レイチェル・エドワーズの仕事は、甘くておいしい。パティシエのようだと彼女も思う。
実際には、ビールの醸造責任者だ。どう造るか。お菓子の料理長よろしく、いつもレシピを考えている。
材料は、(訳注=製菓などに使う)トーストココナツやマシュマロ、各種フルーツ・ピューレ。「もっと多いのが、バニラの実」とネタバレをためらいながら明かす。
米バージニア州フォート・モンロー(訳注=バージニア半島先端の要塞<ようさい>の街)にあるウーズルフィンチ・ビアーズ&ブレンディング(Oozlefinch Beers & Blending)醸造所で腕を振るっている。材料の組み合わせで参考にするのが、料理の本「The Flavor Bible(風味の聖典)」だ。
造るビールのラベル名も、スイーツそっくり。「キーライムパイ」に「コーヒーケーキ」。「シロップをかけたバナナ・パンケーキ」なんていうのもある。
「使える材料は多種多様」とエドワーズ。できた製品は、「グラスに入った料理」と呼んでいる。
こうしたビールのほとんどは、乳糖で甘みを加えている。それが、飛ぶように売れる。あるラベルの醸造予定が分かると、そのバッチ(訳注=1回の仕込みででき上がる分量)を卸売業者が丸ごと1、2カ月前に先買いするほどだ。
「好みのケーキ類を飲んでいるような感覚が、たまらないみたい」とエドワーズは語る。「とくに、味の濃さが求められている」
米国のビール醸造業界はここ数十年、苦みの強いインディアン・ペール・エール(IPA〈訳注=英国発祥のペール・エールの一種〉)や独創的なアメリカンワイルドエールを生み出すようになった。そして、極端なタイプのビールを考え出して注目を集めようとしてきた。
全米には8千以上ものビールの醸造所があり、ハードコアな愛飲者を超えて客層を広げる必要に迫られているからだ、とグレッグ・エンガートは背景を解説する。首都ワシントンで何軒かのビア・バーを、ニューヨーク・マンハッタンではクラフトビールのバー、グランド・デランシーを営むネイバーフッド・レストラン・グループの出資者の一人で、ビール担当の責任者でもある。
このため、甘い物系のクラフトビールでは、数百もの醸造所が本家になることを目指して競い合うようになった。「ペストリー・ビール」と呼ばれ、人気の高いデザートやスナック菓子、キャンディーの味をうまく出すべく製品を開発している。
「樽(たる)で熟成させたスタウトで、(米国を中心に展開するファミリーレストランの)アップルビーズで出てくるような溶岩ケーキ(訳注=フランス風のチョコレートケーキ)を思い起こさせる味」
一昔前なら、ビールマニアでなければ、意味不明だったに違いない。それが、今ではこんな表現でも、この種の嗜好(しこう)について理解し合えるようになってきた、とアレックス・キッドはいう。ネットにドント・ドリンク・ビア(DontDrinkBeer)のサイトを創設。「ペストリー・スタウト」という言葉を生み出したと自負している。
人々を引きつけるには、郷愁を誘うことも大切だ。風味でも、ラベル名でも、それは当てはまる。
メーン州のオロノ醸造所(Orono Brewing)は、酸味が特徴のペストリー・サワーエールを、(訳注=戦前からあるホステス社製の)人気のおやつ「ホステス・フルーツパイ」にあやかって発売した。創業者の一人で、セールス・マーケティング部門を率いるエイブ・ファースは、同州の地方で育った。「家の手伝いをすると、このお菓子をもらったものさ」と思い出を語る。ビールが、消費者の心を古里に誘うという仕組みだ。
コンビニが、狭い地域の枠を超えて力を発揮することもある。(訳注=ガソリンスタンドにコンビニが併設されていることが多い車社会の米国では)車に乗るのに疲れ、腹ぺこになった人たちにとって、食べ物と飲み物にありつける目印でもあるからだ。
中部大西洋岸地域にコンビニチェーンを展開するシーツ社。2019年に醸造所と提携し始め、自社の食品やキャンディーにちなむビールを店に置くようになった。「スイカの輪っかグミ」や「ブルーベリー・マフィン」などだ。
20年秋には、ノースカロライナ州のウィキッド・ウィード醸造所(Wicked Weed Brewing)と組んで、シーツ社の丸いドーナツでできたビールを造り出した。
「飲んでいると、食べているような気にもなるんだ」と社長で最高執行責任者のトラビス・シーツは満足そうだ。
