【前の記事を読む】黒人男性に発砲せず解雇された アメリカの白人警官が思うこと
■「容疑者」にされた「犠牲者」
この事件で亡くなった黒人のウィリアムズさんは、テキサスで7人きょうだいの6番目に生まれ、ウィアトンから車で40分のペンシルベニア州ピッツバーグで母親に女手一つで育てられた。白人の母親とスペイン系と黒人の異なる父親の間に生まれた7人のきょうだいは、多様性に富む外見から「レインボー・ファミリー(虹の家族)」と呼ばれた。父親は違っても家族は深い絆で結ばれ、笑いに溢れる賑やかな家庭だった。
名前のイニシャル「RJ」という愛称で呼ばれるウィリアムズさんは、「きょうだいの中で一番大人しく、繊細で思いやりがあり、口を手にあてて控えめに笑う子だった」と母親のアイダ・プールさん(53歳)は語る。小柄で細身の体だがバスケットボールが大好きで、小さな頃はNBA選手に憧れた。知的障害者施設に勤務する母親と同じ職場で介護士として働くウィリアムズさんは、末っ子の弟と一緒に大学へ行くことを目標にしていた。
事件があった日の午後、プールさんは職場で警察から連絡を受けた。ウィリアムズさんの死亡から10時間が経過していた。「不吉な予感がした」。飲酒運転者による事故で一人目の夫を亡くした時に受けた警察からの電話が脳裏によみがえった。
息子の死の衝撃を「まるで脳が理解することを拒んでいるかのようだった」とプールさんは当時を振り返る。「子供を失うということは自分の体の一部を失うことだ。『Broken heart(壊れた心)』という言葉があるが、文字通り心が壊れていくのを感じた」。他のきょうだいに伝えることすらできなかった。「残された子供たちが嘆く姿を見るのはさらに辛かった」。
ウィリアムズさんが元交際相手の女性を刃物で脅したため警官に撃たれた―――警察からプールさんに伝えられたのはこれだけだった。犯罪歴もないのに「容疑者」とされたウィリアムズさんの過去や精神疾患を問う報道によって、誤った情報はさらに拡散された。真実を追求しようという家族のたたかいはここから始まった。
警察にいくら連絡をしても、情報は何も得られなかった。電話を切られたこともあった。ウィリアムズさんが死亡した2日後の母の日、やっと電話が繋がったが、「警察署長は休暇中だ」と伝えられる。最後に警察職員が言った。「Happy Mother’s Day!(母の日おめでとう)」。プールさんは悲しさと悔しさに押しつぶされそうになった。
弁護士や私立探偵を雇い、周辺の聞き込みやウィリアムズさんの遺体の2度目の解剖も行った。ウィリアムズさんが息を引き取った後に遺体に手錠がかけられたこと、メイダー警官が事態の沈静化に努めていたこと、ウィリアムズさんが後頭部に銃弾を受けた事実などが、この調査で初めてわかった。
「黒人というだけで『犯罪者』と決めつけられ、死んだ後でさえも動物のように扱われる。その場で『死刑』になったことを誰も正当化できるはずがない」。プールさんは声を震わせながら訴える。「こんなことになるとわかっていたら、息子の体を縄で縛り付けても行かせなかった……」
■「ジェットコースター」の終結
ウィリアムズさん一家による真実の追求は1年以上に及んだが、希望と絶望のアップダウンを繰り返すその過程はまるで「ジェットコースター」だった。ウィアトン警察を相手に訴訟を起こそうとしたが、限られた事実で権威を持つ組織と闘うことは困難を極めた。あらゆる方向で行き止まりの壁にぶち当たった。「警官たちの証言に対し異議を唱えられるのはRJのみ。でも死んでしまって何も言えない兄のことを信じる人は誰もいない」と7人きょうだいの末っ子、オーランドさん(23歳)は語る。事件の際にボディカメラが使用されなかったことで、現場に駆けつけた警官の証言だけがこの事件の「真相」をかたどった。
事件現場に停められたウィリアムズさんの車には、詩を書くことが好きだったウィリアムズさんのポエムが残されていた。プールさんによれば、「暗闇で悪魔と闘いながら光に向かって進んでいく」という内容が書かれていた。プールさんの自宅のリビングルームには、生前「死んだら火葬にして欲しい」と言っていたウィリアムズさんの遺灰が置かれている。プールさんは遺灰が入った箱を指差し、静かに語った。「R Jはここでとても深い眠りについている」
■撃たない決断、撃った決断 両立させられない警察
