【前の記事を読む】「真相」は封じられた 黒人男性の遺族に立ちはだかった警察の壁
■「警察に殺してもらう自殺」が起きるアメリカ
事件現場に一番乗りしたメイダーさんは事態の沈静化を最優先に考え、発砲しなかった。ロナルド・ウィリアムズ・ジュニアさんが、「スイサイド・バイ・コップ(警察官による自殺)」をしようとしていると判断したからだ。
「スイサイド・バイ・コップ」とは、警官に殺傷力の高い武器を使わせることで自らの命を断とうとする行為を指す。警察署長や学者をメンバーに持ち、首都ワシントンで警察の政策を研究する非営利団体「ポリス・エグゼクティブ・リサーチ・フォーラム」のガイドラインには、スイサイド・バイ・コップを認識するポイントが記載されている
「『殺せ』や『撃て』と叫ぶ/うつ状態や精神疾患を患っている様子がうかがえる/現場から逃げようとしないなど、犯罪者とは異なる行動をとる/明白な理由がないまま警官に対して攻撃的な態度をとる/故意に公共物を破損したりパトカーに衝突したりといった奇行を見せる」。「警察に殺してもらう」という意図に基づくスイサイド・バイ・コップのほとんどは銃殺によるものだ。
警察による暴力を調査する民間グループ「マッピング・ポリス・バイオレンス」によると、米国で今年1月から5月までですでに400名以上の命が警察の手によって奪われており、今年に入ってからは6日間を除けば毎日誰かが殺されているという計算になる。年間平均では約1100名が警官とのやり取りで死亡している。「ポリス・エグゼクティブ・リサーチ・フォーラム」のチャック・ウェックスラー所長は、このうち10~29%はスイサイド・バイ・コップだと分析する。
トラウマが多い警官の精神面や公共安全のための心理学を研究する警察心理学者であるカリフォルニア州立大学のナンシー・パンザ教授によれば、スイサイド・バイ・コップには大きく分けて3種類ある。
1つ目は「警官との直接対立」。警官を攻撃し反撃されるというシナリオが事前に計画された場合を指す。自分では自殺できないため、警察が武器を使うように「仕掛ける」というこのケースは、スイサイド・バイ・コップ全体の約30%を占める。銃撃事件などで最後に犯人が警察に撃たれて死亡するというパターンは、犯人が「殺される」ことを計画しているケースが多い。
2つ目は「警官による精神不安定な人への介入」。精神疾患を持つ人や、精神的に追い詰められた人を助けるために出動した警官とのやり取りがエスカレートし、警察に命を奪われる状況を自ら作り出してしまうというケースだ。「直接対立」のように計画性はないが、冷静に考えられなかったり過剰反応を起こしたりすることで「脅威」とみなされ、結果として警官が武器を使用してしまう。このパターンは最も多く、全体の57%を占めている。ウィリアムズさんのとった行動もこのケースといえる。
そして3つ目は「警官の犯罪介入」。12%から16%を占めるこの事例は、罪を犯し拘束される犯人が、「捕まるくらいなら死んだほうがマシだ」という突発的な発想から、警官が攻撃せざるをえない状況を作り出し、自らの命を絶とうとするものだ。
ウェックスラー所長によれば、5年ほど前、サンフランシスコで男性が警官の銃弾により命を落とした事件で、「警察に撃たれて死にたかったので、気の毒に思わないで」と書かれた遺書が見つかったという。ただ、このような場合を除けば、警察や政府機関による統計がないため、スイサイド・バイ・コップの正確な発生件数を把握することは極めて難しい。
ウェックスラー所長は「スイサイド・バイ・コップの割合が、警官によって殺された全体人数の30%を超えている可能性もある」と話す。たとえ亡くなった人が自殺の意図を持っていたとしても、報告書には「危険とみなされた人を警官が撃った」と書かれるだけで、本当の意図や経緯が追求されることはないからだ。「実はおもちゃの銃だったと後に判明しても、警官が『脅威』と認識し、その脅威を最小限にする努力をしたことに変わりはない」とウェックスラー所長は説明する。
■限られた時間に「恐怖に基づく訓練」
警官が市民に対して発砲する事態がなぜ多発するのか。元警察官の経歴を持ち、現在サウス・カロライナ大学で犯罪学と司法制度を研究するセス・ストートン教授は、警官の訓練時間と内容に着眼する必要があると指摘する。
ストートン教授によれば、警官になるために必要な訓練の期間は、州や警察学校によって異なるものの、全米平均で21週間から24週間とされる。だが、例えばサウス・カロライナ州で必要とされる時間はわずか12週間(480時間)。このうち4週間はオンラインの授業で、対人で行われるトレーニングは残りの8週間のみ。「同州で美容師になるためには1500時間の訓練が必要とされる一方で、その3分の1にも満たない警察の訓練は極めて限られている」。
