チャン・ウェンミン(45)は中国で最も恐れられたジャーナリストの一人で、国内各地を取材して回り、警察の残虐行為、間違った有罪判決、環境災害といった問題を暴いてきた。ところが最近は、(取材相手から)話を聞き出すのに苦労している。
警察がチャンの情報源に脅しをかけているのだ。当局は彼女のソーシャルメディアのアカウントを閉鎖した。取材した話を発信するニュースサイトを見つけることができないため、彼女は貯蓄の大部分を取り崩して食いつないでいる。
「言論の自由の空間は非常に限られたものになってしまった」とチャン。「今は、独立系のジャーナリストを名乗るのは危険だ」と彼女は言う。
中国の調査報道ジャーナリストたちは、共産党の支配で厳しく統制された社会にあって、汚染された粉ミルクで病気になった赤ちゃんの問題や政府が後押しした売血計画についてのスキャンダルを暴露して当局の説明責任を問い、批判を展開する希少な声だった。
だが、国家主席・習近平の政権下で、そうしたジャーナリストは絶滅したも同然になってしまった。関係当局が何十人もの記者たちに嫌がらせをしたり、投獄したりし、ニュースサイトは綿密な報道を控えるようになった。習が強権政治を復活させたことによる最も顕著な影響の一つは、中国の報道機関から批判的な報道がほぼ全面的に駆逐され、代わりに習体制下の中国における明るい暮らしを報道するようになったことである。
評論家たちは「総検閲時代」と呼んでいる。
「私たちは、ほとんど消滅してしまった」とリウ・フー(43)は言う。南西部の四川省出身の記者で、腐敗した政治家たちについて取材した後、約1年間、身柄を拘束された。「真実を明らかにする者は一人も残っていない」
習は2012年に政権を握って以来、中国のメディア状況を改変し、独立系のメディアを黙らせるとともに、党が統制するニュースサイトの優越性を復活させた。習は、報道機関の使命は「前向きな活力」を広め、「党を愛し、党を守り、党に仕える」ことにあるべきだと語ってきた。
習のジャーナリストに対する厳しい締め付けは、14億近い人口を有する中国を、時に情報の真空地帯に置いてきた。世界の指導者たちが、中国はどのような超大国になるのかと尋ねる時、中国内の公的な言説は見事なまでに一本調子だ。政策論争の代わりに、中国の報道機関は社会主義体制の擁護を求める。中国の指導者や機関を監視する代わりに、習や党を賛美するのだ。
「政府は市民を無知にした」とリウは言う。「公衆は目をつぶらされ、耳をふさがれ、口を閉ざされている」
米大統領ドナルド・トランプが中国を批判しても、その言葉は中国の主流報道機関にはめったに出てこない。党の主要な公式メディア以外はほとんど報道できないトピックスのリストは急速に膨らんでいる。米国との貿易戦争、#MeToo運動、アフリカ豚コレラの拡散などがそうである。
南カリフォルニア大学米中研究所長のクレイトン・デューブが言うには、習は党だけが批判する権限を持っているとのメッセージを送っているのだ。
「調査報道が社会の病を治し、統治を改善する役に立つとはみなしておらず、習の一党独裁国家は調査報道を社会の安定に対する脅威と捉えている」とデューブは指摘する。
ジャーナリストの大量脱出に言論の自由の支持者たちは懸念を募らせている。シュエ・レイは2年前、党の新聞「北京青年報」の記者を辞め、ハイテク企業の広報担当として働くことにした。彼の話によれば、検閲命令や、調査報道の記事を書く代わりにクリックベイト(訳注=ウェブユーザーのクリックを誘うための扇情的な記事や刺激的な動画など)をつくるようプレッシャーをかけられることに嫌気が募ったからだ。
「以前はたくさん取材できたことが突然、制限されるようになった」とシュエは言い、犯罪や汚職の問題を挙げた。「検閲命令がどこから出されたのかさえ分からない時もある」
