「ちょっとベッキレ(待って)」トルコ語が飛び交う特売日
店頭に並んだキュウリやイチゴが次々と売れていく。特売のこの日、川口市芝の青果店「マートコバヤシ」はたくさんの客でごった返していた。日本の客の隣で果物の品定めをするベトナムの人、「お菓子を買って」と母親に中国語でねだる子もいる。そして、箱入りのトマトやパプリカを大量にかごに入れ、レジに向かうのは、トルコから来たクルド人だ。
「ポシェットは2枚でいい?」。会計するクルド人客に、店員の小林陽子さんが尋ねた。レジ袋のことをトルコの郷里でポシェットというのだと、客から教わった。
ほかにも、「ありがとう」は「テシェッキュルエデルム」。「2個で100円」は「イキターネシユズィエン」。忙しいときは、「ちょっとベッキレ(待って)」と口走る。「トルコ語なのかクルド語なのかもわからずに言っている」。そう言って小林さんははにかんだ。
マートコバヤシは、小林さんの両親が50年以上この地で続けてきた。よいものを安く売る努力をしてきたが、この20年ほどで、近所にいくつもスーパーができ、客は減る一方だった。
「なんとかお客さんを取り戻さなくては」。そう感じていた15年ほど前のある日、見慣れない客がやってきた。イスラム教徒らしく、頭に布をかぶった女性が野菜を買っていった。
その頃から近所に多く暮らすクルドの人たちが続々とやってくるようになった。最初は大混乱だった。当時、クルドの人たちは日本語がほとんどわからず、小林さんもトルコ語やクルド語を知らなかった。女性たちは大声で話し、きれいに並べた商品をぐちゃぐちゃにしてしまう。購入する量にも驚いた。日本の家庭では考えられないような量の野菜や果物を一度に買った。
顔と名前を覚えることから 15年で感じる変化
小林さんも以前から来ていた日本人客も戸惑った。
ある時、購入前にイチゴをつまんで食べてしまったクルドの子どもがいた。小林は同行の大人に、「買っていってね」と根気強く話した。その後、商品を触ろうとする子どもがいると、別の子が「触っちゃだめだよ」と注意していた。きちんと伝わったのだ。
「まずはクルドのお客さんの名前と顔を覚えよう」。小林さんはそう思い立った。
アイシェさん、セヘルさん、アスルさん……。名前を油性ペンで手に書いて覚えた。簡単な単語を教えてもらい、「サラタルク(キュウリ)が安いよ」などと電話で伝えると、お店に買いに来てくれるようになった。トルコの人が酢漬けにして食べる赤キャベツや、サラダなどに使うパセリは切らさないように置く。
今ではLINEでグループをつくり、お買い得情報を伝えている。グループには60人ほどの名前が登録されている。
青果店の仕事は朝4時から夜遅くまで続く。早朝に品出しをしていると「ギュナイドゥン(おはよう)」と近隣のクルドの女性があいさつしてくれる。疲れたと言えば「ヨーコ、リンゴを食べて早く寝なさい」と声をかけてくれる。小林さんの高齢の父親には「がんばってね」と話しかけ、母親が足の治療で休んだ時は「お母さん大丈夫? みんなとても心配しているよ」と日本語で連絡がきた。
クルドの人たちの優しさや思いやりが身にしみる。
小林さんも、けがをした女性に「やけどの薬をください」と書いた紙を渡して薬局に行くよう促したり、発疹がかゆいという女性に軟膏(なんこう)を渡したりしている。青果店と客というより、「友達としてつながっている。それが自分の誇りになった」という。
近くに住むイペックさん(28)は「買いたいものの名前が日本語でわからない。でも、ヨーコは『ウズム(ブドウ)おいしいよ』と教えてくれる。誰かが忘れ物をしたら連絡をくれる」という。「ヨーコは友達」
2月、川口で暮らす多くのクルド人の故郷であるトルコ南東部を大地震が襲った。被災して逃れてきたのか、初めて来店する人を最近見かけるようになった。
緊張した様子で店にたたずむ姿を見て、「これはネギ、ニンニク」と常連客に教わったトルコ語で言うと、「うん、うん」とうなずき、帰りは笑顔で手を振ってくれた。
ベビーカーの置き場や駐車の仕方など、今も注意することはたくさんある。外国人客をよく思わない人もいる。でも会計を待つ列に一緒に並びながら、「あなたこのトマトどうやって食べるの」「家族は何人?」と、クルドの人に話しかける日本人を見かけるようになった。
「あっ、溶け込んできた。慣れてきたんだな」。15年たってやっと、感じられるようになった。