メイダーさんがウェストバージニア州の警官になるために訓練した期間は16週間。体力的なトレーニングや銃器の使い方などを中心に、実際に起こり得る様々な想定に対応する授業はあったが、事態の沈静化や自殺防止に特化した訓練を受けた記憶はない。一方、軍隊ではこのような訓練を数え切れないほど経験していた。
「常に周囲から銃口を向けられているため、油断した瞬間に殺される」。この教えは「恐怖に基づく訓練」と呼ばれる。警官が襲われる場面、銃を奪われ撃たれる様子など、実際に警官が着用したボディカメラに収められた生々しい映像を繰り返し見せられる。「過剰なまでに恐怖心をあおるこの教育方法は、警察の訓練に深く根付いており、米国の警察文化の特徴でもある」とストートン教授はいう。
米連邦捜査局の統計によれば、2019年に殉職した警官は全米で89名。このうち41人は事故死だが、残りの48人は重犯罪関連で、ほとんどの場合が銃器により死亡している。「直ちに撃て」と教育されるわけではないが、「常に最悪の事態を踏まえ、けっして躊躇するな」と叩き込まれる。このため、警官は秒単位の判断を迫られ、「脅威かどうかわからなければ脅威として扱うことが良し」とされる。「この教えが真の危険性の見極めを妨げている」とストートン教授は語る。
一方で、それぞれの現場の状況により適切な判断をすることは決して容易ではない。警察官としての責任と適切な対応のバランスについて、パンザ教授は説明する。「警官は自分と公共の安全を確保することがまず最優先とされる。例えば誰かが『おもちゃの拳銃だ』と言っても、それが嘘か本当かわからないため、警官は本物の銃として対応しなければならない。それ以外の想定をすることは自身を重大な危険に陥れることになりかねない」。ウィリアムズさんの事件で、「元恋人の『拳銃に弾が入っていない』というメッセージが、たとえ現場の警官に伝えられたとしても、警官は銃弾が入っているという想定で動いただろう。判断は非常に困難を極めるため、悲劇につながることもある」。
ただ、明らかに脅威の査定と判断を間違えた場合でも、警官による不十分な説明が正当化されるケースは圧倒的に多い。その理由は「それを許容する米国の司法制度や責任追及の構造にある」とストートン教授はいう。それは警察を含む政府機関の職員を訴訟から守るための「クオリファイド・イミュニティ(資格による免責)」という原則を指す。
オハイオ州のボーリング・グリーン州立大学で司法制度を研究するフィリップ・スティンソン教授によれば、「警官が市民を殺した際に起訴される確率は2%で、有罪判決を受ける確率は1%にも満たない」。その背景にあるのがクオリファイド・イミュニティだ。
■黒人が抱く「恐怖」が「脅威」にかわる
ウィリアムズさんきょうだいの末っ子、オーランドさん(23歳)は警官に止められるたびに「命を奪われるかもしれないという計り知れない恐怖」を抱くという。免許を取り立てのオーランドさんが母親の車を借りて運転していた時、違反をしていないにも関わらず職務質問を受けたことがあった。「誰の車だ?」と突然聞かれたオーランドさんは、母親と答えるべきか自分と答えるべきか混乱し、思わず「わからない」と言ってしまう。すると、直ちに盗難車と疑われ、形相を変えた警官との緊迫したやり取りを強いられた。オーランドさんの体は恐怖で硬直した。
米国では、些細な職務質問がみるみるエスカレートし、警官による発砲事件になるケースが多発している。「『恐怖』が『脅威』と誤認されることで、命が無駄に失われている」とプールさんは指摘する。「武器ではなく言葉による事態の沈静化が適切に行われれば、警官は命を『奪う』代わりに『救う』ことができるはずだ」とオーランドさんは続けた。
■黒人が警察に殺される確率、白人の3倍
警官に撃たれる犠牲者のうち、不均衡に高い割合を占めるのは黒人だ。黒人人口は米国全体の13%に満たないが、警官に殺害された人に占める黒人の割合は27%に及ぶ。人口の63%を占める白人に比べると、黒人が警官に殺される確率は3倍に値する。その多くのケースは、警官による過剰な暴力や銃器使用が原因とされている。
ウィリアムズさんが亡くなったウェスト・バージニア州や隣接するペンシルベニア州も例外ではない。市民権を専門とし、ペンシルベニア州でどの弁護士よりも多くの警察官を訴えたというオブライエン弁護士は、1980年代後半から約10年間、警察による職権濫用や市民権の侵害行為に対する訴訟を数多く扱い、ピッツバーグ市警が警官の教育や訓練の管理を怠っていた事実を浮き彫りにした。誤認逮捕や過剰な暴力が続いたことで1990年代前半、警察に対する市民からの苦情はピークに達した。
