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災害で起きる「あいまいな喪失」とは? 向き合うための6つのプロセス

World Now 更新日: 公開日:
「あいまいな喪失」理論を長年研究する米ミネソタ大名誉教授ポーリン・ボス博士=本人提供

大災害から時がたっても心の傷が癒えない被災者たちは多い。そうした被災者たちを支えるうえで注目されたのが、米ミネソタ大名誉教授のポーリン・ボス博士(社会心理学)が提唱する「あいまいな喪失」理論だ。ベトナム戦争の行方不明兵やテロ被害者、認知症患者らの家族支援に40年以上かかわってきたボスに心のレジリエンスについて聞いた。(聞き手・構成 渡辺志帆)

Pauline Boss 米国の社会心理学者。1934年生まれ。米ミネソタ大学名誉教授。70年代に「あいまいな喪失」理論を提唱し、喪失が不確実であるために高いストレスを抱える家族らを支援してきた。2012年に来日し、東日本大震災の被災者ケアにあたる専門家向けのワークショップや講演会を開いた。

――「あいまいな喪失」とはどんな概念ですか。

「あいまいな喪失」とは、喪失した確証のない不確実な状態をいいます。津波で行方不明になるなど、心理的に存在しているが身体的に存在しない「さよならのない別れ」、肉体はあっても心理的に失われた「別れのないさよなら」の2通りがあり、決着や終結することがありません。広義には、子供を養子に出すことや、親の離婚で親子がばらばらになること、認知症や脳の外傷、アルコール依存症などで、その人らしさや記憶が失われていき、「そこにいるけれど、いない状態」も「あいまいな喪失」に含みます。

身近な人の死など、喪失に向き合うことは非常に難しいことです。ですが、私たちが生きていく上で避けて通れません。喪失を拒めば、他の人が喪失に苦しむことに耐えることができず、他者に共感しづらくなります。ですから、喪失を拒むのではなく、喪失と向き合う必要があります。

宮城県石巻市の日和山公園から望む旧北上川河口。津波被害の大きかった同市では2020年12月末現在も400人以上が行方不明だ=2020年11月、渡辺志帆撮影

――なぜ「あいまいな喪失」に着目したのですか。

喪失を研究したいと考えたのは、おそらく私の父がスイスから米国に渡ってきた移民だったことも一因です。父の心は、いつも私の知らない母国の家族とともにありました。スイスから届く黒い縁取りの封書は家族の死を伝えるもので、父は私の会ったことのない人たちを思って悲しみに暮れていました。当時は大西洋間の国際電話も、手頃な国際線フライトもありませんでした。世界恐慌や世界大戦があり、父にはスイスに戻るお金はありませんでした。私が育った移民地区では、誰もがそこにいながら、心は祖国とともにありました。そうした経験から、私は喪失には様々なタイプがあると、考えるようになったのです。

――「あいまいな喪失」にはどう向き合ったらいいのでしょうか。

私は、家族やコミュニティーのレジリエンスを高めるために支援者が念頭に置くべき六つの指針を示しました。(1)意味を見つける(2)人生をかじ取りする感覚を調整する(3)アイデンティティーを再構築する(4)相対する感情を正常なものと見なす(5)愛着の形を見直す(6)新しい希望を見つける、です。

これらは円環的なプロセスであり、どこから始めてもかまいません。たとえば(1)の意味を見つけることと、(6)の新しい希望を見つけることは、どちらが欠けても成り立ちません。津波で子どもを亡くしたことに意味などあり得ないというなら、意味の代わりに、人生の目的を見つけることもできるでしょう。たとえば亡くなった子の分まで幸せな人生を送ろうと決意したり、亡くなった子に敬意を表して他者を助けたり、津波の教訓を伝えたりといったことです。

オンラインでインタビューに応じたポーリン・ボス博士

――ほかにどんな意味づけの例が考えられますか。

津波で子どもを失った母親が、「子どもはどこか遠くの島で、優しい女性に育てられている」と言ったとしても、私は訂正しません。その考えは無害で、その人に安らぎをもたらしているからです。自殺や自傷行為をしようとしたり、アルコールにおぼれたりするような有害な意味づけ(解釈)でない限り、専門家が介入する必要はないのです。

