イスラエル、テルアビブの空港をヘリコプターで飛び立つと、あっという間に海上に出た。初夏の地中海はおだやかだ。見渡すかぎり船はなく、青い絵の具を重ねた一枚の油絵が、どこまでも広がっているように見えた。
20分ほど飛ぶと、洋上にそそり立つ巨大な鉄骨のかたまりが姿を現した。
ヘリの発着場へ降り立つ。太い管が張り巡らされた施設へとさらに下りていくと、金網状の床から、はるか下に広がる海が見えた。施設は東地中海に横たわる「レバント堆積(たいせき)盆地」の上に立つ。広い範囲に天然ガスがたまっている海底の地層だ。その最大級のガス田「タマル」で3月末、生産が始まり、この洋上施設へとガスが送られてくる。
周囲のアラブ諸国から孤立するイスラエル。エネルギー資源に乏しいのが悩みだった。タマルの生産開始で、状況は変わる。開発の立役者ギデオン・タドモール(50)は「ゼロからの出発だった。どうせ実現しないと思われていた」と話す。
タドモールが最高経営責任者を務めるイスラエル企業「アブナーオイル」は1990年代に海に狙いを定めた。海底の開発には高い技術が必要だ。だが、アラブの産油国との関係悪化を恐れた国際石油・ガス資本(メジャー)からは協力を拒まれた、とタドモールはいう。アブナーはイスラエルのエネルギー大手「デレクグループ」の傘下に入り、独立系と呼ばれる小規模の米企業と組んで、北部のハイファ沖約90kmでタマルを発見。2009年のことだった。埋蔵量はこの年みつかった海底ガス田では世界最大で、翌年には、推定埋蔵量がタマルの約1.7倍の「レビヤタン」もみつかった。
■対立か 協調か
ガス田発見で、イスラエルと周辺国はにわかに東地中海に目を向け始めた。
イスラエルは1948年の建国以来、陸の線引きをめぐり争いを続けてきた。だが、海にはそれほど注意を払う必要がなかった。地中海を守る同盟国の米艦隊に挑む勢力はなく、めぼしい資源もないとみられていたからだ。
だが、米地質調査所が10年に発表した調査によれば、レバント堆積盆地は世界有数の可能性を秘めるガス地帯だ。周辺国も開発に意欲を燃やしはじめた。
海の境界を話し合いで決める動きも生まれた。イスラエルとキプロスは10年、重なり合う両国の排他的経済水域(EEZ)の線引きに合意した。イスラエルが他国と地中海の境界で合意したのは初めてだ。境界が決まれば、相手の国から文句を言われる心配なしに鉱区を設定し、探査を進めることができる。デレクと米独立系「ノーブルエナジー」は、キプロスのEEZ内でも11年にガス田「アフロディタ」を発見した。
とはいえ、東地中海が一気に安定に向かっているわけではない。
イスラエルと国交がなく、領海の境界についても争うレバノンでは、イスラム教シーア派組織ヒズボラの指導者ナスララ師が、この線引きはイスラエル側の領海主張に基づいたものだとして反発。「レバノンから資源を盗まないよう警告する」と演説した、と報じられた。ハイファ大教授ブレンダ・シェイファー(49)は「カスピ海や南シナ海では、石油やガスが紛争につながった。東地中海でも平和をもたらすことはないだろう」と話す。
イスラエルにとって重要な非アラブの地域大国トルコも、この線引きは無効だと批判している。キプロス島は南北の分裂が続いているからだ。南は主にギリシャ系のキリスト教徒が住み、国際社会が認めるキプロス。北はトルコ系のイスラム教徒が多く、トルコだけが承認する「北キプロス・トルコ共和国」だ。トルコは「島の再統一をめぐる問題が解決するまでは、北キプロスも島全体の大陸棚に権利を持っており、キプロスは海の開発をやめるべきだ」と主張する。11年、キプロス沖で試験掘削が始まると軍艦を送って威嚇した。
一方で、トルコ外務省のエネルギー担当局長ミタット・レンデ(59)は「ガスがキプロス問題の解決を後押しするきっかけになってほしい」とも話す。
ガス田の開発をさらに進めて利益を得るには、欧州など需要の大きい市場と結ぶ手段が必要だ。一国でまかなえない巨額の資金を調達し、国をまたぐパイプラインを整えるには、沿岸国の協力が欠かせない。一国だけの開発には限界があるからだ。(青山直篤、文中敬称略)