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気候変動で脅かされるフィリピンの小さな島 「海のアマゾン」保全のため努力したのに…

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
海で泳いでいるウミガメ。遠景に海岸の人々とヤシの実が見える
フィリピン中部アポ島の海岸近くを泳ぐアオウミガメ。海洋保護区が設定され、地元の漁師の配慮で環境が保全されてきたが、海水温の上昇がその成果を脅かしている=2022年8月、Hannah Reyes Morales/©The New York Times

大きなアオウミガメはかつて人間を恐れ、懸命に逃げ去ったものだ。

「カメは人間を見ると、あたかも幽霊でも見たかのように反応した」。フィリピンのアポ島(訳注=フィリピン中部のネグロス島の南東沖約7キロに浮かぶ離島)に住むマリオ・パスコベリョは言う。「むかし、カメたちはここで食料用に殺された」と付け加えた。カメの肉や卵は、島の漁民たちのごちそうだったのだ。

絶滅危惧種でおおむね草食性のアオウミガメはいま、その海域を共にする漁師たちに煩わされることなく、穏やかに島の浅瀬で草をはんでいる。

ところが、カメは漁師には脅かされなくなったとしても、人間が招いた別の脅威にさらされている。気候変動だ。

「気候変動で海岸地域の気温が上昇すると、サンゴや魚の幼生が死滅する」とアンヘル・アルカラは指摘する。1970年代から島を訪れるようになった海洋生物学者だ。「台風がネグロス島に達するのは10年から15年に1回程度だったが、今では4年か5年ごとに台風がアポ島を襲うようになった」と言う。

地元コミュニティーは前回の台風から復興途上にあるが、近年は白化で傷ついた一部のサンゴを修復しなくてはならない。高水温の海水がサンゴ内部に生息する植物性の生命体を放出させサンゴの白化が生じるのだが、サンゴが白くなるだけでなく、死滅するリスクも高める。

フィリピン諸島のほぼ中央部にある小さな火山島・アポは、その生物多様性から「海のアマゾン」として知られる地域に位置し、手付かずの海洋保護区(サンクチュアリ)の拠点になっている。アポ島周辺の海域にはざっと400種のサンゴが生息しているとみられている。

アポ島の海岸近くで、海に潜った漁師がアオウミガメに遭遇した=2022年8月、Hannah Reyes Morales/©The New York Times

現在、カメと人間とは調和のとれた関係にあるが、元来厳しい状況下にあった。

島はおもに漁民から成るコミュニティーで、人びとは当初、保護区の設置に強く反対した。(海洋生物の)保護活動で(漁業に)制限が課せられれば、それでなくとも貧しい島がもっと深刻な窮乏に陥るのではないかと懸念したからである。

「自分たちの島が奪われてしまうかもしれないと思ったのを覚えている」。島の年配漁師レオナルド・タバネラは振り返る。「漁業ができなくなったら、どうなるのか?」

だが、1982年に設置された海洋保護区は折衝と妥協の成功例として受けとめられるようになった。天然資源の採取に暮らしを依存する地元住民のニーズと地球規模の保全目標とのバランスをいかに保つかという問題だ。

「保護区と、食べていく必要がある人の生活と、どちらが大切なのか?」。地元地域社会のリーダーの一人、パスコベリョは問う。「たくさんの話し合いが必要だし、たくさんの議論が必要だ」

彼は母親に促され、保護区設置の考えを受け入れたが、地元と自然保護活動家たちが彼の言う「ウィンウィン(双方が利益を得る)の関係」を築くことが前提だった。

何年にも及ぶ議論の末、解決策を見いだした。漁民たちは禁漁区を設けることに同意したのだ。ただし、めったに漁をしない場所に限られた。

「漁民たちは彼らから見て(漁をするうえで)あまり生産的ではない一部サンゴ礁の保護については容認するのではないかと、私は感じていた」。海洋学者のアルカラはそう語る。

しかし、パスコベリョによると、サンゴ礁のどの部分を禁漁区にできるかという地元漁民の知識は実際の海域保護に役立ち、そうした立ち入り禁止区域はこの海域の魚にとって実り豊かな「揺り籠の場」として機能するようになった。

「ハタがどこで卵を産むのか、私が学者に尋ねても、誰も答えられない」とパスコベリョ。「でも、漁師に聞けば、彼らはハタの産卵場所を知っている」と言うのだ。

アポ島の沖で、漁師たちがジャックフィッシュ(訳注=フィリピンでは各種アジの総称)漁の餌を仕掛けていた=2022年8月、Hannah Reyes Morales/©The New York Times

