森林を突き抜けるハイウェイ沿いに掲げられた「トランプ2020」と書かれた真新しい横断幕が目に飛び込んでくるたび、大統領選がまだ終わっていないかのように感じた。目的地のウェストバージニア州ウィアトンに到着すると、目抜き通りに立ち並ぶ錆びついた製鋼所や、その奥で行われる工場の解体作業の光景が広がった。
「グッド・アップル」の解職を招いた事件は、2016年5月6日、鉄鋼業の衰退とともにゴーストタウンと化した人口1万9千人のこの小さな町で起きた。
■警察を利用した自殺
「静かな夜だった」。その日、午前零時からの夜勤についたウィアトン警察の新米警官スティーブン・メイダーさん(当時25歳)は、一人でパトロールをしていた。
時計が午前3時を回ろうとしていた時のことだった。女性から「今すぐ来て!」という110番通報が。無線連絡を受けたメイダーさんは、すぐ現場へパトカーを走らせた。暗闇で番地が見えなかったため、一旦現場を通り過ぎたメイダーさんは慌てて車をバックさせながら、路肩にいた人に住所を伝え、所在地を尋ねる。「ここだけど何か?」。冷静な面持ちで答えた黒人男性は「何でもないから帰ってくれ」と続けた。片手を背後に隠していた。
メイダーさんが、男性の手にシルバーの拳銃が握られているのに気づく。「両手を見せやがれ!」 メイダーさんは乱暴な言葉で叫んだ。すると「なぜ私を罵るのですか?」。男性が問い返した。メイダーさんはふと我を取り戻す。
「手を見せなさい!」と迫るメイダーさんに、男性は「それはできない!」と抵抗した。押し問答の末、突然男性は言い放った。「いいから俺を撃ってくれ!」。
その瞬間、メイダーさんは「これは、スイサイド・バイ・コップ(警官を利用した自殺)」だと察知した。死にたいと思う人が、警官による銃撃などを故意に誘発する行為だ。「息子にもう会えない」と口にした男性の言葉が頭をよぎった。海兵隊出身のメイダーさんは、軍隊の訓練や戦闘経験により、緊迫した状況で冷静に判断することに慣れていた。「自殺しようとする人を殺すことはできない」。メイダーさんは心の中で自分に言い聞かせた。
■「君を撃ちたくない」
メイダーさんと向き合った黒人男性は、ロナルド・ウィリアムズ・ジュニアさん(当時23歳)だった。この夜、生後4ヶ月の息子「トレくん」に会うため、元交際相手の女性の家を訪れていた。喧嘩が絶えなかった2人はこの日も激しい口論になった。女性から「息子には二度と会わせない」と突然告げられたウィリアムズさんは取り乱す。「警察に撃たれて死にたい」と車にあった銃を手にした。ただし、銃弾は抜き取った。
110番通報をした元交際相手は、ウィリアムズさんの銃に弾が入っていないことも伝えたが、この情報はメイダーさんを含む警官たちに届いていなかった。メイダーさんは銃弾が入っていることを想定しながらも、ウィリアムズさんに「I don’t want to shoot you, bro(君を撃ちたくないんだ)」と話しかけた。「周囲に危害を及ぼそうとしているのではなく、助けを必要としている」と感じたからだ。「ウィリアムズさんは感情的になっていたが、攻撃的でも暴力的でもなかった」と振り返る。
メイダーさんは、相手を落ち着かせようと、「ブラザー」と呼び掛けた。距離をあけ車の背後に隠れるなどの安全策をとりながら、事態の沈静化に努めた。
その直後だった。応援の警官2人が現場に到着し、「銃を下ろせ!銃を下ろせ!」という叫びが飛び交った。次の瞬間、一人の警官が4回、発砲した。3発は、庭の木や隣人の車のタイヤなどに当たったが、最後の1発がウィリアムズさんの後頭部を直撃した。タイヤからもれる空気の音が暗闇で鳴り響いていた。
■「なぜ撃たなかった?」
「ショックだった……」。幼い頃から父親に銃の使い方を教わり、軍隊で様々な銃器の訓練経験を持つメイダーさんでも、目の前で誰かが銃殺されたのは初めてだった。警官たちは地面に倒れ動かないウィリアムズさんへ近づいた。「全てが終わったというある種の安堵と同時に『何をすべきだったのか』という疑問が頭をめぐった」
「自分の視点が自分の現実だ」。事件を調査するため現場に駆けつけた州警官の一人が言った言葉をメイダーさんは忘れられない。「あなたは自分が目撃した状況に基づいてあなたなりの判断をした。他の警官は別の視点で彼らなりの判断をした」。この言葉にメイダーさんは、ウィリアムズさんを助けようとした自分の行動は正しかったと確信する。現場に駆けつけてからウィリアムズさんが亡くなるまでの時間はわずか3分半だった。
ウィリアムズさんの死亡が確認され、ピストルに銃弾が入っていなかったことが判明した。その時だった。「なぜ撃たなかったんだ?」。発砲したベテラン警官がメイダーさんに対し事件後の一言目を発した。「わからない……」。人命を奪った仲間の警官を責めたくないという思いからこう答えた。自身のとった行動が後に問題になるとは、夢にも思っていなかった。
事件後、メイダーさんは管理休暇を取った。事件現場で発砲があった際の規則で、この休暇中にカウンセリングなどがある。だが、休暇明け、メイダーさんが職場に戻ることはなかった。ウィアトン警察から解雇通知が届いたからだ。警察署長の署名の入った手紙にはこう書かれていた。
「メイダー警官は、容疑者が周辺の人々に与える暴力や人命を奪う可能性のある脅威を取り除くために容疑者とたたかおうとしなかった。(中略)不幸にも警察の仕事においては、どんな決断でも何もしない決断よりは良いという現実がある」。
ウィリアムズさんを「撃たない」という決断は、対処を怠ったも同然だと批判された。事件から約1ヶ月後、雇用は正式に打ち切られ、11ヶ月間の職務に終止符が打たれた。メイダーさんは「自分は何も悪いことをしていない」という強い思いと、これから家族をどう養っていくかという不安にかられた。2人の息子は当時、0歳と3歳だった。(つづく)
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