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体に埋め込んだチップが鍵やパスワードに 「手術」はリビングで2秒 支払いも可能

World Now 更新日: 公開日:
マイクロチップを持つパトリック・クラマーさん
マイクロチップを持つパトリック・クラマーさん=2023年2月、ドイツ・ハンブルク、星野眞三雄撮影

ドイツ北部ハンブルクの住宅街に、パトリック・クラマーさん(52)の会社「アップグレーデッド・ヒューマンズ」(http://www.upgraded-humans.com)のオフィス兼自宅がある。2月初め、そのリビングにあるテーブルで手術はおこなわれた。

受けるのは、薬剤師エカード・ファルカさん(64)。同意書にサインして、クラマーさんから説明を受ける。いよいよ手術だ。

エカード・ファルカさんの手にチップを埋め込む「手術」の準備をするパトリック・クラマーさん
エカード・ファルカさんの手にチップを埋め込む「手術」の準備をするパトリック・クラマーさん=2023年2月、ドイツ・ハンブルク、星野眞三雄撮影

クラマーさんはファルカさんの左手の甲の親指と人さし指の間をよく消毒し、注射器の針をブスリ。

薬のカプセルのような形の小さなマイクロチップが、手の皮膚の下に入った。針を抜き、ばんそうこうを貼り付けたクラマーさんは「これで君はサイボーグになった。手をかざすだけでさまざまなことができる」。

手術といってもわずか2秒。ファルカさんは「あっという間で、まったく痛くなかった」と笑う。

エカード・ファルカさんの手にチップを埋め込む「手術」をするパトリック・クラマーさん
エカード・ファルカさんの手にチップを埋め込む「手術」をするパトリック・クラマーさん=2023年2月、ドイツ・ハンブルク、星野眞三雄撮影

手に埋め込んだマイクロチップの代金は169ユーロ(約2万4500円)で、クラマーさんは「表面はガラス製なのでアレルギーの心配もない」と説明する。

手に埋め込む「手術」代は69ユーロで、クラマーさんによると、ドイツではピアスを開けるのと同様と見なされ免許などは必要ないが、医師が施術しなければならない国もあるという。

チップを埋め込んだ手をドアにかざすと、施錠が解除される。チップに記録された10桁以上の数字を錠の読み取り機に登録することで開く仕組みだ。

「アップグレーデッド・ヒューマンズ」のオフィス兼パトリック・クラマーさんの自宅
「アップグレーデッド・ヒューマンズ」のオフィス兼パトリック・クラマーさんの自宅=2023年2月、ドイツ・ハンブルク、星野眞三雄撮影

クラマーさんのオフィス兼自宅の玄関にもこの錠がついていて、手をかざすと緑色のライトがついて解錠され、ドアを開けることができる。玄関を入ってすぐ右手にある仕事部屋のパソコンは、パスワードを入れるのではなく、手をかざすだけで立ち上がる。

ドアのシステムを開発した錠前メーカー「ヴィルカ」の営業部長マセル・ボイさん(45)も、クラマーさんがチップを埋め込んだ一人だ。ボイさんも玄関やガレージの鍵、パソコンを開くパスワードとして手をかざす毎日で、「鍵やパスワードを忘れることはなくなった」と満足げだ。

手をかざして解錠、支払い…勤務時間の管理まで計画

埋め込んだチップは、鍵やパスワードの代わりになるだけではない。

マスターカードのクレジット機能がついたチップもあり、手に埋め込めばクレジットカードのように支払いができる。通常のチップよりやや大きいが薄っぺらく、代金は269ユーロ。

クラマーさんの両手には五つのチップが埋め込まれているといい、ドアの解錠、パソコンのパスワード入力、買い物の支払い……さまざまなことを手をかざしてすましている。「鍵や財布、ビルに入るためのカードキーなどを持ち歩くことはなくなった。なくすことも忘れることもない」

