHAT’S POSSIBLE(スポーツの世界に自分の居場所がないと感じると、何ができるのか想像することさえ難しい)」というメッセージから始まり、最後はアディダスのロゴとともに「IMPOSSIBLE IS NOTHING(「不可能」なんて、ありえない。)というスローガンを映し出す。
二つ目の作品は、政治家が税金を使うたびにリアルタイムで国民が通知を受け取ることできるブラジルのサービス「TRANSPARENCY CARD(透明性カード)」だ。
ブラジルの独立系デジタルニュースポータルCongresso em FocoとデジタルエージェンシーAKQAが2022年、国政選挙の数週間前にローンチした。
サービス名の由来は、クレジットカードの支出を確認する方法を模倣しているから。500人以上の政治家の支出を追跡するには、特定のアプリをダウンロードする必要はなく、Congresso em Focoが展開する専用サイトにアクセスし、監視したい政治家のカードをスマホのネイティブ機能であるモバイルウォレットに追加するだけだ。
ブラジルでは毎年、約400億ドルが汚職による政治資金支出によって失われている。国民は憲法上、政治家の公金使用に関する情報へアクセスする権利があるが、データの監視は複雑で、政治家にとっては汚職は難しいことではない。フェイクニュースも大量に存在し、当時のボルソナーロ大統領が自身の支出データを隠すために秘密保護命令を出したことで、公的資金の透明性が脅かされていた。
このサービスを利用すると、例えば政治家がプライベートジェットに2万3000ドルを使った時、国民はリアルタイムでプッシュ通知を受け取る。この情報を手にした人々は、この支出に疑問を投げかけることができる。
これまで43万枚以上のカードがモバイルウォレットに登録され、2,000万件の通知が送信された。また、このプラットフォームが暴露した経費は、ジャーナリストたちの調査資料としても機能している。
国政選挙で新たに選出された下院議員も、このプラットフォームに追加された。2023年より第39代大統領に就任したルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領は最初の演説で、前任ボルソナーロの秘密保護命令を覆し、情報公開法を復活させると発表した。
Congresso em Focoは複雑なデータへのアクセスを簡素化、民主化することで、スマホを持つすべてのブラジル人を公的資金を監視する番人に変え、メディアとしての存在感を高めることに成功した。
三つ目は、マスターカードと広告会社McCann Polandによる、戦争からの避難とポーランドでの新しい生活の場と仕事を求めるウクライナ市民のためのプラットフォーム。
ウクライナでの戦争勃発後、占領地から約1,000万人の難民がポーランド国境を越えた。多くのウクライナ人がポーランドの主要都市へ避難したが、一部地域が過密状態となり、家賃の高騰や雇用競争の激化を引き起こした。
増加する難民の流れに対処するには、あまり知られていない小都市にも定住の地としての可能性があることを示す必要があった。そこで、展開されたのが「Where to Settle」だ。
簡単なフォームに、希望する雇用形態や家族の人数などの情報を記入すると、マスターカードの匿名化されたデータと、ポーランド中央統計局のデータに基づき、全国各地の平均的な生活費、給与、住居、経済的な機会、そして、そのデータを入力した人と家族が新しい人生を始めるのに相応しい場所を知ることができる。
マスターカードによると、ウクライナ難民の約20%にあたる約30万人がこのプラットフォームの恩恵を受けたとされ、ポーランドのGDPは、移民によって2~3%増加する可能性があるとも言われている。
マスターカードは、ファイナンシャル・インクルージョンは事業戦略の中核をなすものであると明言しており、今回のキャンペーンの結果として、ポーランド人の57%、ウクライナ人の80%が、プラットフォームとの接触後に同社サービスの利用意向を表明したことを公表している。
企業を「選ぶ」基準、社会課題への姿勢も
今年の受賞作品を含め、この10年の間にカンヌライオンズで表彰されたキャンペーンは、その時代に多くの人が関心を寄せる社会課題の解決につながるものばかりだ。
2017年、資産運用会社ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズがニューヨークの金融エリアに少女の銅像「Fearless Girl(恐れを知らぬ少女)」を設置した。
この取り組みは、金融業界全体の女性役員比率の低さや給与の男女差に問題を投げかけることにも発展し、2017年のカンヌライオンズの3部門でグランプリを受賞した。
2022年には、世界最大のパイナップル生産者のひとつ、ドールが六つのカテゴリーで受賞を果たした。2025年までにフルーツロスと化石燃料ベースのプラスチック包装をゼロに目標に掲げる同社は、ロンドンのアナナス・アナムと共同でパイナップルの葉の繊維を素材としたヴィーガンレザー「ピニャテックス」を開発。
製造過程で水も土地も肥料も化学物質も使用しないこの素材は、世界200以上のブランドに採用されているだけではなく、フィリピンのパイナップル農家に新たな収益源をもたらしている。
企業がクリエイティブエージェンシーと組み、世界に大々的に広めるキャンペーンである通り、目的は慈善事業ではなく売り上げを伸ばすためのブランディングだ。
D&I、政治不安、ウクライナ戦争、環境問題……。一個人では解決することのできない社会課題に対して、民間企業がどう働きかけることができるか。一企業がその社会課題に向かい合う理由を、自社が掲げるスローガンとともに消費者へ説明できるかどうか。
今、私たちが日常で関わる企業やブランドを選ぶ際には、こうした社会との向かい方が判断材料になっているのではないだろうか。
今年も世界の舞台で脚光を浴びたのは、自社の売り上げに繋げながら社会的なインパクトを残し、同じような課題を抱える国が模倣しやすいアイデアを広めた先進的な企業だった。