カニやカキの幼生が溶ける?海の酸性化が生態系に打撃 日本の養殖業者に広がる危機感
「海洋酸性化」(Ocean Acidification)だ。
酸性化が進むことによる最大の懸念は、サンゴや貝類などの生物が炭酸カルシウムの骨格や殻を作りにくくなってしまうことだ。海洋の植物プランクトンの組成に変化を起こすとの研究結果もあり、魚類を含む海の生態系全体に打撃を与える恐れがあると指摘されている。
すでに、北極海などでは影響が顕在化し、「流氷の天使」クリオネのえさとなる貝の仲間「ミジンウキマイマイ」の殻が溶けたり、穴があいたりする現象が報告されている。
米国の研究チームは2020年、食用のカニ「ダンジネスクラブ」(アメリカイチョウガニ)の幼生の体の一部が溶けていると論文に発表した。
なかでも、世界に衝撃を与えたのが、米国の西海岸で2005~2009年ごろに繰り返し起きた、カキの養殖施設での幼生の大量死だ。深海から湧き上がった酸性度の高い海水が被害を招いたとされる。
日本のカキ養殖は大丈夫なのか――。
NPO法人「里海づくり研究会議」(岡山市)などの研究チームは2020年から、養殖カキの産地で調査を始めた。
元岡山県水産課長で同会議事務局長の田中丈裕さん(69)は2019年、神戸市であった国際セミナーで米ワシントン大のテリー・クリンガー教授の講演を聴き、米国でのカキの幼生の大量死を知った。田中さんは「水産物に被害が出るのは未来の話だと思っていた。米国ではすでに実害が出ていると知り、背筋が寒くなった」。
調査は日本財団のプロジェクトという形で実現。北海道大学や水産研究・教育機構の研究者らも参加し、2020年から岡山県と宮城県の海域で、海水の酸性度やカキの幼生の形態などの調査を始めた。2021年には広島県、2022年には豊後水道などにも調査を広げた。
このうち岡山県備前市の調査海域は、カキの名産地として知られる日生地区だ。緑の山に囲まれた静かな入り江には、たくさんの養殖筏(いかだ)が浮かんでいる。
その一角を訪ねると、2メートル四方の小さな観測用筏が設置されていた。筏から海中には、ロープで観測機器がつり下げられ、水温や塩分、酸性度などのデータを収集している。
「将来、海洋酸性化が進み、米国のようなカキ幼生の大量死が起これば種苗不足に陥り、養殖そのものが続けられなくなる」。日生町漁協専務理事の天倉辰己さん(61)は、そんな懸念から、調査に協力している漁業者の一人だ。
カキは、同漁協の水揚げ金額の9割近くを占める。うまみがたっぷり詰まった「日生のカキ」。それを目当てに、遠くからやって来る観光客も多い。天倉さんは「カキがだめになれば、漁業者だけでなく、飲食業や観光産業も共倒れになりかねないという危機感がある」と話す。
これまでの調査データを集計したところ、日生のカキ養殖海域では、主に夏から秋にかけて、かなり酸性度の高い海水が出現していることがわかった。
海外の研究で「カキの幼生に悪影響が出る」とされるレベルだった。
一方でカキの幼生を顕微鏡で観察したところ、形態などの異常はみられず、一連のデータをどう解釈するかは今後の研究課題だ。日本では海洋酸性化が原因とされる水産物への具体的な被害はまだ確認されていない。
しかし、田中さんは「海洋酸性化は必ず進行する。どんな対策が必要なのか。それを探るためにも、今から調査を進めておく必要がある」と話す。