一連の訴訟を受け、米司法省が介入したことにより1997年、ピッツバーグ市警は同意判決に応じた。警官の評価や監査システム、市民からの苦情を調査するプログラムなどが導入され、その後の警官の態度は劇的に変化した。だが、同意判決が2002年に失効するや否や、状況は過去に後戻りし現在に至るという。「警官が事実に反する報告書を作成したり、裁判所で虚偽の証言をしたりする。そのような行為は罰せられないどころか、後に警官が昇給されているケースが多い」。
オブライエン弁護士は、同市で起こった「悪名高き事件」に触れた。2010年1月、学生だった18歳の黒人男性が夜に自宅そばの祖母の家へ行こうとした時だった。暗闇から突然3人の私服警官が現れ、男性に飛びかかった。警官が私服だったこともあり、男性が抵抗したことで事態はエスカレートする。
男性は麻薬取引の容疑者と間違えられていた。大怪我を負った黒人学生はその後の裁判で損害賠償を得たものの、3人の警官が「過度の暴力」を使った責任を追及されることはなかった。それは、陪審員が法律を説明される上で、警官が既存の基準内で行動したという判断をしたためだった。オブライエン弁護士はいう。「このような警察の行動を許す法律が変わらなければならない」。
■無意識の偏見、制度的な差別
ストートン教授は、警察と人種問題を議論する際に考慮すべき3つの要素を指摘する。1つは「黒人が嫌い、ヒスパニック系が嫌い」というような「自覚のある人種差別と偏見」。単純明快なこのケースは、個人が抱く感情や差別意識に基づき警官が行動するというものだ。近年ソーシャルメディアなどを通じ、警官が差別発言や同性愛者への憎悪を表したことで処分を受けているのがこの事例といえる。
2つ目は「潜在的な偏見」だ。人の特徴を一定のグループに無意識に結びつけて考えることをいう。数年前、被験者に顔写真を見せ、背の高さを推測させる実験が心理学者によって行われた。広い鼻、大きな唇、濃い肌の色の特徴が顕著なほど、高身長と推測されるという結果が出た。
ストートン教授は、「無意識に作用する固定観念は警察の武力行使を議論する際に極めて重要だ」と話す。「体が大きければ大きいほど、『脅威力』も大きいと認識されるため、潜在的な偏見が警官のとっさの判断に影響を及ぼす」。2014年、オハイオ州クリーブランドでおもちゃの銃で遊んでいた12歳の黒人少年、タミル・ライス君が白人警官に撃たれて亡くなった。見た目から、警官がタミル君を成人男性と誤認したことで起きたこの事件は、無意識的な偏見が生んだ悲劇の例といえる。
3つ目の極めて重要な要素が「システミック・レイシズム(制度化された人種差別)」だ。個人が意識的もしくは無意識的な偏見を持たずとも、差別的本質が構造に組み込まれることによって、人種による不均衡をもたらす。「世界一優しく素晴らしい警官がいても、同時にシステミック・レイシズムは存在する」。ストートン教授によれば、米国で、例えば違法麻薬の使用は黒人と白人が同じ割合で行われているが、同罪による逮捕、起訴、有罪判決のどれをとっても黒人の割合は約7倍高いという。
「この背景を語るには50年も100年も前の住宅政策へさかのぼる必要がある」とストートン教授は説明する。「差別に満ちた経済政策により、黒人人口が圧倒的に集中する貧困区域が生まれた。いつも隣り合わせの貧困と犯罪率の関係から多くの警官が貧困区に配備されたことで、白人富裕層ではなく、特に若い黒人男性が職務質問を受ける機会が増え、比例して黒人の逮捕率が上昇した。このことが過剰な暴力や武器の使用に繋がっている」。
ストートン教授は、同じ犯罪でも行われる場所によって逮捕される確率が極めて異なることを指摘する。「白人の麻薬取り引きは、憲法で守られた家の中で行われることが多い。一方で黒人の場合、一軒あたりの住人数が多いため外で過ごす時間も多く、路上や公共の場で取り引きが行われる場合が多い」
■メイダーさんの解職が意味するもの
「『脅威だった』という判断は受け入れられ、『脅威ではなかった』という判断は認められない」。メイダーさんの処分に対しストートン教授は「恐怖に基づいたアプローチの典型的な例であり、安全の認識よりも危険の認識の方が正当化されることを示している」と語る。
メイダーさんの弁護士、ティモシー・オブライエンさんは、「『警官はまず先に撃って、後で考えればいい』という誤ったメッセージを社会に伝えた」とし、「『撃つ』訓練はあるが『撃たない』訓練はない」という現状を問題視する。