――コロナ禍で、世界的に観光需要が大きく落ち込みました。この経験で、観光学の目的や意義に変化はありましたか。
コロナ前、日本は「観光立国」の名のもとにインバウンドに力を入れ、観光人材の育成や投資にも力を入れてきました。ところが、コロナになって、観光は「不要不急」の対象となりました。観光産業の社会的意義や使命、そして観光学の役割も問われることになったのです。
観光学は職業教育ととらえられがちですが、「旅人を育成する」側面があってもいい。旅を大切に思う人がいないと観光は成り立ちませんから。海外旅行に出かける日本人は2019年に2千万人を初めて超えました。インバウンドを拡大させていくには、こうした海外を経験した人が、「外からの視点」で日本を眺める必要があります。
日本アルプスを最初に世界に紹介したのは、イギリス人の登山家、ウェルター・ウェストンでした。日本人にとって、山は森林資源であり、信仰の対象でしたが、観光資源ではなかったのです。外国人が私たちの「当たり前」を新しい対象として再発見してくれる。
渋谷のスクランブル交差点も、日本人にとっては日常空間ですが、外国人は雨の日に傘をさして歩く様子が万華鏡のようできれいだと、違う価値を見出しています。外国人、すなわち「よそもの」の立場に立って、自分たちをとらえ直すのは観光産業の発展にとって不可欠なのです。
――旅をすることで、私たちの日常や当たり前に、新たな視点が持ち込まれるのですね。
旅そのものに人や社会を変える力があると感じます。ただ多くの人は、残念ながらそのことに気付いていません。
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざがあります。修学旅行も、「学びの効果」があるとされてきました。しかし、どのような効果があるのか、わかりにくい。因果関係を解き明かすのが私の研究のテーマになっています。脳と心のはたらきから説明しようとすれば、旅をするということは「生まれたての赤ちゃんになること」なのです。
――つまり、真っ白な状態になる、ということですね。
そうですね。親が日本語を話す赤ちゃんは、生まれてしばらくはLとRの発音の違いがわかりますが、8カ月ぐらいで区別ができなくなると言われます。赤ちゃんはすべての情報を受け取っていますが、相当なエネルギーを消費するので、成長するにつれて情報を取捨選択するようになります。それが「慣れる」という状態です。
大人になると、考えることを省いて行動できるようになります。これが「習慣」です。海外へ行くと、習慣や常識が通用しないので、固定観念を持たずに情報を受け取ることになります。初めての国に行くと、初日は写真をたくさん撮るでしょう。2日目から減っていきます。初日の何でも新しいと感じる状態が、赤ちゃんと同じなのです。
――旅によって行動変容が起きるとき、具体的にどのような例がありますか。
旅先で新しいビジネスの種を見つけて、イノベーションを起こす人が多くいます。ドトールコーヒーの創業者、鳥羽博道さんは1970年代に視察旅行でヨーロッパを訪れました。パリのカフェで、テーブル席ががらがらで、みんなカウンターでコーヒーを飲んでいるのを見て「なぜだろう」と思い、店に入ってメニューを見たときに雷に打たれるような思いがしたそうです。
喫茶店はコーヒー豆の原価から料金を設定するものだと思っていた。しかし、パリは「お客の滞在時間」で価格を設定していました。立ち飲みは短時間なので、コーヒーも安い。店は回転率があがります。日本に帰った鳥羽さんは、それまでなかった立ち飲みスタイルの喫茶店を立ち上げました。
家具販売大手ニトリホールディングス会長の似鳥昭雄さんも、アメリカ視察旅行がきっかけで今のビジネスモデルを創り上げました。当時日本で家具店は地域の小売店や零細企業が多かったのですが、アメリカは200店舗のチェーンを展開する家具店もありました。
視察旅行に参加したメンバーたちは「国土が広く、経済力もあるアメリカだからできる、日本では無理」と話していましたが、似鳥さんは「アメリカでできるなら、日本でもできるはず」と考えました。自社はまだ2店舗しかないにもかかわらず、帰りの飛行機で100店舗を展開する構想を立てました。
同じ風景を見たメンバーのなかで、行動を起こしたのは似鳥さんだけです。固定観念にしばられなかったことが、その後の成功につながりました。
カルチャーショックを経験したとき、その地域の人たちの慣習を実践してみる。友達を作ったり、地元の人が食べているものを食べてみたりする。すると、予想外の出合い、すなわちセレンディピティによって、イノベーションが起きやすくなるのです。好奇心を全開にして、こうした状況に意図的に身を置くことで旅の効用が高まると考えています。
――旅を通して得られる「学び」に関心を持ったきっかけはありますか?
子どものとき住んでいた鹿児島で、黒船ならぬ「白船来航」というべき出来事がありました。私は県南の漁村で育ったのですが、釣りをしていたら、オーストラリア人が乗った大きなヨットが現れたのです。私は小学校3年生で、初めて目にした外国人でした。
村じゅうが大騒ぎになり、英語がわかる先生を呼んできました。ヨットから父、母、小学生の姉と弟の4人家族が降りてきました。2年かけて、世界一周をしているというのです。私はオーストラリア人のお母さんに「子どもたちは学校を休んで、勉強はどうしているのか」と聞いたのです。すると、お母さんは「何を言っているの?」という表情で「旅をすることが立派な勉強だよ」と答えました。そのときは意味がわかりませんでしたが、解き明かしたいという気持ちで、今日に至ります。ようやく輪郭がつかめたぐらいですが。
――旅の経験がどう社会変化につながっていきますか。
観光業は平和産業ともいわれますが、「平和でないと成り立たない」という意味だけでなく、「平和のパスポート」という側面があります。
ロシアがウクライナに侵攻しましたが、第三次世界大戦になっていないのは、核抑止力が背景にあるというのが定説です。しかし、それだけではないのではないか。コロナ前、1年間に14憶人が国境を越えて旅をしていたことが、少なからず影響していると考えています。
私は2018年にロシアに行きました。モスクワの地下鉄で、切符の販売機にクレジットカードを入れたら、出てこなくなり、困っていました。すると、英語がわかる、ロシア人の男子高校生が事情を駅員さんに説明してくれたおかげで、カードは無事に戻りました。プーチン大統領と、親切にしてくれた高校生に対する認識は分けて考えなければなりません。
日本でも、外国人旅行者を助けた人はたくさんいるでしょう。その旅行者は、自国に帰って家族や友人に、日本での出来事を話しているはずです。人は「受けた恩は返したい」という気持ちがあります。旅人一人ひとりが、無意識のうちに、平和の使者(ピースメーカー)の役割を持っているのです。短期的には観光は平和に依存しますが、長期的にはむしろ逆で、観光が平和を作ると考えます。
――個人が意識を持って旅をする、セルフデザインの意識も重要になってきますね。
学生と一緒に、ある実験をしたことがあります。スマートフォンを持つ学生、紙の地図を持つ学生、何も持たない学生が街歩きをする。ゴールを決めておき、到着直後に幸福度を調べるというものです。驚いたことに、ポジティブな感情が一番大きかったのが紙の地図を持つ学生で、2番目は何も持たない学生、3番目はスマートフォンを持つ学生という順番でした。
ポジティブな感情は、地元の人との対話によるものでした。紙の地図を持つ学生は、通りがかりの人から「大丈夫ですか」と声をかけられることが多かったため、親切に感謝の気持ちが生まれたのです。適度に不便があるほうが、ポジティブ感情が高まることがわかったのです。
旅行や旅は不便さを伴います。しかし、その結果生まれる会話もあります。情報技術は便利で楽ですが、半面、主体性や能動性を奪ってしまうため、面白さがなくなってしまうこともあります。これからは、個性的な経験をするための技術の使い分け、すなわちリテラシーも大切になっていくでしょう。
(文・斉藤真紀子、インタビュー写真・堀内隆)