日本人拉致問題を巡り、最後の秘密交渉が行われたのは今から10年前。民主党の野田佳彦政権当時のことだった。
2011年12月に金正恩体制になってすぐ、日本外務省に北朝鮮から打診があった。
「第2次大戦当時に北朝鮮に残された日本人遺骨の問題なら話し合える」
日本政府は、北朝鮮の新指導者が日朝交渉に興味を持っていると判断し、第三国での秘密交渉が始まった。
北朝鮮の交渉代表は老境に入った男性だった。身なりは他の北朝鮮交渉団と同じだったが、雑談から、金正恩氏を取り巻く「赤い貴族」の1人であることを伺わせた。
日本側がこの男性に「次の交渉の際、何かお土産を持ってこよう」と打診すると、「モーツァルトが好きだ。本国では手に入らないのでCDを持ってきて欲しい」と答えた。
日本側は次の協議で、CDとウイスキーの「山崎」を持参した。男は「山崎」をみると、素っ気なく封を切り、側近たちに飲ませ始めた。「どうだ、おまえたちはこんな高級な酒を飲んだことがないだろう」と声をかけた。
北朝鮮でタブーになっている西洋音楽を堂々と要求し、高級酒を惜しげもなく他人に分け与える様子から、日本側は「この男は、金正恩の側近に間違いない」と確信した。
秘密交渉では、日本側は日朝国交正常化のためには拉致問題の解決が不可欠だと主張した。その代わり、日朝国交正常化になれば、北朝鮮にも経済的な利益がもたらされる可能性を、過去の日韓基本条約を説明しながら説明した。
北朝鮮側は徐々に前向きになり、遺骨の問題だけではなく、拉致被害者の再調査に応じる姿勢を見せ始めた。
2012年11月、モンゴル・ウランバートルで日朝政府間協議が4年ぶりに開かれ、日本外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長と北朝鮮の宋日昊朝日国交正常化交渉担当大使が出席した。
関係筋の一人は「あれは表の役回り。形式的な協議だった。秘密協議がほぼまとまったから、開かれたに過ぎない」と語る。
この協議で、翌12月に第2回協議が開かれることが決まった。日朝双方は、第2回協議で日本人拉致被害者の再調査と日本による制裁の一部解除について合意する腹づもりだった。
ところが、北朝鮮は12月1日、長距離弾道ミサイル発射を予告した。日本側は「これでは合意に持ち込めない」と抗議したが、北朝鮮は応じなかった。北朝鮮は12月にミサイルを発射、翌2013年2月には核実験も行った。
北朝鮮では当時、軍や国家安全保衛部(現国家保衛省)、党組織指導部が、金正恩氏の叔父の張成沢国防委員会副委員長との間で、誰が正恩氏の側近になるのか、という権力闘争が行われている時期だった。
2012年12月に合意するはずだった内容は、2014年5月のストックホルムでの合意にまで持ち越された。
安倍氏への誤解と理解不足
ここからいくつか、日本人が誤解や理解が不足している点が浮き彫りになる。その一つが、安倍晋三元首相の役割だ。
日本の一部の世論は「安倍元首相こそ、拉致問題の解決に不可欠な人だ」と語り、北朝鮮は「安倍元首相はウソつきで、相手にしない」と正反対の事を言う。どちらも正しくない。
北朝鮮は野田政権当時に、いわゆる「ストックホルム合意」を行うつもりで動いていた。実際、2012年末に政権に返り咲いた安倍氏は、日朝秘密交渉の経緯を聞き、不快感を隠さなかった。
また、逆に北朝鮮は、野田政権が安倍政権に代わっても、交渉をやめることはしなかった。ストックホルム合意は、安倍政権のもとで達成された。
2002年9月の日朝首脳会談は、小泉純一郎首相の下、田中均外務省アジア大洋州局長らが秘密交渉を行って実現にこぎ着けた。
北朝鮮は小泉首相だから動いたわけではない。北朝鮮の姜錫柱・第1外務次官は2001年2月、シンガポールで中川秀直元官房長官と接触し、森喜朗首相(当時)の訪朝を要請していた。
