1. HOME
  2. People
  3. 途上国で社会の課題を解決する。「留職」に熱い志をこめて

途上国で社会の課題を解決する。「留職」に熱い志をこめて

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
昨年出版した本を執筆していたカフェの前で。連日閉店時間の午前2時まで粘り、何度「お客様……」と声をかけられたかわからない photo: Semba Satoru

小沼大地 NPO「クロスフィールズ」代表理事 ビジネスパーソンが途上国の現場に飛び込み、仕事のスキルを生かして現地の社会起業家やNGOと共に課題解決に取り組む。小沼大地(34)が率いる「クロスフィールズ」は、そんな研修プログラムを現地に「留」まり「職」務に取り組む「留職」と名付け、これまでに30社の110人を送り込んできた。

参加者は不自由が多い環境で課題解決に取り組む。日本と違い、ゼロから自分で設計し、進まねばならない。「パソコンルーム」のはずが台所だった、いるはずのスタッフが辞めていた……。日本で綿密に計画していっても、現地では事情が違うということもしばしばだ。想定外は当たり前、会社の常識は通用しない。そんな中、現地のNGOリーダーらの熱い思いに心が動かされ、「会社」から「社会」へと視野が広がっていく。研修を終えた参加者は、口々に「仕事と社会課題を接続したい」「会社を社会的企業に変えたい」と語りだす。

プログラムを考案した小沼自身、つねにポジティブ、一直線。「仕事を、志を大事にする『志事(しごと)』に変えたい」と臆面もなく夢を語り、挑戦を続ける。青年海外協力隊から大手コンサルを経て、2011年に起業。大学時代は体育会ラクロス部の主将で、21歳以下の日本代表にも選ばれた。

まぶしすぎる経歴の陰には、当然、挫折や失敗もある。ラクロスのU21日本代表に選ばれたまではよかったが、レギュラーにはなれなかった。その事実を受け入れられず、腰をケガしたふりをした。「精神的に折れちゃったというか」。仮病を引っ込められず、大学に戻っても練習を休み続けたら、レギュラーの座まで奪われた。ようやく復帰すると、ボールが鼻にあたり骨折。今度は本物のケガで3週間休むはめに。そのとき、「自分がカッコつけるためだけの行動は最低だ。泥臭くても、がむしゃらにやろう」と決めた。

教員になるつもりが、たまたま協力隊員募集のポスターを見て「社会経験を積みたい」と軽い気持ちで応募した。これが人生の転機になる。

シリアに派遣され、数々の修羅場を経験する。まず、研修で習ったアラビア語が地方ではまったく通じない。「環境教育」が任務のはずが、派遣先のNPOに赴くと、予定された業務はすでに終了していた。新たな仕事を得て慣れたところで、協力隊側から、「本来の派遣業務でないと認められない」と言われる。

「自宅待機」を命じられそうになり、「だったら自分で配属先を見つけるしかない」。プレゼン資料を作り、NGOに「飛び込み営業」をして、環境教育を必要とする支援先を見つけた。

そのかたわら、協力隊の同期の仲間に声をかけ、独自の環境教育プロジェクトを始める。公園での清掃活動を通じた教育だ。地元の大学の日本語学科でボランティアを募り、公園で遊ぶ親子に声をかけ、ゴミの分別や捨て方などを学んでもらった。この活動は今でも協力隊の後輩たちに引き継がれている。

一方で、途上国の現状を目にしていろいろなことを考えた。豊かさとは、格差とは、働くとは、幸せとは……。

左・カンボジアで貧困層の生活改善に取り組むNGOに派遣されたアステラス製薬の社員。 右・インドで貧困層の子どもの教育に取り組むNGOに派遣された味の素の社員 (クロスフィールズ提供)

「何かやろうぜ」

昨年出版した本を執筆していたカフェの前で。連日閉店時間の午前2時まで粘り、何度「お客様……」と声をかけられたかわからない photo: Semba Satoru

そのころ、大学時代からの親友、向江一将(34)がシリアにやってきた。2人で山に登り、ふつふつとたぎる思いを語り合った。この世の理不尽さ、不平等さ、自分に何ができるのか─。朝まで語った結論は「日本で何かやろうぜ」だった。

向江が帰国してしばらくすると、シリアの小沼から小包が届く。入っていたCDを再生すると、画面の中の小沼が語りかけてきた。「あのとき、何かやろうぜって誓ったことを覚えているか?」。山頂で街の夜景を背に2人で撮った写真も同封されていた。裏には「日本で熱いことやろうぜ 大地」。

小沼はといえば、配属先のNPOで共に働くコンサルタントたちの仕事ぶりを見て、課題解決に向けて戦略的に進む手法にヒントを得ていた。ビジネスと社会貢献をつなぐことが自分の役割だ─。そんな答えが「降りてきた」。

