朝鮮体育は「悪性ウイルス(新型コロナウイルス)感染症による世界的な保健医療危機状況から選手を保護するため、委員らの提議により第32回オリンピック競技大会(東京五輪)に参加しないことを討議、決定した」と伝えた。3月26日に朝鮮中央通信などが総会を報じた際は、東京五輪不参加決定を伝えていなかった。
北朝鮮の保健医療事情に詳しい韓国の安景洙統一医療研究センター長は「北朝鮮は新型コロナのワクチン供給が不足しているため、まずは人の交流を防ぐ方策に出たのではないか」と語る。
欧米と北朝鮮を往来する専門家の一人は「北朝鮮は自らにプラスにならなければ動かない国。コロナも理由の一つだし、日本との交渉に魅力を感じていないのも事実。選手団を派遣しても勝てる種目がなくて、国威発揚につながらないという計算もあったかもしれない」と語る。
そのうえで、この専門家は「北朝鮮が発表する会議は、すべてパフォーマンスが目的。オリンピック委員会総会を開いた時点で、不参加は決めていたのだろう」と語る。日本政府は4月6日の閣議で、13日に期限を迎える北朝鮮に対する独自制裁の2年延長を決めており、北朝鮮の決定は対抗措置という印象も残した。
一方、金丸信・元副総理の次男で、1990年9月当時の訪朝に同行し、今もたびたび北朝鮮を訪れている金丸信吾氏は6日、「2019年9月に訪朝した際、朝鮮労働党幹部に面会した。幹部は、二階俊博自民党幹事長を団長にした超党派訪朝団が実現すれば、金丸訪朝団と同様の対応を取ると約束していた」と語った。
日朝間のパイプは細り、議員交流も途絶えている。脱北した元党幹部は、北朝鮮による訪朝団の要請について「日本と関係がある部署は、関係改善で利権を得たり、金正恩(総書記)にアピールしようとしたりする。数ある工作の一つだったのではないか」と語る。
19年9月当時、すでに米朝関係は動かなくなっていたが、正恩氏はトランプ米大統領との関係に望みをかけ、同年4月に「年末まで米国の新しい提案を待つ」と宣言していた。北朝鮮側の打診は、日朝外交を行う最低限の余地があるとの判断に基づいて行われたとみられる。
二階訪朝団の構想はすぐには具体化しなかった。20年9月には菅義偉首相が誕生。二階氏は今年3月10日に開かれた超党派の「日朝国交正常化推進議員連盟」(会長=自民党の衛藤征士郎・元衆院副議長)役員会で「何もしないで無為に時間をこうして過ごしておったら無意味。結果的にはなんら効果、実績があがっていない」と政府を批判。「やっぱりここらで行動を起こしていかなきゃいけない」とも述べ、議員団で訪朝を検討する必要性を出席者に呼びかけ始めた。
だが、すでに米国ではバイデン政権が発足。日米は3月16日に都内で行われた外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で「北朝鮮の非核化」を明記した。北朝鮮は同月25日に、短距離弾道ミサイルを1年ぶりに発射し、対話の機運は大きく遠のいた。朝鮮中央通信は4月6日、菅首相がミサイル発射を国連制裁決議違反だと非難したことについて「我々の自衛権に対する露骨な否定、乱暴な侵害で、絶対に看過できない」と強調した。
金正恩時代になり、日朝関係が動きかけた時代もあった。1977年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親が2014年3月、モンゴルでめぐみさんの娘のキム・ウンギョンさんらと面会した。13年末ごろから、外務省の課長級や局長級による接触が続いていたなか、北朝鮮側が日朝関係を動かす試金石として提案した。
当時、横田さん夫妻は、ウンギョンさんらとの面会で、「めぐみさんは死亡した」とする北朝鮮の主張が既成事実化することを懸念していた。それでも面会に応じたのは、「日朝関係を何としても動かしたい」という安倍政権の説得を受け入れたからだという。日本政府当局者は当時、「金銭的に苦しい北朝鮮が自己負担で、ウンギョンさんらをモンゴルに連れてきた」とも語っていた。
実際、このモンゴルでの面会を契機に14年5月、日朝ストックホルム合意が実現。北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としてきた立場を変え、「特別調査委員会」を設けて、拉致被害者を含む日本人行方不明者の全面的な調査を行うと約束した。
当時の日本政府関係者らによれば、日本側は主に拉致問題対策本部の情報をもとに、「北朝鮮が拉致被害者のうち何人かを帰す準備をしている」と判断していた。関係者の一人は「事前の情報で日本政府が認定し、まだ帰国していない拉致被害者12人のうち、3人から5人が生存しているという情報があった」と証言する。北朝鮮は12人について公式には「8人死亡、4人未入国」という立場を取っていた。
外務省など、政府内の一部は、北朝鮮側の動きを「確実な情報とは言い切れない」として慎重な姿勢を示していたが、最終的に首相官邸の判断で交渉を進める方針を決めたという。
だが、北朝鮮は、帰国事業で在日朝鮮人と一緒に北朝鮮に渡った日本人配偶者の帰国、戦前から戦後にかけて北朝鮮で死亡した日本人の遺骨収集や墓参などの協議にこだわり、拉致問題になかなか言及しようとしなかった。
北朝鮮は特別調査委員会による報告書を提出する動きをみせたが、日本政府は公式に受け取らなかった。日本政府関係者は「不完全なものでも受け取って、さらに追及していくべきだという意見もあったが、最後は政治判断で受け取らないことに決まった。受け取れば、世論の批判にさらされると考えたからだ」と証言する。
結局、日本政府は16年2月、北朝鮮による核実験と弾道ミサイル発射を契機に、再び独自制裁を決定。北朝鮮は再調査の中止と、拉致問題に関する特別調査委員会の解体を発表した。日本政府関係者の一人は「その後、日朝関係は全く動いていない」と語る。
2018年2月、韓国・平昌冬季五輪開会式で、安倍晋三首相(当時)は金正恩氏の実妹、与正氏が入場するのをずっと待ち続けていた。与正氏から正恩氏に日朝首脳会談の実現を働きかけてもらおうというもくろみだった。しかし、開会式の時間が来ても、与正氏はなかなか姿を現さなかった。安倍氏があきらめ、自分の席に着いた瞬間、与正氏はさっそうと入場した。開会式の間、与正氏は安倍氏ら日本政府関係者らの席に視線を向けず、無視し続けたという。
金丸信吾氏と2019年9月に平壌で面会した宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使は「無条件で日朝首脳会談を行う」とした当時の安倍晋三首相の政策について「何もない。安倍の発言は、単なる日本国民に向けた、『私はやっています』というパフォーマンスに過ぎない。拉致が解決して一番困るのは安倍だ。今の状況が一番いいのだ」と語っていた。金丸氏は「勿論、拉致を引き起こした北朝鮮に問題がある。でも、北朝鮮も日本がウソつきだと考えている。全く話が進まない状況だ」と語る。
菅政権も前政権の方針を引き継ぎ、「無条件での日朝首脳会談の開催」を訴え続けてきた。首相の命を受け、政府関係者らは東京五輪を契機にした日朝外交にいちるの望みを託していた。複数の関係者は「何とか、与正氏が来てくれないものか」と祈るように語っていた。
だが、北朝鮮の非核化を重視し、米国と協力していく姿勢を示す以上、すべて計算通りには進まない。安倍前首相ら政治家が世論の反応にこだわり、決断の機会を逃し続けた結果、菅政権は抜け出せない袋小路に入り込んでしまった。