当時の関係者は「森政権が訪朝を見送っていなければ、田中氏の前任局長が交渉のお膳立てをし、森氏が日朝首脳会談に臨んでいたはずだ」と語る。
交渉は相手がいる
誤解の第2は、「日本が一生懸命やれば、拉致問題を解決できるはずだ」という主張だ。
日本の世論は、その時々で「拉致問題を解決するために制裁を強化しろ」と訴えたり、「解決するためには対話が必要だ」と言ってみたり、主張が揺れてきた。
問題を解決したい一心から出た主張だが、どんな手を使っても、相手がある話である以上、北朝鮮の都合が優先する。
2012年12月当時のような苦渋をなめさせられたのは日本だけではない。2008年11月、米国でバラク・オバマ氏が大統領選で勝利した。この直後、クリントン政権で国務次官補代理を務めたエバンス・リビア氏がニューヨークで北朝鮮の国連代表部関係者と会食した。
リビア氏は「オバマ政権は北朝鮮との関係改善に対する意欲と能力を兼ね備えた初めての政権だ」と訴えた。ところが、北朝鮮側はこう語った。「マイフレンド、時間切れだ」
北朝鮮は2009年4月、弾道ミサイルを発射し、翌5月に核実験を行った。北朝鮮では、金正日総書記が2008年8月に脳卒中で倒れ、2009年1月に金正恩氏が後継者に指名された。一連の動きは、正恩氏の後継者としての実績作りの一環だったとみられている。
「北朝鮮はウソつき」の危うさ
そして、第3に、誤解とまでは言えないが、「北朝鮮はウソつきだ」とう主張にも危うさが潜んでいる。秘密交渉でわかるとおり、北朝鮮は拉致被害者が気の毒で交渉しているわけではないが、日朝関係を改善したいという意欲はある。経済的な恩恵が得られると期待しているからだ。
2004年11月、北朝鮮は、横田めぐみさんの「遺骨」とする骨を提供した。日本は、めぐみさんのものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得て北朝鮮に抗議した。
日本では「偽物だった」という評価が通り相場になっている。政府の元当局者が、拉致問題に関する論文で「北朝鮮が提供した横田めぐみさんのものとする遺骨は偽物だった」と書いた。政府に事実確認を求めると、「偽物だったと書くのは正確ではない」という回答が帰ってきた。
この元当局者は、日本政府の姿勢について「偽物だと断定しきれないというのが正しい表現だが、ご家族などの心情を考え、黙っているのだろう」と語る。
北朝鮮はストックホルム合意の後、水面下で、日本が2005年4月に被害者に認定した田中実さん(失踪当時28)と「拉致の可能性を排除できない」とされている金田龍光さん(同26)が生存しているとの情報を伝えてきた。
日本政府はこの通報について検討した。北朝鮮はこの2人の生存情報を最後に拉致問題の完全解決を求めていた。日本側は、2人の生存だけでは世論が納得しないと判断し、北朝鮮との交渉は難航した。
日本側は、2人の生存情報だけで再調査を終了させず、引き続き調査を行う余地を残すよう交渉したが、北朝鮮はストックホルム合意の翌年、再調査中止を宣言し、最終的に決裂した。
北朝鮮の「田中さんと金田さんしかいない」という主張はウソの可能性があり、日本政府の対応は理解できる。ただ、当時の日本政府内では「田中さんと金田さんだけでは、家族会などが納得しないだろう」という声もあったという。
日本政府関係者によれば、2人の生存情報については共同通信などが既に報じたが、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)や北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)から、拉致問題対策本部に対して問い合わせや要請はない。同本部によれば、田中さんには親族がいないという。
日本政府はこのまま、世論の反発を恐れながら、「拉致問題は内閣の最重要課題」と唱えるだけで、ただ時間をむなしく費やしていくつもりなのだろうか。