なだらかな丘に囲まれた、米ワシントン州ヤキマ。
ジェイソン・ペロー(40)が試作したビールに鼻を近づけると、オレンジの濃い香りがした。
新開発のホップ、「エキノックス(春分・秋分)」の効果だという。日の光を思わせる明るい黄色の葉をつけることから付いた名だ。
ペローはいま全米で最も注目されているホップ開発会社「ホップ・ブリーディング・カンパニー」の開発担当者を務める。
様々なホップを掛け合わせ、10年がかりで優れた品種を育て上げる。風船ガムやハーブ、大地の香りが複雑に匂う「モザイク」、かんきつ系のさわやかな「シトラ」などのヒットを生んできた。
つる性の植物の花からとれるホップは独特の苦みや防腐効果をもたらし、ビールづくりに欠かせない。世界の生産量の約7割はドイツと米国で栽培されている。
摘み取り機や乾燥機に多額の設備投資が必要なため、米国の栽培農家は、代々続く家族経営の農家70軒ほどに限られ、ワシントン州が米国内生産量の約8割を占める。
10年前までは、苦み成分の強い「スーパーアルファホップ」が主につくられてきた。
効率よくビールに苦みを与えられるため、大手ビールメーカーが必要とし、値段もよかったからだ。
だが時代は変わった。
1990年代半ば、小規模の醸造所による手づくり感覚の「クラフトビール」の世界で、伝統的なビールの5~10倍ものホップを使うインディアン・ペールエール(IPA)が流行したのが、きっかけだった。
クラフトビールは、米国でビール醸造の規制が緩和された1970年代後半以降に広がり始めた。
2013年には全米のビール醸造量の7.8%を占め、2020年には2割に達するとの見方もある。いまや全米 に2900軒の醸造所があり、さらに1900軒が開設準備中といわれる。
「よそとは違う特徴的なビールでヒットを飛ばしたい」と願う彼らが注目したのが、変わった香りや風味を出せる新しいホップだった。
ペローの会社では06年ごろから香りの強いホップを増やし始め、いまや4分の3がクラフトビール市場向けだ。
新しいホップの中には「日本発」のものもある。ヤキマに代々続くホップ農家の4代目、ダレン・ガマシュ(39)がヒットさせた「ソラチエース」だ。
サッポロビールが日本で開発し、北海道・空知にちなんだ名で1984年に品種登録した。
だが「日本の市場向きではない」と判断し、ビールには使わなかった。
1990年代初頭、研究機関どうしの交流で、ソラチの株をオレゴン州立大学に提供。10年ほど後に大学を訪ねたガマシュが、たまたまみつけ、株の一部を譲り受けた。かんきつやココナツを感じさせる、気品のある香りが気に入ったからだという。
ソラチは米国以外にも欧州やアフリカ、南米、中東など、たくさんの醸造家に使われ、日本でも茨城県の木内酒造が「NIPPONIA」というビールを売り出している。
ホップづくりには異業種で成功したビジネスマンも参入している。
全米第2の産地、オレゴン州。スポーツ用品メーカー・ナイキの元幹部、ジム・ソルバーグ(53)は、友人の弁護士らと「インディー・ホップス」を立ち上げた。
オレゴン州立大との共同研究に100万ドル(約1億円)を提供。15種類のホップを畑でテスト中だ。
これまで100種類以上を試してきたが、醸造家たちからは「代わり映えしない」との評価がほとんど。それでも「とてもクリエーティブで楽しい仕事なんだ」とソルバーグはいう。
米国では、人気が集中するホップは品薄状態で、長期契約以外の売り買いでは、値段が跳ね上がるケースもある。
そこで、南部や中西部、東部の州でも、新規参入を考える人たちが出てきた。
開発競争は、ホップ生産量世界一のドイツにも飛び火している。ドイツでも醸造家が様々な香りのホップを求め始めたからだ。
バイエルン州農業リサーチセンターは、米国産ホップに需要が流れるのを恐れ開発に着手。2012年から、オレンジやメロンやミントの香りがするホップの提供を始め、醸造家たちから引っ張りだこになっている。
開発主任のアントン・ルッツは「フルーティーなホップを使ったビールはすぐすたれるとの見方もあったが、いまや世界的トレンドになった」と話した。
ホップってどんなもの?
アサ科の植物で、ビールに使うのは雌株がつける黄緑色の球花。黄色い「ルプリン」という部分が、独特の香りを持つ精油と、苦みにつながる樹脂を含む。苦み成分が多いビターホップと、香りが強いアロマホップがある。さわやかな風味と、雑菌の繁殖を防ぐ効果が認められ、15世紀にはビール原料に欠かせないものになった。