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尖閣マグロ漁、日本と台湾の漁師が本音でルール作り

World Now 更新日: 公開日:
台湾の蘇澳漁港では尖閣海域でとれた魚が水揚げされていた=五十川倫義撮影

5月下旬、台湾北東部・宜蘭県蘇澳(スーアオ)の漁港。曇り空の下、入り江には数百の漁船がひしめく。尖閣諸島(沖縄県石垣市)の周辺海域から戻ってきたばかりの漁船から大量の魚が岸壁に揚げられていた。

「マグロは少なく、この魚ばっかり取れるんだ」。漁協職員がこぼしながら、おでこが大きい魚の重さを量っていた。シイラだ。軽トラックなどにわんさと積まれている。クロマグロなら1kgが1300台湾ドル(約4200円)で売れるが、この魚だと150台湾ドル(約490円)にしかならない。

それでも、この朝、数十匹のクロマグロが港に揚がったという。取った場所は「北の方だ」とあいまいにしたが、北なら尖閣周辺の可能性が高い。

尖閣海域はクロマグロ、サバ、タイなどの好漁場だ。4月に日本と台湾の間で漁業協定が結ばれ、5月10日に運用が始まった。これまでは台湾の漁船は日本の海上保安庁の取り締まりをかいくぐらなければ尖閣海域に入れなかった。しかし協定が結ばれたことで、尖閣諸島の12カイリ以内を除く法令適用除外水域などでは自由に操業できるようになった。協定は日台双方の主張がぶつかる島の領有権には触れていないが、2、3日前に尖閣海域でクロマグロ2匹を取ったという漁師は「魚が取れれば、島がどこの国の所有でも気にしない」。

日本と台湾は1996年から漁業協定の交渉を続けてきたが難航した。だが、昨年来、尖閣諸島をめぐる日本と中国の対立が激化し、中台の連携を避けたい日本側が歩み寄り、台湾側が希望していたより広い海域での操業を認めた。

協定は実現したが、現場の漁民には多くの課題が残された。

蘇澳から海を挟んで東に約250kmの石垣島。八重山漁業協同組合の船は台湾漁船とのトラブルを避けるため、5月10日以降、尖閣海域から姿を消した。

協定が対象とする海域は広い。しかし、クロマグロが集まる場所は決まっており、同時に漁ができる船の数には限りがある。操業ルールがないまま船が入り乱れれば、縄が絡まったり切れたりして、数百万円の被害になりかねない。

今回の協定に対して沖縄の漁業者は不満を噴出させた。台湾の要求以上に海域を譲り、ルールがないまま運用が始まったからだ。地元漁協は政府に「地元の声を聞いて欲しい」と再三要請してきた。しかし結果を伝えられたのは、海に線が引かれたあとだった。

■酒酌み交わし本音の会話

800隻の漁船を擁し、1万8000人が沿海、近海、遠洋漁業に携わる蘇澳漁港は、台湾で指折りの規模。フィリピンなどの外国人2000人も働いている=五十川倫義撮影

協定の運用開始から数日後のことだ。台湾側から八重山漁協に打診があった。

「漁業者同士の話し合いを持ちたい」

声をかけてきたのは、蘇澳区漁会(漁協)だった。「沖縄の漁民たちが協定に不満だと聞き、今後、トラブルが起きる可能性があると心配した」と、蘇澳区漁会総幹事(事務局長)の林月英は語る。

沖縄の漁協は、ルールが出来るまでの操業自粛を申し入れたが、台湾側はそれを拒否したばかりだった。八重山漁協組合長の上原亀一(51)は「正直言って、会うかどうか迷った。でも、このままにしておくわけにはいかなかった」と明かす。

5月16、17日、蘇澳、八重山の両漁協と沖縄県漁連の会長らが那覇市で会合を持った。

はえ縄漁は、投げる縄の間隔や方向など、やり方が細かく決まっている。話し合ううち、そのやり方が日台で違うことを互いに初めて知った。

当局の関係者も同席した会合が終わると、漁業者同士で飲みに行った。酒を酌み交わすうちに本音が出はじめた。

上原は尋ねた。「そっちはあの海域に200隻いると日本の政府はいうけれど、本当にそんなにいるのか」

「いや、実はもっと少ない」。上原によると、台湾側はそう答えたという。

そうだとすれば、台湾側は交渉の席で、広い海域を得るために漁船数を水増しして伝えていたことになる。

「数が少ないなら一緒にやる方法があるのでは」と、上原は考えるようになった。次は8月ごろに会う予定だ。

上原が台湾側の漁業関係者と直接会ったのはこれが初めてではない。

石垣市と蘇澳は1995年に姉妹都市になり、交流が続いていた。

かつては同じ生活圏に暮らした=五十川倫義撮影

台湾が日本の植民地だった戦前や戦時中、石垣島と台湾は同じ生活圏にあった。台湾に出稼ぎに出た石垣島民も多く、逆に台湾から石垣島に移り住んだ人も多い。琉球華僑総会八重山分会によると、いまも石垣島には台湾出身者やその子孫が500世帯ほど暮らしている。

日本と台湾の漁師はいつも海の上で顔を合わせている。台湾の漁業者がけがをしたり漁船が故障したりして石垣島にやってくることもある。

上原らは2011年10月に蘇澳へ招かれ、そのとき初めて漁業者同士の話し合いを持っている。「一度会っていなければ、こんなさなかに会おうという気持ちには、ならなかったかも知れない」

 上原は、漁業協定のラインが引かれた地図を台湾側から見て、こう言う。

 「(日本側が主張する排他的経済水域だと)台湾側の海はこんなに狭い。彼らも生活がかかってる。大変なんだと思う」

 日台間の交渉で海に線は引かれた。漁で共存するには「漁業者同士でルールを作る以外に方法はない」。上原はそこに望みを見いだそうとしている。(五十川倫義、宮地ゆう、文中敬称略)