魚の繁殖に重要な役割を果たすサンゴ礁の一部を完全に手付かずとすることに同意したことで、アポ島民は求めていたウィンウィンの関係を獲得した。

「魚のバイオマス(訳注=生態学用語で、生物の量を指す)は10年間で約3倍に増えた」とアルカラは言う。環境にとっても漁民にとっても、望ましい結果だ。

以来、住民が1千人に満たない島のコミュニティーは、フィリピン各地の数多くのコミュニティーや、インドネシアでも、それぞれが独自の保護区を設置する努力を支援してきた。その際はいつも、地元民と科学者の双方の専門知識を取り入れることの重要性を強調した。

「それで、あなたは何年勉強したというのか? 博士号を取得するまで勉強したとしても? ここの漁師は小学校を4年か5年で終えた人でも知識がある」とパスコベリョは言う。「あなたは学校で10年間勉強したかもしれないけど、漁師たちはここで60年間暮らしている。だから、彼らの言うことに耳を傾ける必要がある」

保護区の設置がもたらした経済的な利益は、魚のバイオマスの増加だけではない。島はダイビングやシュノーケリングの目的地になり、観光客を連れてきた。

アポ島出身者で初の海洋生物学者になったアナリー・レガラド。島の自宅近くで「私は島に恩返しをしたい」と話していた=2022年8月、Hannah Reyes Morales/©The New York Times

アナリー・レガラドは、海洋保護区が設置されつつあった時に島で育った。両親はともに漁師で、観光客と交流するようになり、彼らと親しくなった。母親は浜辺で貝を売っている時、子どもにとって教育は大切だと言ってくれた一人の観光客に出会った。

「ママは(その助言を)聞き入れてくれた」とアナリー。母親は学校に通わせる費用のことを考えて初めはためらっていたのだが。

アナリーはお金を稼ぐため両親の漁を手伝い、時には学校での朝の国旗掲揚式に向かう前に漁網を引いた。家族の頑張りで、彼女はネグロス島の名門校、シリマン大学で学ぶ初めてのアポ島出身者になり、島で最初の地元育ちの海洋生物学者になった。

「もし海がなかったら、両親は教育費を用意できなかっただろう」と彼女は言う。

海洋生物学を実践する代わりに、彼女は地元の高校で教える道を選んだ。「私はアポ島に多くの借りができたので、恩返しをする必要がある」と言い、「私は知識を次の世代へと伝え続けたい。そうすれば、次世代が知識の伝承役を引き継ぐことができるだろうから」と言っていた。

漁業は今日でも島のアイデンティティーの中核だ。

島の子どもたちは日没時、海岸線に行く。岩に囲まれた潮だまりで、澄んだ海水にいる生物を調べ、売り物になりそうな貝や石を探したり、甲殻類を見つけて遊んだり、親のために漁に使う餌を集めたりしている。手製の水中メガネをつけて潜ったり、漁網のもつれをほどいたりもする。自分で小舟を漕ぎ出す子もいる。

アポ島の潮だまりで、漁のための餌を集めて家族の手助けをする子どもたち=2022年8月、Hannah Reyes Morales/©The New York Times

アポ島の海洋保全の活動は、外部からの資金援助が限られているなかで40年間維持されてきた。だが現在、島民は急激な気候変動に脅かされている。気候変動は貧困層の暮らしに深刻な影響を及ぼしており、多くの人が1日の大半を電気なしで過ごす炭素排出量が最も少ないコミュニティーに最も大きな打撃を与えることもあるのだ。

タバネラのような島の漁師たちは、気候変動が生存を左右する危機をもたらすことに気づいているが、日々の関心は当面どう暮らしていくかにあるのだ。

「私たちには誇れることがあまりない。貧しいから」とタバネラは言う。

それでも彼は、アポ島のウミガメの持続的な生息は良いことだと思っている。それは、アポの海水が健全な証左だし、少なくとも当面は漁民の食卓に食べ物があることを意味しているからだ。

タバネラはまた、ウミガメを見に来る観光客が島について、そして気候変動で島が直面している暗い将来について、情報を拡散してくれることを期待している。

「海から得られるモノは少ないかもしれないけど、たぶんそれで生計をたてていけると思う。どんなに少なくても」と彼は言う。

タバネラの家には、幸運の釣り針(複数)が保存されている。どれも塩水や湿気でさびついているが、釣り針はこれまでの人生で最も豊漁だったころのことを思い出させてくれる。

「たぶん、いつの日か」とタバネラは口を開き、「誰もが立ち上がることができるかもしれない」と続けた。(抄訳)

(Hannah Reyes Morales)
©The New York Times

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