「ビールを食べよう」。こんな向こう受けを狙ったスローガンで16年にオープンしたのは、ニューヨーク市近郊のママロネックにある醸造所デカデント・エールズ(Decadent Ales)。造るのは、甘い物系のビールばかりだ。「ティラミス・インペリアル・スタウト」「ブルーベリー・フロステッド・ペストリー(ポップタルトを連想させるIPA)」がその一例だ。
ただし、食べ物をまねて造るのは、決して一筋縄ではいかない。
「さあ、マシュマロを投げ込んで、マシュマロのような味がするよう祈ろう」というだけではとてもできない、とこの醸造所のオーナーの一人で、ビール造りに携わるポール・ピグナタロは首を振る。「ダブル・トーステッド・マシュマロIPA」だと、こんな作業になる。
まず、フワフワ感を出すために、オート麦をたくさん含んだビールを仕込む。これに、刻みを入れたマシュマロを加える。さらに、燻煙(くんえん)液がトーストしたような風味を生み、バニラの実やさまざまな糖類が控えめな芳香と甘みを醸し出す。
ペストリービールのできを左右するのは、なんといっても材料の質だ。「300とか400ポンド(1ポンド=454グラム弱)ものトーストココナツを買うときは、ディスカウントチェーンのターゲットのような小売業者を利用するわけにはいかない」と専門サイトのNuts.comでサプライチェーンを統括する上級スタッフのホセ・ガルシアは肩をすくめる。
ビールの醸造所が何千ポンドもの関係商品を発注しているのにこのサイトの販売部門が気づいたのは、18年の夏のことだった。このため、よく購入されていたカカオニブ(訳注=カカオ豆の加工品)やピーナツバターパウダー、(訳注=キャンプの定番デザートによく使われる米国発祥の)グラハムクラッカーの粉などを目玉商品とする醸造所向けの特別なポータルを翌年、立ち上げた。すると、20年には、800を超える醸造所を顧客にすることができた。
「濃厚で、甘くて、デザートっぽいほどよく売れる」とジャレッド・ウェルチはいう。テネシー州ナッシュビルにあるサザン・グリスト醸造社(Southern Grist Brewing Co.)を創業した一人で、生産部門を担当している。樽で熟成させたビールには絶大な人気があり、サイトに出すと、1分もたたずに売り切れてしまうほどだ。
ペストリータイプの製品開発は、どの発酵飲料にとっても格好の競い合いの場となる。ニューヨーク・クィーンズのリッジウッドにあるイビル・トゥイン・ブルーイング(Evil Twin Brewing)NYC醸造所では、驚くほど切れのよい「ペストリー・セルツァー」(訳注=アルコール入り炭酸飲料)の生産ラインを稼働させ、「イビル・ウォーター」と銘打って商品化した。バニラアイスとペカンの実のパイ、それにマシュマロ入りミックスベリーの風味がある。
ペストリー・セルツァーも、最初は笑われた。しかし、今ではこの醸造所のお得意さんには欠かせない製品となり、その名称もしっかりと商品登録されている。
「うちのサイトで購入する客は、このセルツァーの4缶パックを最低一つは必ず注文している」と(訳注=デンマーク生まれの)創業者Jeppe Jarnit-Bjergsoは語る。
ペストリービールが凝縮された風味を追い求める中で、甘みが強くなり過ぎるというリスクが生じるのも確かだ。
先のドント・ドリンク・ビアのキッドは最近、4種類のヘーゼルナッツ風味のラベルを試飲してみた。ところが、糖分のとり過ぎで眠れなくなってしまった。「血糖値が、すごく高くなっていた」
「パイ菓子テストとでも呼ぶべき甘味基準を設けるべきだ」と主張するのは、ミネソタ州ミネアポリスのモディスト醸造所(Modist Brewing)の創業者の一人で、製品開発を担当するケイガン・ニーだ。「注文したパイがとてつもなく甘くて、出された一切れを食べ切れない場合は失格というように」
最良のペストリービールは、目新しさと大きな喜びとをともにもたらしてくれるに違いない(コロナ禍に明け暮れた20年では、いささか縁遠いことだったかもしれないが)。そして、すばらしいデザートで幸せを感じられるひとときへと、飲む人をいざなってくれるはずだ。
冒頭のエドワーズは今、果汁を入れたパンチ飲料の風味がする製品シリーズの開発に取り組んでいる。
その名も「パンチ・ユアセルフ(自分にパンチ)」。うち一つは、子供のときに大好きだったレインボウ・シャーベット・パンチをベースにしている。
「大人になってアルコールを入れて造ってみようなんて、まったく思いもしなかった」 エドワーズは、時の流れにわれながら驚いている。(抄訳)
(Joshua M. Bernstein)©2021 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから