いま、中東で起きていること シリア内戦の「変化」を3つの視点で読み解く
シリアをめぐる構図は、複雑だ。米ロ2大国の思惑だけでなく、トルコ、イランといった中東の地域大国の利害もからむ。そこに、シリア、トルコ、イラク、イランにまたがる「国を持たない民族」クルド人の存在もかかわってくる。この入り組んだ構図をときほぐし、中東はこれからどこに向かうのかを3つの視点で整理してみたい。(近内みゆき)
3つの視点とは、
① なぜ、トルコは越境作戦に踏み切ったのか
② 大国の思惑とは
③ シリア情勢の今後
トルコはシリアの隣国であり、一貫して反政府勢力を支持する。同時に、クルド武装勢力と敵対し、アサド政権とも外交関係を断絶しながらロシアとの良好な関係を維持する。トルコは、和平に向けたキープレーヤーの一国でもある。トルコはシリア内戦にどう関与し、今後の展望は何なのか。まず、トルコを取り巻く世界とともに考えてみたい。
10月9日に始まったトルコ軍のシリア北部における「平和の泉作戦」。トルコ国境付近のテロリスト掃討と、国内のシリア難民を帰還させるための「安全地帯」を設置するのが主な目的だ。同月6日の両国の電話首脳会談におけるトランプ大統領の米軍撤退宣言が作戦のゴーサインと捉えられた。
シリア内戦ぼっ発以降、トルコが受け入れ続けてきたシリア難民は今や360万人。8年を経て住民と難民との間の小競り合いや、難民に職を奪われるなどの不安から、早期帰還を求める声は日増しに高まっている。今年3月の地方選では、シリア難民の早期帰還も争点となった。その後政府は難民帰還を急ぐ方針にかじを切り、シリア国内に「安全地帯」を作り、そこに難民を送り返すことが、テロ対策と同時に政府の急務と認識するようになった。ただ、この安全地帯構想は今回が初めてではない。トルコは2012年から安全地帯の設置に向け、アメリカなどと交渉を続けてきたが実現しなかった。
トルコはなぜクルド武装勢力を攻撃したのか。「国を持たない世界最大の少数民族」と呼ばれるクルド人。トルコ、シリアとの歴史的な背景からひもとく。
シリアの隣国の中でも、最も長い910㎞に及ぶ国境を接するトルコには現在、人口の20%弱に当たる約1500万人のクルド人がいるとされる。イスラム教スンニ派が多く、ペルシャ語系のクルド語を話す。
トルコは第一次世界大戦後、オスマン帝国崩壊の過程で列強に占領され、国家分断の危機を味わった。そのため、1923年のトルコ共和国樹立に伴う憲法には国家の「不可分性」を明記した。
同年に戦勝国と結んだローザンヌ条約では、イスラム教徒でないギリシャ人やアルメニア人、ユダヤ人はマイノリティと定められたものの、クルドは含まれず、憲法の「トルコはトルコ人の国家でトルコ語を国語とする」規定の下、クルド語の使用や音楽も禁じられるなどし、自由が制限された生活を余儀なくされてきた。
こうした社会的不公正を是正しようと70年代、トルコからの分離独立を目指すマルクス・レーニン主義の武装組織「クルディスタン労働者党(PKK)」が結成され、その後の35年にわたるトルコ軍との戦いにつながっていった。
シリアにおいては内戦前、約2100万人の人口の約10%弱がクルドと言われていた。多くが北部のトルコ国境付近に居住し、アサド政権の下、クルド語や政治活動の禁止などの抑圧的支配が行われてきた。
一方で、トルコがPKKと敵対した80年代以降、ハフェズ・アサド前大統領はPKK指導者のオジャラン氏を支援。トルコの再三の支援停止要請にも拘わらず支援は継続され、98年にはしびれを切らしたトルコが国境沿いに5万人の兵を派遣し臨戦態勢を敷くと、ようやくオジャラン氏を国外追放処分にし、対PKKに関する両国の合意文書締結に至り、関係を改善していった。
2003年になると、シリアのPKK元メンバーにより、オジャラン氏の思想を受け継つぎ、シリア最大のクルド民族主義の政党「民主統一党(PYD)」が結成され、傘下に民兵組織「人民防衛隊(YPG)」が作られた。
2011年3月のシリア内戦ぼっ発当初、トルコはアサド政権との良好な関係を維持しており、解決に向けた話し合いが続けられていたが、間もなくトルコ国内に難民流入が始まると、アサド政権に対し、武力弾圧の停止と、国民の要求受け入れを求めた。
だが、アサド政権側は応じず、その後徐々に双方の距離が生まれ、トルコはシリア反体制派の支援を行うようになっていった。
トルコ軍とPKKは35年の対立の歴史を持つが、現在のエルドアン政権が、一貫してタカ派政策を取ってきたわけではない。
同政権下で、2005年からクルド問題解決に向けた取り組みが進んだ。2013年には、政府とPKK元指導者オジャラン氏との間で停戦と武装解除も含む歴史的な和平交渉がスタート。双方の歩み寄りで一時和平の機運が盛り上がったが、徐々にお互いの不信感が募り、15年7月に破綻。その後再び戦闘が始まった。
トランプ大統領の「トルコにとってはイスラム国よりもPKKの方が脅威だ」とするツイートは、35年間PKKと戦ってきたトルコの本音でもある。国内のISによるテロで犠牲になった市民は300人以上。一方1984年からのPKKとの衝突では約4万人に上る。
PKKはトルコのほか、米国からもEUからもテロ組織に指定されているが、YPGはトルコのみがテロ組織とみなしている。PKKとYPGは欧州各地に拠点を持ちクルドの苦境を訴え続け、国際世論を味方につけてきた。
シリア内戦を受け、YPGが、国境の向こう側で分離独立志向を高めれば、国内にも飛び火すると、トルコは神経をとがらせた。それでも、内戦当初は両者の間で交渉があり、トルコはYPGに反政府勢力に加わるよう説得していた時期もあったが、結局、YPG側は「トルコがISを支援している」などとして共闘を断った。
トルコ、シリアとクルド人勢力の緊張感が続く中、米国はどのように関わってきたのか。
米国は2013年、シリアの反政府勢力で、トルコがてこ入れする「自由シリア軍」を支援するようトルコから打診を受けるも、当時のオバマ政権は「民衆の支持がない」として拒否。同年、アサド政権軍の化学兵器使用の疑いが明るみに出ても米国は介入せず、その後戦況は拡大した。14年、イラクからの米軍撤退により生じた「力の空白」地帯でのIS台頭を受け、ようやく重い腰を上げたが、米国が協力相手に選んだのは、トルコの宿敵YPGだった。
アサド政権が、アラブ系を中心とした反体制派との戦闘で勢力を縮小する中、YPGは米国の後ろ盾を受け、支配地域を拡大し、シリア北部で約400万人の人口を抱える「自治区」設立を宣言。アサド勢力とは距離を置くと同時に、アサド政権よりもISとの戦いを優先した。こうした中で、YPGは石油を始めシリアの8割の天然資源が集中する地域を事実上勢力下に置きながら、アサド政権の自治黙認を謳歌しつつ、関係も維持していった。
一方のトルコは、内戦以降、YPGによるシリア側からのロケット弾攻撃や、米国が提供した武器が国内に流入しPKKの手に渡ってテロが起こされるケースを目の当たりにすると、警戒心を高め徐々に攻勢を強めていった。
ロシアは、アサド政権の要請を受ける形で15年に内戦に介入した。一貫して政権側についていたが、YPGとの関係も維持し、時に、シリア北部に勢力圏を広げるトルコをけん制するために利用してきた。ロシアは現在に至るまで、PKKとYPGをテロ組織指定していない。
ロシアにとって、今回の米軍撤退宣言は、アメリカの中東での影響力低下につながる動きであり望ましい。空白を埋めるべくすぐさま軍を派遣し、トルコとYPG、アサド政権と調停役を買って出た。クリミア半島併合を巡る欧米との対立と制裁による国内経済疲弊もあり、シリア内戦をきっかけに中東で再びロシアの影響力を拡大するチャンスと考えているようだ。また、内戦に関与しているトルコとイランとともに、2016年から3首脳による和平会合を開き、実質的な和平協議をリードしてきたという自負もある。
10月22日はトルコ・ロシア両大統領がシリアを巡り会談、「安全地帯」の維持やトルコ国境30㎞付近からのYPGの撤退などを条件に停戦に合意した。アサド大統領も停戦に理解を示したという。米軍撤退により、強力な味方を失ったYPGは、ロシアの仲介で、ほどなくアサド政権軍との協力開始で合意。交渉材料のないまま、アサド政権側有利の中で話し合いは進み、政権軍がクルド支配地域に入ることも認めた。
ロシアの主導により、シリア情勢の中心は今後、軍事から外交にシフトするとの期待が高い。
2012年6月から、国連主導の下でアサド政権と反体制派による内戦終結と和平に向けた「ジュネーブ会議」が開かれてきた。
再び開かれたジュネーブ会合の場での焦点は、選挙実施に向けた憲法を制定する「憲法起草委員会」の開催だ。委員はアサド政権側、反政府勢力、市民社会から各50人。だが、意思決定には委員の75%以上の賛成が必要とされており、150人という人数の多さも相まって、今後の曲折が予想されている。
委員の中に、YPGは含まれていない。トルコの強硬な反対があるからだ。エルドアン大統領は、「トルコがテロリストと交渉することはありえない」と主張するが、国土の4分の1を実質的に支配するクルド勢力の排除は、和平を骨抜きにする。トルコもそこは理解しているとみられ、PKKとYPGの引き離しと、YPGの武装解除の道を模索しているようだ。今回のYPGのトルコ国境付近からの撤退は、PKKの反対を押し切って実行されたと言われており、引き離しの機運が高まれば、トルコも軟化姿勢を見せる可能性がある。また、内戦以降国交を断絶しているトルコとアサド政権も、ロシアの仲介でゆくゆくは交渉が始まると期待されている。
米軍の撤退宣言はなされたものの「撤退後」を論じるのはまだ早そうだ。トランプ大統領は、IS指導者の死を受けた10月29日の演説後、シリアについて「我々は出ていく、だが油田地帯を守るため一部の駐留は継続する」と明言。油田地帯のあるデリゾール付近で数百人規模の兵の駐留を検討している模様だ。
シリア最大の油田地帯はアラブ系住民が多数を占めており、クルドによる支配を快く思わない住民もいるという。一方で、石油利権は当然、アサド政権も取り戻して中央集権化を徹底させたい意向だ。ロシアの仲介により、アサド政権との交渉が一気に進むかに見えたクルド地域だが、米軍の駐留継続で再び膠着状態が予想される。
来年3月で内戦から9年目を迎える。和平の道筋はつけられるか、関与国の様々な思惑の入り混じった複雑な方程式の解を導くには、まだしばらく時間がかかりそうだ。