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真珠になってかえりたい 亡き祖母の思い胸に「ジュエリー葬」 時を経て生まれ変わる

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アコヤ貝の中から出てきた遺骨が入った真珠
アコヤ貝の中から出てきた遺骨が入った真珠=アッシュオン提供

大切な人の遺骨が真珠に生まれ変わったら……。

遺骨や遺灰から真珠やダイヤモンドをつくり、身につけたり手元に置いたりする「ジュエリー葬」が近年、注目を集めています。

三重県英虞湾で行われたアコヤ貝の浜揚げの現場を訪ねました。

澄み渡った空に連なる山。穏やかな水面は、太陽の光を浴びて輝いている。2022年12月、三重県英虞湾。

「おばあちゃんお帰り! 大きくなったね」。浜揚げされたアコヤ貝を見て静岡県磐田市の中学校教諭、平田梓さん(39)の声が弾んだ。

殻を開け、夫の隼也さん(29)と手探りで貝の中を確認する。一つ目。梓さんが小さな真珠を見つけた。

「わぁ、きれい。深い青色。おばあちゃん、藍染めが好きだったもんね」。手のひらに乗せ、いとおしそうに見つめた。梓さんがアコヤ貝から見つけたのは、祖母の塩澤さわさんの遺骨から養殖した真珠だ。

この日浜揚げされたばかりのアコヤ貝から取り出した祖母塩澤さわさんの遺骨が入った真珠をみつめる平田梓さん(右)と夫の隼也さん
この日浜揚げされたばかりのアコヤ貝から取り出した祖母塩澤さわさんの遺骨が入った真珠をみつめる平田梓さん(右)と夫の隼也さん=2022年12月18日、三重県英虞湾、本間沙織撮影

依頼したのは、2021年11月に97歳で亡くなった、さわさん自身だった。「狭くて暗いお墓ではなく、静かな海の中でゆっくりと眠りたい。そして真珠となって戻ってきたい」と願い、生前に資金を用意していたという。

普通の養殖との違いは、真珠の「もと」(核)に遺骨が含まれていること。粉にした遺骨を粘土と混ぜて丸くして焼き、5~7月ごろ、貝の一部とともに母貝に移植する。貝の中で、新たな層に包まれて真珠になったものを12月に引き上げる。

さわさんが晩年は絵手紙や俳句をたしなみ、陶芸や洋裁も楽しんでいたこと。藍の種を守り続け、染め物に親しんでいたこと。そんなさわさんの影響を受けて美大に進んだこと……。梓さんは、祖母の思い出話をしながら、真珠を取り出した。グレーがかったものやクリーム色、青みを帯びた色と、珠によって色が異なり、形や大きさも様々だ。

祖母塩澤さわさんの遺骨が入った粘土を丸めて真珠の「核」をつくる平田梓さん(左)と夫の隼也さん、娘の水彩さん
祖母塩澤さわさんの遺骨が入った粘土を丸めて真珠の「核」をつくる平田梓さん(左)と夫の隼也さん、娘の水彩さん=アッシュオン提供

「手作りのものには命が宿ると思い、すべての工程に関わらせてもらった。ここに家族の思いが入り、絆が深まっていくと思う。今日は祖母を迎えにきました」

名古屋市の有限会社「アッシュオン」の田中英樹さん(61)は16年、遺骨から真珠をつくるサービスを始めた。「遺骨から真珠になるまでのすべての時間が供養になる」と話す。料金は41万8000円(税込み)。遺骨は最大15グラムまであれば真珠にすることができる。

自然の産物なので貝から出てくる真珠の数はまちまちだが、平均して核入れした貝の1割ほど、9から18珠前後ができ、家族や親族で分けることができる。

半年間、海の中に眠っていたアコヤ貝をひきあげる「アッシュオン」の田中英樹さん
半年間、海の中に眠っていたアコヤ貝をひきあげる「アッシュオン」の田中英樹さん=2022年12月18日、三重県英虞湾、本間沙織撮影

大切な友人を亡くした30代の男性が「遺骨を真珠にして仲の良かった友だちと分けたい」と遺族の許可を得て依頼し、友人8人で訪れて核作りから携わった例もあるという。核作りなどにも参加する場合、追加料金がかかる。浜揚げ時期が限られ、1シーズン20組が限界だ。

祖母塩澤さわさんの遺骨が入った「核」をアコヤ貝の中に入れる平田梓さん
祖母塩澤さわさんの遺骨が入った「核」をアコヤ貝の中に入れる平田梓さん=アッシュオン提供

この日、平田さんの家族は、体調がすぐれない人もいて、現地に来られたのは梓さんと隼也さんの2人だった。田中さんは貝を一部、持ち帰ることを提案した。

生まれたばかりの平田梓さん(後列右から2番目)と隼也さん(後列右)の娘、水彩さんを抱く96歳のときの祖母塩澤さわさん(前列中央)。母の木舩みね子さん(前列右)の家は、藍染めののれん花瓶、絵画など木の人形やエプロンなどさわさんが作ったものに囲まれている
平田梓さん(後列右から2番目)と隼也さん(後列右)の娘、水彩さんを抱く96歳のときの祖母塩澤さわさん(前列中央)。母の木舩みね子さん(前列右)の家は、藍染めののれんや花瓶、絵画など、さわさんが作ったものに囲まれている=木舩みね子さん提供

帰宅後、家族みんなが集まって貝を開けると三つ真珠が出てきたという。

母の木舩みね子さんは、「真珠はあたたかな色合いが素敵で、母の素朴な生き方そのものでした」と声を詰まらせた。生きていたら99歳の誕生日を迎えたさわさんのために、ケーキでお祝いした。テーブルには生まれ変わったばかりの真珠も置いた。

真珠をペンダントにしようかな、ブローチかな。梓さんは、祖母を感じながら、しばらくそばで眺めておくつもりだ。

地域の文化祭で笑顔を見せる塩澤さわさん。スカーフはあかねで染め、帽子やエプロンは着物などを再利用して縫いあげた
地域の文化祭で笑顔を見せる塩澤さわさん。スカーフはあかねで染め、帽子やエプロンは着物などを再利用して縫いあげた=木舩みね子さん提供