手に埋め込まれたマイクロチップ
手に埋め込まれたマイクロチップ=アップグレーデッド・ヒューマンズ提供

あらゆることを手をかざしてすまそうとするのはクラマーさんだけではない。

九つの会社を経営するヤン・ブータさん(34)は、4月に開店予定のトルコ料理レストランの従業員全員にチップの埋め込みを計画している。

ドイツ西部ミュンスターから車で1時間ほどのボルケン駅前に建設中の店を案内してもらった。ドアの解錠やセキュリティーシステムの設定・解除、勤務時間の管理など、すべて手に埋め込んだチップでする予定という。

ヤン・ブータさん
ヤン・ブータさん=2023年2月、ドイツ・ボルケン、星野眞三雄撮影

ブータさんは5年以上前、クラマーさんにチップを埋め込んでもらった。自宅や会社の鍵としてだけでなく、自動車も手をかざしてドアを開け、エンジンをかける。

「チップを埋め込む前には自宅や会社の鍵やカードキーを大量に持ち歩かなければならなかったが、いまは手ぶらで楽になったよ」

IBMなどでコンサルタントを十数年務めてきたクラマーさんが独立して、チップの会社を立ち上げたのは2015年。犬などのペットにチップを埋め込んでいるのを見て、「人間に応用して鍵代わりに使えないか」と思いついた。そのアイデアをドイツの大手IT企業に持ちかけると、「気は確かか」とあしらわれた。

それでもクラマーさんは事業を続け、これまでドイツを中心に3000人以上にチップを埋め込んだという。「最初は変人に見られていたが、いまは欧州で約2万5000人、世界で約50万人がチップを埋め込んでいると見積もられている」

腕がなくても目が見えなくても ハンディキャップ持つ人の助けに

そんなクラマーさんに強烈な印象を残した人がいる。

一人は12歳の女性。チップを埋め込みたいというので若いのに珍しいと思い待っていると、両腕がない女性が訪れてきた。右足にチップを埋め込むと、生まれつき両腕のない彼女は「これでドアを開けるのが楽になった」と笑顔で帰っていったという。

「パーキンソン病の友人も手が震えて鍵穴に入りづらかったのが解消されたと喜んでいた」

マイクロチップ埋め込みについて説明するパトリック・クラマーさん
マイクロチップ埋め込みについて説明するパトリック・クラマーさん=2023年2月、ドイツ・ハンブルク、星野眞三雄撮影

もう一人は、盲目の女性で、支払いのときにクレジットカードを探して出すのが大変だったので、手をかざすだけで支払いができるようになりたかったという。

「チップを埋め込むことで、ハンディキャップを持つ人たちの助けになれる」とクラマーさんは語る。

持病や遺言書まで チップで「自分」証明するシステムを

鍵やクレジットカードとしてではない使い方を模索している人もいる。

冒頭の手術をほどこされたファルカさんだ。

マイクロチップを埋め込む「手術」直後のエカード・ファルカさん。立って左手を前に出している。親指と人さし指の間に大きな白いばんそうこう。
マイクロチップを埋め込む「手術」直後のエカード・ファルカさん=2023年2月、ドイツ・ハンブルク、星野眞三雄撮影

埋め込まれたチップにスマホをかざすと、その人のアカウントページが自動的に立ち上がる。そこには氏名や住所、生年月日だけでなく、血液型や持病、飲んでいる薬、もしものときの遺言書なども記すことができる。

薬剤師で四つの薬局を経営していたファルカさんは、突然の事故や病気で倒れた人がどこの誰かもわからず、医師が困っているのを見てきて、このシステムを思いついた。

いまは丸いシールをスマホで読みとるとページが立ち上がる仕組みにしていて、7000人以上が参加して試行を続けている。

ファルカさんは「体に埋め込んだチップは自分のもの以外のなにものでもなく、自分を自分と証明するのに最も適している。シールとチップを併用して今年秋には本格的に稼働する予定だ」と意気込む。