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北朝鮮を逃れた脱北者が結局、祖国に戻った理由 念願だった韓国社会の生きづらさ

北朝鮮インテリジェンス
脱北した若者たちが学ぶ韓国の「セネ学校」の様子=2003年2月、ソウル、久松弘樹撮影

韓国軍などによれば、30代の男性Aが今年1月1日夜、韓国北東部・江原道の南北軍事境界線を越えて北朝鮮に入った。

Aは2020年11月に同じ場所から韓国に渡ってきた30代の脱北者だという。

韓国・江原道の地図

当時、韓国メディアは、Aは北朝鮮の元体操選手で、北朝鮮側に入った後、兵士3人に連行され、行方不明になったと伝えた。

「Aはサリウォン(黄海北道沙里院市)の出身だった」。日曜日の午後、Aを知る脱北者の知人はソジュ(焼酎)をストレートで飲みながら教えてくれた。

知人によれば、Aは北朝鮮で、市場で働く母親と2人で暮らしており、「国が決めた職場に、まじめに出勤せず、PCバン(ゲームセンター)に入り浸っていたそうだ」(知人)という。

国営の工場が燃料や資材不足で、十分に稼働できない状況に陥っているという話はよく耳にする。労働者が工場に賄賂を払って出勤を免除してもらうこともあるし、工場が積極的に「社外事業」を奨励するケースもあるという。市場で母親が働いているなら、Aが職場に出勤しないことも可能だっただろう。

でも、「北朝鮮版PCバン」は初耳だ。私が「信じられない」と言うと、知人は「オンラインゲームだってあるんだ。イントラネットで北朝鮮だけの閉じた世界でのゲームだがね」と話す。

それが本当でも、電力不足の北朝鮮でPCバンを経営しても、開店休業状態なのではないか。

ただ、金正恩朝鮮労働党総書記が各地に大浴場や食堂などを建設している話は聞いたことがある。北朝鮮では「空き瓶集め」や「家庭で作った弁当販売」など、何でも商売にする風潮があるのも確かだ。

知人によれば、Aの母親に新しい男ができた。男は連れ子と一緒にAの家で暮らすようになったが、よくAに暴力を振るった。Aは男に殴られないよう、市内のジムでボクシングを習ったという。

私が「北朝鮮にはボクシングジムまであるのか」と疑わしい声を上げると、知人は「フィットネスセンターだ。北朝鮮では体育クラブと呼んでいる」と説明する。

Aは結局、家を飛び出した。私は「沙里院は朝鮮半島西側の街だぞ。何で日本海側から脱北したんだ」と尋ねた。

知人によれば、Aは当初、朝鮮半島西側の河川や海を伝って脱北しようとしたが、大雨による増水で断念し、日本海側から脱北したという。知人は「非武装地帯を2、3日かけて通り抜けたそうだ。方向がわからなくなるとまずいので、体を南に向けて寝たそうだ」と話す。

Aは韓国で14カ月間、暮らした。知人は「Aはビル清掃の仕事をしていたようだ。一人暮らしだった。コロナで外出する機会も少なく、寂しかったようだ」と話す。

韓国に住む脱北者は約3万4千人を数えるが、社会的に成功した人は数えるほどだ。Aは脱北者同士のつながりもあまりなかったという。

知人によれば、仕事仲間がAに「江原道に遊びに行こう」と誘った。Aは江原道で仕事仲間と別れ、1人で非武装地帯の南に広がる「民間人統制区域」に入ろうとしたが、警戒中の韓国軍兵士に止められた。

Aは少し離れた場所から民間人統制区域に忍び込み、そのまま軍事境界線を越えて北朝鮮に戻ったという。

北朝鮮軍の兵士がAを発見し、現地の軍司令部に連行した。

知人は「北朝鮮は新型コロナで厳戒態勢にある。Aを連れ戻った北朝鮮兵士は処罰された。Aも取り調べを受けた後、殺害されたと聞いた」と話す。

軍事境界線上にある地区「板門店」。奥に見えるのは北朝鮮側施設「板門閣」。軍事停戦委員会の会議室(手前の二つの建物)の中央に軍事境界線が延びている
軍事境界線上にある地区「板門店」。奥に見えるのは北朝鮮側施設「板門閣」。軍事停戦委員会の会議室(手前の二つの建物)の中央に軍事境界線が延びている=2018年4月、李聖鎮撮影

在韓米軍などによれば、北朝鮮は2020年から、新型コロナの感染拡大を防ぐため、中朝国境線から1キロ以内に無断で近づく人間は無条件で射殺するよう指示を出している。

同年7月には、やはり韓国に住む脱北者が北朝鮮の開城市に戻ったが、金正恩氏が、新型コロナ感染の疑いがあるとして、開城市を完全に封鎖する騒ぎもあった。

2020年9月には、北朝鮮軍は朝鮮半島西側の黄海を漂流していた韓国人公務員を発見し、射殺した後に、遺体を焼いている。

私は韓国政府の複数の知人にこの話を確認しようとしたが、「Aの死亡」を確認してくれた当局者はいなかった。ただ、新型コロナのため、Aが平素以上の不利益を被った可能性は十分あるだろう。

知人は「脱北者のうち、北朝鮮に戻った人間は100人くらいはいる」と話す。

2007年ごろ、ソウル市の脱北者が大勢住むアパートで脱北した夫婦を取材したことがある。夫婦はドロドロした汁のような食事を取っていた。

妻が「カンネンイパプ(トウモロコシご飯)でも、1日3回おなかいっぱい食べられるのなら、明日にでも北朝鮮に戻りたい」と話していた。

2008年1月、韓国の地方都市で前年6月に家族と一緒に小舟で青森県深浦港にたどり着いた28歳の脱北男性とも面会した。

男性の表情は暗かった。念願の韓国生活だったが、生活のメドが立たないと語っていた。

「自動車学校に通っているが、果たしてこれで生活の足しになるだろうか。できれば、北朝鮮に戻りたい」と話していた。

韓国では今、文在寅前政権時代の2019年11月に、北朝鮮漁民2人を強制送還した事件を巡って、与野党が激しい攻防を繰り広げている。

統一省は7月、2人が強制送還される際、激しく抵抗する様子の写真を公開し、人権団体などからも文政権の対応を批判する声が出ている。

このニュースを聞きながら、5月に脱北者の知人がソジュを傾けながら、つぶやいた言葉を思い出した。

「北朝鮮も生きづらいが、韓国も生きづらい」