ゲート型の放射線検知器を白いトラックが通過すると、放射線の一種が検知されたことを知らせる警報が鳴り響いた。積み荷に核物質や放射性物質は申告されておらず、密輸の可能性がある。右手に持ったハンディータイプの分析器を荷台に近づけると、「プ、プ、プププ、プププププ」と鳴り、小刻みに震えた。
6月中旬、ドイツ南西部のカールスルーエにある欧州連合(EU)の共同研究センター(JRC)で、核物質の密輸対策で最前線に立つ国境警備隊員らのための訓練を特別に体験した。訓練施設の愛称は「ファーム(農場)」。優秀な人材がキノコのようにニョキニョキ育つことからつけられたという。JRCは核不拡散と核セキュリティーの分野で世界屈指の研究機関だ。
ターゲットの物質を見つけるのは簡単ではなかった。まず検出したのは「カリウム」。バナナなどにも含まれる天然の放射性物質だ。「他にもないか探して」と指導役のヤノシュ・バギ(44)。これらを隠れみのにして核物質を密輸する「マスキング」の手口もあるためだ。
別の場所で、明らかに違う警報音が鳴った。装置を前後左右に何度かざしても途中で音が消えてしまう。見かねたバギが分析器を取り、強く反応が出た箇所で下に向けた。荷台の下のタイヤの陰に円筒形の容器が隠されていた。中身を分析すると「低濃縮ウラン」と表示された。
JRCでは、劣化ウランから兵器級プルトニウムまで様々な核物質を使って探知する技術を磨く。欧州有数の貨物取扱量を誇る港では、警報が1日に200回鳴ることも珍しくない。「運転手を拘束するか、しないか。その都度、正しく見極めることが大事だ」とバギは言う。
JRCで記者は、バックパック型の分析器を背負って、歩きながら核物質を探知する訓練も体験した。対象物の近くに立つだけで分析器と連動した端末に分析結果が表示される。はた目にはスマホをのぞき込む観光客に見えなくもない。来年、東京オリンピック・パラリンピックを控える日本でのテロ警戒などにも利用されそうだ。
この訓練で分析器が探知したのは「アメリシウム」。核物質ではなかったとほっとしたとたん、「核物質のプルトニウムが変化してできる別の原子だよ」とバギ。つまり、その近くには、変化前の物質であるプルトニウムが存在する可能性が高い。彼の言った通り、探知の対象だった箱の中からは厳重に封印された数グラムのプルトニウムが出てきた。
新興国や途上国への原発輸出が伸びる中、核物質の監視体制は、核不拡散と核セキュリティーの両面で、より広い地域で目配りが必要となっている。
1990年代には、ソ連崩壊後の混乱したロシアから核物質が流出した。インドやパキスタン、北朝鮮は国際的な監視の目をかいくぐり、核兵器の開発に成功した。現在、焦点となっているイランは、2015年に米欧など6カ国と核合意し、核開発の制限を受け入れた。だが、米国は将来の核兵器開発への野心を疑って合意から離脱。イランに圧力をかけ続けている。
ドイツのシンクタンク「エコ研究所」の前所長ミヒャエル・ザイラー(65)は「国際的な監視体制に加えて、国レベルの体制も不可欠。政情が不安定になれば、国が軍事転用したり、悪意のある人物が原発の従業員に潜り込んだりする恐れも出てくる」と警告する。
それでも世界の核セキュリティー体制は、過去20年間で格段に強化されてきた。01年の米同時多発テロで、盗まれた核物質を使ったテロの脅威が現実味を帯びた。10年にはオバマ前米大統領の呼びかけで核セキュリティーサミットが開かれ、各国が核物質の管理などで協力することを確認した。
JRCと同様の施設は米国や日本、中国などにもあり、トレーニングを受けた各国の捜査機関や税関は、CIAなどのインテリジェンス機関とも協力して取り締まる。国際原子力機関(IAEA)によると、1993~2018年に報告された核物質などの管理に関する事件は約3500件。うち285件が犯罪がらみとみられるが、「発覚したのは氷山の一角」との見方もある。
そのためJRCは近年、アジアやアフリカからも受講者を受け入れている。幹部のサイード・アブーサル(59)は「原発や核関連施設を持たない国も無関係ではない。(密輸者が狙う)監視が脆弱(ぜいじゃく)なルートをなくす必要がある」
核物質が、どこから来たのかを解き明かす「核鑑識」も核セキュリティーの根幹技術だ。核物質には、鉱石の産地や、精製の過程によって固有の特徴「シグネチャー」ができる。警察が指紋やDNAから犯人を特定するように、シグネチャーを手がかりに、誰がいつ、何の目的で作ったかを絞り込み、捜査機関を助ける。JRCにはソ連崩壊後、欧州へ流出した核物質など約60件もの鑑識実績があるという。
日本でも11年、茨城県東海村にある日本原子力研究開発機構の核不拡散・核セキュリティ総合支援センターで研究開発が始まった。固形か液体か。色は何か。1000万分の1ミリまで観察できる電子顕微鏡を使い、肉眼では見えない粒子の形や内部の結晶構造、不純物なども調べる。世界では、この10年で解析の時間や精度が飛躍的に向上した。技術開発推進室の木村祥紀(33)は「ウランなら50年後でも、製造日の誤差は1~2カ月」と自信を示す。
IAEAの元セキュリティー部門トップのアニタ・ニルソン(71)は「新たな国に核技術を輸出するなら、人材育成など核セキュリティー体制を向上させるノウハウも提供する責任がある」と指摘する。