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国際原子力機関(IAEA)の査察、「秘密兵器」は布きれ 極微量の核物質も発見

World Now 更新日: 公開日:
査察官が核施設でチリなどを拭き取って採取した綿布
査察官が核施設でチリなどを拭き取って採取した綿布=2012年1月、玉川透撮影

ウィーン中心部から車で1時間弱。黄色と緑の牧草地が織りなすパッチワークのような田園地帯に、有刺鉄線付きの壁に囲まれた物々しい一画がある。

IAEAのサイバースドルフ研究所。約1万4000平方メートルの敷地に約200人が働く。その中枢の一つ、保障措置分析研究所のクリーンラボを訪れた。

ここには、世界各国に派遣されたIAEAの査察官らから、年間500近い試料(サンプル)が送られてくる。ほとんどは小さな「布きれ」――核関連施設内の壁や機器などを拭き取った10センチ四方の特殊な綿布だ。

くっついた極微量の核物質を見つけ出し、どんな過程でつくり出されたものかを調べる。

IAEAに申告していないウランやプルトニウムなどの核物質の痕跡が見つかれば、核兵器開発につながる活動をした可能性が高まる。いわば、IAEAの鑑識部門。イラクや北朝鮮の核問題をきっかけに、秘密の核兵器開発を探りあてる目的で1995年に設立された。

ガラスを隔てた研究室の中をのぞき込むと、特殊なクリーンウエアで全身を覆った職員が真剣な表情で分析装置の調整作業をしていた。超高性能のエアフィルターで室内に塵(ちり)などが入り込みにくい仕組みになっている。

「核物質の『指紋』を採って、何者かを探る作業です。IAEAが査察に入ると知ってから慌てて核物質を隠しても、すべてを消し去るのは不可能なのです」と責任者のジェーン・ポスは説明する。分析では、日仏など約10カ国のネットワーク研究所と協力する。

成功例は、シリアの施設のケースだ。2007年にイスラエルの空爆で破壊された後、査察チームが施設跡から採取した試料を研究所で分析したら、ウランが検出された。しかも人工的に化学処理されたものだった。シリアが秘密裏に原子炉建設を進めた疑惑が濃厚となった。

ただ、「本来の仕事は、悪者を捕まえることではない。加盟国が申告通りに原子力エネルギーを利用していることを科学的に証明すること」と、ポスは強調する。分析官には、試料がどこから採取されたものか、最後まで一切知らされない。先入観が入るのを防ぐためという。

ラボで働く約80人の職員の中には日本人技術者もいた。日本原子力研究開発機構から派遣された北尾貴彦(40)。かつて茨城県東海村の再処理工場で核燃料物質の分析などに携わった。

このラボでは、試料に含まれる塵の中から微細の核物質を見つけ出し、分析機器にセットする仕事を任されている。顕微鏡をのぞき込んで、1ミリの1000分の1という粒子を特殊な針の先に吸い付けて移動させる。「試料は微量の場合が多く、失敗は許されません」と、北尾は言う。

研究所は、現在ののべ床面積約900平方メートルから約10倍に拡大する工事中。これまでの10倍の精度で核物質を分析できる最新の分析装置も導入し、その費用約360万ユーロ(約3億7000万円)の全額を日本が負担した。事務局長を出した国として存在感を示そうとしたと言われる。

査察を担う保障措置局は、IAEAで最も注目を集める。予算面でも人員でも、IAEA最大だ。

活動の基本は、各国が平和目的で使うとしている核物質が実際にどこにどれだけあるかを細かく把握することにある。原発などの核施設に入る前と後で核物質の量を厳密に量らせ、報告させる。それがきちんとできているかを、実地の査察で調べる。

ビデオカメラや容器の封印を使う監視や査察は、本来地味な職人仕事だった。しかし、イラクのフセイン政権が査察をかいくぐって核兵器を開発していたことが、1991年の湾岸戦争を機に発覚。これを機に査察のかたちが変わった。その国の政治や社会の状況も参考にしつつさまざまな情報を総合的に分析する力が、査察官に求められるようになったという。

IAEAにとって最大の査察対象は、実は非核兵器保有国で最も原子力開発が進んでいる日本だ。かつて、日本にかける費用は保障措置予算全体の3分の1といわれた。近年効率化が進んだものの、2010年で全体の22%を占める。

東日本大震災では原発だけでなく、IAEAが監視や査察のために置いた設備も大きな被害を受けた。東日本の太平洋側の原発に取り付けた監視カメラの多くが壊れたという。その後修復が試みられ、福島第一原発でも5号機、6号機の設備は修理が進んだが、1~4号機の監視態勢の復旧はめどが立っていないという。

爆発した福島第一原発3号機を視察する国際原子力機関の調査団
爆発した福島第一原発3号機を視察する国際原子力機関の調査団=2011年5月27日、東京電力提供

保障措置

保護や保証を意味する「セーフガード」から来た言葉。経済用語では「緊急輸入制限」などと訳すが、核関連用語の場合、末尾に通常sを付けてセーフガーズと発音し、「保障措置」と和訳する。核物質が軍事用に転用されないとIAEAが裏付けることを意味するという。

IAEAの保障措置は、核物質の計量管理や監視、申告された施設への立ち入りを含む査察などで構成される。核不拡散条約(NPT)加盟の非核保有国には、IAEAと保障措置協定を結ぶ義務が生じる。IAEAは、その国が保有するすべての核物質を監視する。

湾岸戦争後にイラクが未申告の施設でひそかに核開発を進めていたことなどが発覚。体制の強化を求められたIAEAは1997年、加盟国からの情報提供や査察官の立ち入り権限を大幅に拡大した「モデル追加議定書」を公開。各国が相次いで受け入れた。