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前を向く、けれど 津波に奪われた家族の映像、見返せる日はいつ

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東日本大震災の津波で家族4人を失った福島県南相馬市の上野敬幸さん(47)は毎年、自宅前の畑に菜の花を植える。「笑っていなくちゃ、亡くなった人たちが心配する」。震災の年に生まれた次女が軽やかに歩く=岩波友紀撮影

福島県南相馬市の中心部から沿岸部に向かって車を運転していくと、家並みが突然途切れて視界が開ける。津波にのまれた地域だ。震災前より1メートルかさ上げされた高さ7.2メートルの防潮堤の内側では、まだ背の低い松の苗木が浜風に揺れていた。そこからほど近い畑の中に、農業上野敬幸さん(47)の家がぽつんと建つ。近所の家はみな津波に流され、上野さんの家だけがかろうじて残った。亡くなった家族のそばにいたいと、震災後に元あった家の隣に新しい家を建てた。

津波で自宅にいた両親と2人の幼い子を失った。母順子さん(当時60歳)と長女永吏可(えりか)さん(同8歳)の遺体はほどなく見つかったが、父喜久蔵さん(同63歳)と長男倖太郎くん(同3歳)は今も見つかっていない。

地震直後、上野さんは当時勤めていた職場からいったん帰宅して両親と倖太郎くんの無事を確認した。永吏可さんのいる小学校に避難すると聞いて安心し、地元消防団の救助活動に加わった。4人はいったん小学校に避難したものの、自宅に帰ってしまって被災したと後で知る。「子どもたちを守ってやれなかった」。自分を責め続けた。

東日本大震災の津波で亡くなった長女永吏可さんと長男倖太郎くんの遺影を持つ上野敬幸さん=福島県南相馬市の自宅で

倖太郎くんを探し出すことだけが上野さんの生きる理由になった。「見つけ出したら、抱きしめて、ごめんねと謝りたい」。倖太郎くんを見つけたら自分も死のうと思った。震災翌日、自宅から約22キロ離れた東京電力福島第一原発で水素爆発が起きた。住民のほとんどが避難する中、残って消防団の仲間と倖太郎くんを探し続けた。その後、不明者捜索のボランティア団体「福興浜団」を仲間と立ち上げ、今も倖太郎くんを探し続けている。

倖太郎くんは活発でかくれんぼが上手だった。家族で買い物に出かけると、ふっといなくなり、気づくと店先のマネキンの足をなでていて、みんなの笑いを誘う、そんな子だった。そんな震災前の日常の光景がふとよみがえった。「倖太郎がかくれんぼしていてわざと出てこないようにしているのではないか。自分は倖太郎に生かされているのかもしれない」。そう考えるようになった。

「笑っていなくちゃ、亡くなった人たちが心配する」。震災から2年がたった頃、自宅前の農地に菜の花を植えた。海岸の捜索を終え、福興浜団の仲間と自宅に集まり、菜の花畑に迷路を作って人を呼ぼうということになった。以後、毎年5月の大型連休に菜の花畑を開放し、夏には追悼花火も打ち上げる。

「一時でもいいから、みんなが笑顔で喜んでいる姿を天国にいる人たちに見せて安心させたい。一時でも笑顔が生まれたらいい」

迷路になる予定の自宅前の菜の花畑を見渡す上野敬幸さん。身につけているのは地元消防団の仲間らと立ち上げた「福興浜団」のジャンパー=福島県南相馬市

長生きすることに興味はない。2人の子どもに天国で「パパ」と呼んでもらえるなら明日寿命が尽きたってかまわない。だが、自死する考えは消えた。震災の年に生まれた次女倖吏生(さりい)さん(9)は会ったことのない姉と兄のことを慕う。「生きているからできることもある。仕事もボランティアも全力でやろう」。そう強く思うようになった。自分たちのように悲しい思いをする人がいなくなるようにと震災の教訓を広めたいとも願う。

時間とともに、生前の永吏可さんと倖太郎くんが写った写真は眺められるようになった。だが、3歳の誕生日にケーキのロウソクを吹き消す倖太郎くんや永吏可さんの姿を収めたDVDを見返すことは今もできない。上野さんたちの軌跡を追ったドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」(2017年)の上映会などに招かれて全国各地に足を運ぶ。だが、会場で子どもたちが映る作品を直視することができず、会場の外でコーヒーを飲んで時間をつぶしている。

菜の花畑に囲まれた上野敬幸さんの現在の自宅。東日本大震災で津波に襲われ家族4人が亡くなったかつての自宅の隣に再建した=福島県南相馬市

「復興とは」と問われることも多い。だがいつも言葉に詰まってしまう。子どもたちの死を受け入れ、妻貴保さん(44)とDVDを見ながら生前の思い出を語り合えるようになる日は来るのだろうか。その時が自分にとっての復興だと考えている。「どこかでできるようになるとは思うけれど」。自分に言い聞かせるように言った。(渡辺志帆)

東電福島第一原発から約20キロあまりの福島県南相馬市の防潮堤と海辺