協力隊を終えて帰国すると、その志に向かって突き進む。マッキンゼーに入社し、ビジネスや経営を学ぶ一方、向江たちと勉強会を始める。勉強会には起業家らを招き、延べ1500人以上が参加した。仕事は猛烈に忙しく、友人たちと議論する時間もない。ならば一緒に住めばいいと、向江たちと、当時は珍しかったシェアハウスを始めた。

また、マッキンゼーの社長に直談判し、社員が情熱を語り合う「アスピレーションナイト」も開いた。金曜の夜、会議室に集まっては、酒やつまみを囲んで自分の志や夢を語り合う会だ。

そんな経験を積みながら、社会貢献とビジネスをつなぐ「留職」のプランが具体的に形になっていく。勉強会で出会った松島由佳(31)と2人で事業を始めることにした。予定通り3年でマッキンゼーを辞めたのが11年の3月11日。すぐに東日本大震災の被災地で活動するNGOの現場に入り、2カ月にわたり支援物資の輸送管理を担った。

創業後しばらくは、企業に売り込んでも連戦連敗。それでも、最初の顧客は大企業にと狙いを定め、断られてもアドバイスをもらい、糧にしていった。

営業でいい線までいっても、「前例がないとねえ」と断られた。ならば前例を探そうと、米国に同様の事業を行っているNGOを見つけ、アポなしで松島と突撃訪問した。それが突破口となり、ついに顧客第1号としてパナソニックが「留職」を導入することが決まった。

NPOの難しさ

photo: Semba Satoru

松島と2人で始めた団体も、今やスタッフは十数人。毎年、全員が参加しての合宿を行う。一昨年、中期経営計画をつくるため、みなで話し合っている時のことだ。スタッフから次第に本音が出はじめた。「代表は前向きすぎて弱音を言えない」「リーダーが弱みを見せないのは、部下が信頼されていないからだと思ってしまう」。最後にはスタッフも小沼も泣きながらの議論となった。

確かに自分は、後ろ向きなことを言われると「そんなことない、こう考えようよ」と、相手の話を遮っていた……。

「ショックでした。強みだと思っていたところに疑問を突きつけられた。リーダーは背中を見せて引っ張っていくものだと思っていたので」

以来、相手の話を丁寧に聞くようになった。いまでもトップの自分がどのくらい本音を吐露すべきか揺れる。だが、以前なら口にすることはなかった弱みや課題も表に出せるようになった。

企業にとっては利益、運動部にとっては勝利というわかりやすい目標がある。だがNPOは「志」や「思い」を大切にするぶん、運営は難しいし、正解も簡単ではない。「みんなで悩みながらやっていこうと思えるようになりました」

photo: Semba Satoru

毎年、1月にその年の目標を手帳に書きつける。今年は「攻めの中期計画、新規事業をつくる」と書いた。若手・中堅対象の留職に加えて、管理職に的を絞ったプログラムや、アジアの社会起業家と交流し、支援する事業も始めた。やりたいことは膨らむばかり。滑っても、転んでも、熱量はどんどん増していく。

(文中敬称略)

編集部が挙げた7種類の力に自ら「成長力」を加えて「5」をつけた。一番自信があるのもこれだという。「自分はこだわりが強いながらも素直。この人、と思った人の助言をベースに自分や団体ができることを増やそうという姿勢を大切にしています」。弱いのは「集中力」。「長時間のデスクワークは苦手。いろいろな人に会って話をしながら物事を進めたり、刺激を受けたりする方が好き」。体育会出身なのに体力が「4」なのは、「30代半ばになり、体力自慢で突っ走るのが危険に思えてきたので自戒を込めて」。

MEMO

毎週1回、オフィスの清掃をスタッフ全員でする。もちろん、小沼も。 photo: Semba Satoru

家族…妻と1男1女。結婚式の時、ガラにもないグレーのタキシード姿で登場したら、会場から大爆笑が起きた。牧師さんが「こんなことは初めてですが、新郎が友人たちから愛されているということだと思います」。

昨年、長男が生まれた時は、1カ月の育休を取って長女の世話をした。妻もずっと仕事を続けているので、いまは父親が週に数回、長女の世話をしに通ってきてくれる。

スポーツマン…根っからのスポーツマン体質。マッキンゼー時代はマラソンとトライアスロンをしていた。起業してから久々に挑戦したら、両方とも途中棄権する羽目に。それからは、週に1、2回はジムに通う。

映画好き…学生時代は年に100本見ていた。今は忙しくて年に20〜30本に減ってしまったが、映画館で見るという行為を大事にしている。「全部忘れて、最高にリフレッシュする瞬間です」

(文:秋山訓子、写真:仙波理)