――「人生をかじ取りする感覚を調整する」とはどういう意味でしょう。

人は、自分の思うように生きたいという自己意識をもっています。津波などの試練に直面した時に、人は自分自身を鍛錬し、自ら能力を高める必要に迫られることがあります。そうすることで次はよりうまく対処できます。そんな時に、人生をかじ取りする感覚は一定程度、必要です。そうでなければ、試練を前に無力感や絶望感にさいなまれ、自殺願望につながるなど危険です。ただ、コミュニティーや他者も同じように大切にすべきで、そのためには、時には自分の「かじ取りの感覚」を加減しなくてはいけません。

終息や解決策がなかなか見通せない現在の新型コロナ禍は、「かじ取りの感覚」を重視する米国人にとって非常にやっかいなものです。自分の思うように生きたい、自分の自由を奪われたくない、だからマスクも着けたくないという人が中にはいますが、そうではいけません。

――「相対する感情を正常なものと見なす」とはどういう意味ですか。

津波の行方不明者について、家族の多くは「亡くなっているかもしれないし、生きているかもしれない」と相反することを言います。私はこうした考え方をしてもよいと考えます。なぜなら、それがあいまいな喪失下で、最も真実に近い表現だからです。9・11米同時多発テロでも犠牲者の半数近くは遺体が見つからず亡くなった確たる証拠がありません。DNAによる照合作業は今も続いています。両論的な思考を促すと、あいまいな喪失に直面した人々は落ち着き、心理的なストレスが大幅に軽減します。逆に「今頃はもう亡くなっているに決まっている」などという二者択一の発言は、とても心情を害します。

ポーリン・ボス博士による「あいまいな喪失」についての専門書(左)と、日本の専門家によって書かれた一般向け解説書

――新たな希望も重要ですね。

新たな希望を見いだすことも大切です。行方不明者が戻ってきたり、認知症が完治したりといった「古い希望」ではいけません。どんなに願っても、過去に戻ることはできないのですから。

喪失を抱いた気持ちは揺れ動きます。アップダウンがあります。時間とともに遠くなっていきますが、完全に消えることはなく、また消える必要もありません。終結や決着がなくても、私たちはうまく対処できるのです。

――六つのプロセスに入っていく上で大切なことは何ですか。

多くの人は同じ境遇の仲間や友人、隣人たちと話すことで、自然と六つの取り組みに入っていきます。仲間とつながりを持つことがなぜこれほど重要なのでしょうか。なぜなら、仲間はあなたを病人扱いしません。苦しむことは正常な反応だと受け止めてくれます。同じ喪失を抱えた仲間から向き合い方を学べます。そして、抱えた問題を語ることで聴く側と語る側の双方が意味を見いだす助けとなります。孤立してしまうと、こうした反応は得られません。同じ考えがぐるぐる頭をめぐってなかなか前に進めません。私たちは社会的な生き物で、仲間が必要なのです。

福島県南相馬市の砂浜。東日本大震災の津波では多数の死者・行方不明者が出た=2020年11月、渡辺志帆撮影

――「あいまいな喪失」への向き合い方は、いま起きている新型コロナ禍にも当てはまりますね。

多くの人がコロナ禍で喪失感を抱いています。悲しみと疲れた心を癒やすのは「人とのつながり」です。集まってお茶を飲むのは難しいかもしれませんが、創造力を働かせてください。バルコニーに立って隣人に手を振ってもいいでしょう。私の隣人は、高齢で外出自粛中の私のために、市場で手に入れた新鮮なニンジンを玄関先に置いていってくれます。私も年配の友人に電話します。コロナ禍の混沌(こんとん)とした世界で、私たちに必要なのは他者に共感する気持ちを持つことです。人は、自分がコミュニティーに支えられていると知ったとき、よりレジリエンスを発揮できます。観衆の声援が大きいほど、アスリートがより力を出せるのと似ています。

新型コロナ禍の今、ぜひ両論的な考え方をしてみてください。「今は大変な時だ。でも私は生き抜ける」「とても危険だ。でも私は自分を守るための行動をとれる」と。そして、周囲の仲間とつながり、新しいやり方で自分自身に優しくしてあげてください。それがレジリエンスを高めます。特別といえるなら小さなことでいいんです。私は亡き夫と劇場やレストランに出かけるのが大好きでした。でも今は一人暮らしで、ずっと外出していません。だから自粛期間中、お茶を飲むときは家中で一番すてきなティーカップを使います。

風に揺れるつり橋のように柔軟に生きていきましょう。レジリエンスを保つには、柔軟に変化することが必要です。生きる意味を見つけ、新しい希望を見つけてください。物事は変化し、人生はよいことも悪いことも起きます。そのどちらに対処するにも、風にしなる若木の枝のように構えることが何より大切です。