「もしあの時、自分が応援として現場に到着していたら、ウィリアムズさんを撃っていたかもしれない……」。メイダーさんは「撃たない」という自分の判断が正しかったと主張する一方、発砲したベテラン警官の「撃つ」という判断を非難してはいない。「現場で何百万もの異なるシナリオに遭遇する警官の判断は状況によって異なるため、それぞれの視点と決断が尊重されなければならない」
メイダーさんは、事件の直後から自分の決断とベテラン警官の決断を分けて議論されることを望んだ。会話ができた状態のウィリアムズさんのところに駆けつけたメイダーさんと、ウィリアムズさんが銃を持ち右往左往する場面に到着したバックアップの警官たちが見たものは明らかに違ったと思うからだ。「コインに2つの側面があるように、同じ現場でも2人の警官が2通りの判断をすることがあるといういい見本だ」。
だが、ウィアトン警察の対応は違った。「撃たない」警官の行動が正当化されれば、「撃つ」警官の非を認めることに繋がる。2つあるコインの側面の一つが伏せられてしまったかのようだった。
警察を辞めたメイダーさんがトラック運転手の資格を取るため教習所へ通っていた時のことだった。初めてメイダーさんが事件の真相を語った新聞記事が発行されると、ウィリアムズさんを撃ったベテラン警官が教習所を訪れ、記事の内容は「嘘だ」とメイダーさんを責め立てた。教習所の幹部がウィアトン警察に報告する事態となったが、警察署長は適切な処置を施さないどころか事実を認めなかった。
事件後に正式な解雇に至る前も、突然の解雇通知の保留や委員会での証言を求められるなど、メイダーさんは警察からの圧力に振り回されていた。ウィリアムズさんの家族の訴訟にも協力しようと情報提供をしたが、警察が他の警官の証言を尊重する限り、メイダーさんの証言だけでできることは限られていた。メイダーさんの「自分は悪いことをしていない」という思いは次第に強くなっていく。
■人間として扱われるということ
プールさんはウィリアムズさんについて「息子の誕生を心から喜び、いいお父さんだったが、23歳という若い年齢や繊細な性格から、相当なプレッシャーを感じていたのかもしれない」と話す。事件当日のウィリアムズさんが何を考え、何に怯え、どんな気持ちだったのか、プールさんは考え続ける。「自分も子供がいるから気持ちがわかる」といった言葉をかけ、ウィリアムズさんを助けようとしたメイダー警官の行動についてプールさんはいう。「一人の人間として見てくれた。あの日まさにRJが必要としていたことだ」。
「『ロナルド・ウィリアムズ』という一人の人間、父親でもあり、家族に愛される兄、思いやりのある人格や人生が語られることはなく、殺された黒人は統計の数字にされてしまう」。弟のオーランドさんは、黒人がまるで動物のように扱われ、命を奪われ続ける現状を嘆く。「あと何人の黒人が殺されなければならないのか。どうすればそれを止めることができるのか……」
■和解と解雇「撤回」
メイダーさんはウィアトン警察から不当に解雇されたとして、ウィアトン市に対し訴訟を起こした。訴状にはこう書かれていた。「(海兵隊としての)戦闘経験、軍隊と警察での訓練に基づき、メイダーさんは、ウィリアムズさんが銃を持っていても自身と周囲に脅威をもたらしていないという、道理にかなった判断をした」。事件から約2年後の2018年2月、メイダーさんに17万5千ドル(約1900万円)の和解金が支払われ、雇用記録から「解雇」の文字が消された。
この事件はメイダーさんにとってどんな意味を持つのか。「自殺をしようとする人に遭遇したことはなかったが、この事件を通し、相手の身になって人の気持ちを理解することを学んだ」。現在、石油を運ぶ長距離トラックの運転手をしながらパートタイムで州兵を勤めるメイダーさんは「警官という危険で困難な仕事ではなく、今は安全な職につくことができた」と話す。
メイダーさんは、何度も自分に問いかける。「もしあの時、もっと時間があったなら?自分一人で最後まで対処していたら?」。考えるたびにきまって同じ答えが頭に浮かぶ。「『銃を下ろせ!』とだけ叫ぶのではなく、きちんと向き合いたかった。落ち着いて話せば、事態を沈静化しウィリアムズさんを救えたはずだ」。メイダーさんは言う。「ウィリアムズさんを『撃たない』という自分の判断は今でも変わらない」(続く)
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