廃刊したライバル紙も紙面で再現
創設から70周年を迎えた今年、カンヌライオンズは5日間(6月19~23日)にわたり、南仏カンヌで開催された。
開催2日目、審査員たちが受賞作品について語るトークイベントで、印刷・出版部門の審査員長で、この部門のグランプリ作品であるキャンペーンの実施にも携わったアリ・レズ氏(広告・マーケティング会社IMPACT BBDOのチーフ・クリエイティブ・オフィサー)はアンナハルのキャンペーンが形になるまでの経緯を振り返り、次のように語った。
「今でもこの紙面を見ると、鳥肌が立ちます。あの事件に対する反抗的な気持ちと、紙面に込められた魂を感じるからです」
アンナハルは2022年12月12日、「Newspapers Inside The Newspaper Edition」という日刊紙を発行した。
中面には、見開きごとにすでに廃刊した6紙の新聞記事を掲載。廃刊したそれぞれの新聞のデザインを忠実に再現し、かつてこれらの新聞でニュースを伝えていた記者たちが、そのページの執筆を担当した。そこにある新聞の政治的立場は異なり、アンナハルの競合だった新聞の記事も掲載された。
目的は、報道機関やジャーナリストを沈黙させてきた政治的圧力や暴力に対して、報道は決して黙殺されないというメッセージを送ることだった。
近年、権力や不正を公に批判する者は迫害、投獄され、数十年という長い報道の歴史をもつ数多くの報道機関が閉鎖に追い込まれていた。中には暗殺されたジャーナリストもいた。
アンナハル前編集長のジェブラン・トゥエニ氏も、そのうちのひとりだ。レバノンに影響力を持つシリアを厳しく批判する記事を書くことで知られていたが、2005年、出勤途中に自動車爆弾で暗殺され、命を落とした。
「Newspapers Inside The Newspaper Edition」が発行された12月12日は、ジェブラン氏の命日だった。
現編集長のネイラ・トゥエニ氏が、アンナハルの「自由で公正な報道は決して黙殺されない」という信念に基づき、過去、権力や暴力によって抑圧されてきた報道機関に属していたジャーナリストたちの声を取り戻すことで、報道の自由を証明した。
レバノン全土の新聞販売店に並んだ「Newspapers Inside The Newspaper Edition」は完売。オンライン上でも公開されたこの日の新聞は、電子版で史上最高の読者数を記録した。
「私たちは以前から、アンナハルにキャンペーンの提案をしてきました。毎回彼らが重視してきたのは、私たちの提案がどれだけ大胆で、勇敢で、社会のシステムを崩壊させるほどの力があるかどうかということ。現在の編集長のネイラは、前編集長の娘でもあります。そんな彼女に今回のキャンペーンを提案した際には、すぐに実行したいと返事をもらいました」(レズ氏)
印刷用の紙を拠出し、選挙を守る
アンナハルは以前にも大胆なキャンペーンを展開し、2022年のカンヌライオンズの印刷・出版部門でグランプリを受賞した。
権力を保持したい政府は「投票用紙に必要な紙とインクが不足している」という理由で、議会選挙を先延ばしにしようとしていた。
そこでアンナハルは、2022年2月2日号の発行を見送った。その代わりに未使用の紙とインクを政府へ寄付したのだ。その日、街の売店の新聞ラックには、新聞の代わりに「選挙版」と書かれた小さな紙が並んだ。そこには電子版の特設ページへリンクするQRコードと、こんなメッセージが書かれていた。
「人々の声は届く。何があっても選挙は行われる」
アンナハルのアクションは政治番組や、競合にあたる新聞など他メディアでも大きく報じられ、出版社や国民は、紙などを政府に寄付することでこの運動への支持を表明。議会選挙は予定通り実施され、政府はそれ以降、紙とインクの不足について言及することはなくなった。紙面の代わりに発行した当日の電子版は、史上最高の読者数を記録した。
この記録を塗り替えたのが、12月12日に発行された「Newspapers Inside The Newspaper Edition」だった。レズ氏はこう評価する。
「アンナハルは今や中東のニューヨーク・タイムズのようだ、と言われているそうです。しかし、ニューヨーク・タイムズはアンナハルの昨年のグランプリ作品のように日刊紙を発行しなかったり、競合他社の紙面を掲載したりすることはないですよね。アンナハルは、国民にとって全ての新聞が表現の自由を象徴する存在であること、多くの新聞が廃刊に追い込まれた背景を理解していることを認識した上で、2022年のキャンペーンを展開したのです」
今年、印刷・出版部門には世界から814作品の応募があり、事前に97のショートリストに絞られた。そこから、中東、北アフリカ、パキスタンで活動してきた審査員長のレズ氏をはじめ、インド、ブラジル、アメリカ、スペインから集まった合計10人の審査員たちが話し合い、グランプリ、ゴールド、シルバーの受賞作品を決めた。
審査員たちが重視した判断基準は主に三つあったという。
一つ目は印刷メディアとしての完成度。印刷物としての完成度はもちろん、社会に対する鋭い洞察力があり、ユニークなアイデアを実行に移すことができているかどうか。
二つ目にその企業がもつ他のメディアと効果的な相互性があるかどうか。アンナハルの場合、日刊紙を起点に電子版で史上最高の読者数を記録した。
三つ目はストーリーテリングとその構成。企業の日々の発信をどう組み立て、いかに大きなメッセージとして発信できるか。2022年2月2日の「The Elections Edition」は、「Newspapers Inside The Newspaper Edition」が伝えた「自由で公正な報道は決して黙殺されない」というメッセージをさらに強調する構成要素にもなっている。
レズ氏は「ジャーナリストが生きていくのが厳しい中東でのキャンペーンではありましたが、世界に対して ジャーナリズムが政治権力に簡単に沈黙させられていいのか?という問いかけにもなったのではないでしょうか」と述べ、次のように指摘した。
「印刷物は死にかけているとか、もう力がないとか言われていますが、そんなことは全くありません。その力を使って売り上げを伸ばすことも可能です。印刷物には、たった1秒で人を笑わせたり、涙を誘ったり、恐れさせたり、希望を持たせたり、人の感情を揺さぶる力があります。印刷物のもつ力を世界中に伝え、自分たちにしかできない行動をとったのが、グランプリを獲得したアンナハルでした」