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「土葬の国」は今は昔? アメリカ・ジャズ発祥の地で、タブーだった火葬が増えたわけ

World Now 更新日: 公開日:
ジャズ発祥の地として有名なニューオーリンズの「ジャズ葬」
ジャズ発祥の地として有名なニューオーリンズの「ジャズ葬」=2022年12月17日、米南部ルイジアナ州、荒ちひろ撮影

ジャズ発祥の地として知られるニューオーリンズ。昨年12月、土曜日の朝の住宅街に、力強いドラムやトランペットの旋律が響いた。2頭立ての白い霊柩馬車がゆっくりと進む後ろを、喪服姿の家族らが寄り添い、さらに数人のバンド隊が続く。数ブロックを歩いた後、棺が馬車から降ろされた。人々が踊りながら棺を取り囲み、やがて高く担ぎ上げる。棺はクライマックスを迎えた音楽に合わせて揺らされながら車に移され、土葬のため、墓地へと向かっていった。

「ジャズ葬」の終盤、参列した人々が棺を音楽に合わせて担ぎ上げ、揺らしながら車に移して、土葬のための墓地へ向かっていった
「ジャズ葬」の終盤、人々が棺を担ぎ上げ、音楽に合わせて揺らしながら車へ移した=2022年12月17日、米南部ルイジアナ州ニューオーリンズ、荒ちひろ撮影

「ジャズ葬は、ニューオーリンズの伝統です」

葬儀を執り行った「シャーボネイ・ラバット葬儀社」の4代目、ルイス・シャーボネイ3世さん(83)が説明した。1883年創業で、全米で最も古い黒人経営の葬儀社の一つだ。フランス、スペイン領だった歴史を持つニューオーリンズは、地域の4割をカトリック教徒が占め、弔いのあり方を含め、様々な文化や伝統が残る。だがこの地でも、時代の流れは如実にあらわれているという。

「黒人社会の火葬率は平均より低い傾向にあるが、それでも増えています」

1883年創業の老舗「シャーボネイ・ラバット葬儀社」の4代目代表ルイス・シャーボネイ3世
1883年創業の老舗「シャーボネイ・ラバット葬儀社」の4代目代表ルイス・シャーボネイ3世=2022年12月16日、米南部ルイジアナ州ニューオーリンズ、荒ちひろ撮影

かつての「土葬の国」にも変化

キリスト教徒が多数派を占めてきた米国では長年、「最後の審判のときに死者が復活する」との教えに反すると、火葬がタブー視されてきた。そんな「土葬の国」で、火葬を選ぶ人の割合が増えている。

北米火葬協会(CANA)によると、1970年に4.59%だった米国の火葬率は1990年に17.13%、2010年に40.5%と上昇。2016年に初めて5割を超え、2021年は57.5%だった。州差も大きく、2020年の最も高い州はネバダ(81.6%)。低い州はミシシッピ(29.0%)で、アラバマ(34.4%)、ケンタッキー(37.3%)、ルイジアナ(39.8%)と、保守的とされる南部の州が続く。

全米葬儀士協会(NFDA)は、2040年には全米平均で8割に迫ると予測。背景に、簡素化を望む傾向や宗教離れ、費用などを挙げる。2021年の調査では、エンバーミングや葬儀を行う伝統的な土葬費用の中央値は7848ドル(約100万円、土中の補強費用は含まない)。葬儀を行う火葬は6970ドル。葬儀をせず、エンバーミングや立派な棺がいらない「葬儀なし火葬」は約2500ドルで、火葬全体の41%を占めた。

ニューオーリンズの市営の土葬墓地
ニューオーリンズの市営の土葬墓地=2022年12月17日、米南部ルイジアナ州、荒ちひろ撮影

災害やパンデミックの影響

一方、シャーボネイさんの周りで火葬が広がったきっかけは、2005年に壊滅的な被害をもたらしたハリケーン・カトリーナだった。市街地の8割が浸水。市民の半数近くが市外への避難を余儀なくされた。

被災前はおよそ8割が土葬だったが、「墓を掘り、棺を運んで埋葬するには人手がいる。だが、みんな避難していて人がいない。街中が水没して埋葬場所もない」。火葬して、落ち着いてから集まって追悼式を行うケースが相次いだ。

コロナ禍でも、集まることが難しくなった。葬儀は行いたいが、収まるまで待とうと、火葬を選ぶ人が増えたという。

「昔は生まれ育った街で仕事に就き、家庭を持ち、亡くなるのが当たり前だった。だが現代では、教育や仕事のため、故郷を離れる人も珍しくない。火葬は、人々が集まるための猶予を与えてくれるのだと思う」

ジャズ発祥の地として有名なニューオーリンズの「ジャズ葬」
ジャズ発祥の地として有名なニューオーリンズの「ジャズ葬」=2022年12月17日、米南部ルイジアナ州、荒ちひろ撮影

悩んだ末、火葬に…「正しい選択だった」

ニューオーリンズ出身で、約700キロ離れたアトランタに暮らすステイシー・シュミットさん(41)は昨年1月、故郷で独り暮らしだった父親が急死した。

すぐに駆けつけて、葬儀の準備を進めた。一家はカトリックで、まず頭に浮かんだのは、エンバーミングを施し、棺を開けて人々が弔問に訪れる伝統的な葬儀だった。だが、コロナ禍で大勢が集まることは難しく、土葬費用の負担も大きい。さらに「父にちゃんとしたスーツを着せてあげたかったけど、家のどこにあるのかもわからなかった」。悲しみとショックで、何より時間が必要だった。

最初はためらいもあったが、火葬にした。コロナが落ち着いた5月、親族や友人らを集めて追悼式を開いた。「父がたくさんの友人に囲まれ、愛されていたんだとわかった。正しい選択だった」

人々の望みの変化とともに

シャーボネイさんは今、社自前の火葬炉を準備している。まだ珍しい、立ち会いを望む遺族のスペースも設ける予定だ。

「両親の世代は火葬なんて考えもしなかった。私の世代も大半が土葬を望んでいるし、私自身もそうだ。地獄の火を連想させるから、死後に焼かれるのは抵抗がある。だが、5代目を継ぐ娘たちの世代は違う。地域に根ざした葬儀屋は、人々の望みに寄り添うためにある。それが私たちの仕事なんだ」