かつては、腐敗した政治家たちについての報道が許されることもあったが、今やジャーナリストたちはおおむね政府の捜査対象になっている役人しか取り上げることができない。記者たちが冗談めかして言うには、彼らは新たな汚職の事例を暴く人間ではなく、「死んだトラを殴りつける」人間へと格下げされてしまった。「死んだトラ」とは、不祥事を起こした役人を意味する言葉である。
中国中部の長江で2015年、442人が死亡したフェリー事故の際、「南方都市報」紙のチャン・ツァイチアンと同僚記者は、当局者たちの間違った決定がいかにして大惨事を招いたかについて1万字におよぶ長い原稿を書いた。ところが、チャンによると、宣伝工作担当者たちがこの原稿の掲載を禁じた。
「私たちは書きたい原稿を書けなかった」とチャンは言う。現在、広報の仕事をしているチャンは「この社会は、ジャーナリズムからますます遠ざかっている」と付け加えた。
経済的な配慮も綿密な報道の消滅につながっている。世界のいたる所で起きていることでもあるが、中国の多くのニュースメディアは印刷広告の激減に苦しんでおり、調査報道チームを廃止してしまった。調査報道は取材に時間も経費もかかり、(その割には)少ない記事しか生み出せないのがふつうだ。
中国では、伝統的な報道機関が人員削減を進める一方で、オンラインメディアが台頭することで、掘り下げた報道の将来は楽観的だと思われたこともあった。しかし、習のキャンペーンはオンラインメディアも標的にし、批判的なメディアを閉鎖させたり、批判的な報道をやめさせたりするよう政府が命令を出した。
上海で2014年に創設されたニュースサイト「Q Daily」は、地方から大都市への移住労働者など社会問題の特集を組むことで知られていた。だが当局は、今年5月の後半を含めここ1年間で何度もQ Dailyを閉鎖した。政府は、Q Dailyが違法に「独自の報道」を行い、世論に害を与えていると非難した。
同サイトの編集長ヤン・インは、この干渉がQ Dailyの仕事をまひさせていると言っている。同サイトは政治や軍事など微妙な問題を扱うのを避けて政府の厳しい統制に従おうとした。ところが、彼女によると、何が当局の逆鱗(げきりん)に触れるのかがしばしば不透明だった。
「ここでは、メディアの運営に尊厳はないのだ」とヤンは言っている。
習近平が統制する前は、記者たちが欠陥ワクチンや地震で倒壊した安普請の建物に関する調査報道をするなど、中国のジャーナリズムはある種の黄金時代を迎えていた。
しかしながら、習の統治下でジャーナリストに対する嫌がらせが増大した。ジャーナリスト保護委員会(CPJ=米ニューヨークに本部を置き、世界各国の言論弾圧を監視する非営利組織)によると、中国で投獄されているジャーナリストは、昨年12月時点で少なくとも48人を数え、どの国よりも多い。
専門家たちは、ジャーナリストたちを統制下に置くことで、習は民衆の不満のはけ口になる重要なチャンネルを遮断してしまうリスクを冒していると警告した。
「報道機関に一定の自由を許すことが社会の安全弁の役割を果たす」。英リーズ大学のメディア研究者ユアン・ツォンの指摘だ。
こうした政治情勢にもかかわらず、少数ながら調査報道に関わるジャーナリストたちがソーシャルメディアや海外のメディアに記事を載せることで懸命に生き延びようと闘っている。2013年に身柄拘束されたジャーナリストのリウはしばしばペンネームを使って、特に連続殺人犯と司法制度の問題点について調査報道を続けている。
中国の最良のジャーナリストたちは粘り強く職務を継続しており、その危険性を認識している、と彼は言う。「中国の外では、ジャーナリストは虚偽の報道をすればクビになる」「中国内では、真実を伝えるとクビになる」と彼は話していた。(抄訳)
(Javier C.Hernández)©2019 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから