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「キッチン、お邪魔させて」世界中で台所探検 岡根谷実里、クックパッドでの挑戦

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
蒸し器のふたを開けると、スーダンの味を詰め込んだ「旅おやき」があった=長野市、川村直子撮影

蒸し器のふたを開けた瞬間、真っ白な湯気の中からほかほかの塊が姿をのぞかせた。

「皮が破れてない! 大丈夫そう」

岡根谷実里(31)は7月、長野市内の知人の台所で、郷土食「おやき」の試作に没頭していた。おやきの定番といえば、地元産の小麦粉(中力粉)を練った皮で野沢菜やナス、あんこを包むものだが、この日は一風変わっていた。

皮にする生地の材料は、信州産のそば粉と、イネ科のソルガム(タカキビ)。スーダンで昔から食べられ、練りがゆや薄いクレープにする主食の原料だ。具は、オクラとトマトとひき肉を炒め、スパイスで味付けをしたシチュー「バミヤ」。2018年、スーダンの台所で住人に教わった家庭料理だ。

2018~2019年に訪れたスーダンでは、結婚式の料理を作る場にも遭遇した=岡根谷実里さん提供

傍らには、市内でおやき屋を営み、「おやきの教科書」の著書もある小出陽子(60)。今春、岡根谷がメールを送っておやき作りの教えを乞うた縁で、岡根谷が訪れた国々の味を詰め込む「旅おやき」の構想を応援する。「現地の味に忠実であろうとするこだわりはすごい。スーパーで手に入る食材で、皆が『作りたい』と思ってくれるよう、折り合いをつけるのが私の役目」と見守る。

■「台所お邪魔していいですか?」

「世界の台所探検家」と名乗り始めて3年ほどになる。レシピ検索サービスのクックパッド社員として働きながら、休暇を利用して世界各地を訪ねてきた。「お宅の台所にお邪魔させてもらえませんか?」。現地の人と食卓を囲み、日々の食事ができあがる様子をのぞかせてもらうのだ。

キューバ、ボツワナなど、昨年までの2年間で15の国・地域の50以上の台所を訪ねた。知人のつてをたどることも多いが、現地での幸運な出会いもある。昨年訪れたウィーンでは、ファーマーズマーケットで話しかけてくれた男性を逆にハンティング。男性の妻が日本人だった偶然も重なり、すぐに約束を取り付けた。パレスチナでは民泊仲介サイトで見つけた宿泊先の台所で料理を教わった。

2019年に訪れたウイーンでは、伝統のチョコレートケーキを教わった=岡根谷実里さん提供

小麦が育ちにくいスーダンの食卓で、主食の練りがゆのほかにパンも並ぶのはなぜ? 物資不足で食料は配給頼みのキューバではなぜ家電製品が充実しているの? 観察しながら浮かんだ疑問を住人に率直に尋ねる。

探検活動の「ゼロか所目」は、7年前にさかのぼる。大学院時代に留学先のウィーンで国連工業開発機関(UNIDO)のインターンをした際、「現地に出たい」と訴えて、ケニアで大豆の加工工場を立ち上げるプロジェクトに参加。村の大豆農家の家で寝泊まりして、3世代7人家族の食事情をのぞき見た。庭で放し飼いの鶏をいただき、畑のトウモロコシを自家製粉した練りがゆを食べる。素朴ながら豊かな食卓に心を動かされた。

大学院生時代に滞在したケニアでは、現地の暮らしに触れたくて「民泊」していた=岡根谷実里さん提供

だがそこで、岡根谷は開発が地域にもたらす負の側面も目の当たりにする。村の中心部にスーパーハイウェーが通ることになり、住民が立ち退きを強制されたのだ。「都市部への出荷が容易になり、農家の現金収入が増える」。開発を進める側の主張を、周囲の住民は誰ひとり喜んでいなかった。

怒り、悲しむ人たちが唯一、笑い合うのが食事の時間だった。笑顔を生み出す台所の力、に気がついた。

■常識外の広い世界 学生らに

留学から帰ると、既に多くの同級生が就職先の内定を得ていた。「閉まりかかった門をたたく」ところから就職活動を始めたが、海外志向で選んだプラントや開発コンサルから良い返事はなかった。

アルバイト先だった学習塾長(当時)の小代義行(48)に近況を話すと、こう言われた。「斜陽産業の中小企業か、ベンチャー企業がいいんじゃない?」。理由を聞くと、「経営的に『後がない』方が、新しいチャレンジをさせてもらえるよ」。

現在はAIベンチャーの共同代表を務める小代自身、大手通信会社からベンチャーに転職し、起業という道を歩む。「独自の考えを実践したいタイプの彼女が、大企業の末端にいきなり組み込まれると、あのパワフルな行動力が死んでしまう。場合によっては和を乱すと思われかねない」。小代の目にはそう映った。

小代が名前を挙げた会社のひとつが、1997年創業のクックパッドだった。「毎日の料理を楽しみにすることで、心からの笑顔を増やす」。今や74カ国・地域、32言語で展開する同社の当時の企業理念に岡根谷は深く共感した。

新卒採用の1期生として入社すると、レシピ投稿者向けのサービス開発やデータ分析業務に就く傍ら、休暇を使い台所探検を始める。3年ほど前から本格的な訪問記をブログにつづるようになったのは、世界の台所で出会った驚きと感動を分かち合いたい気持ちが強くなったからだ。

その「趣味」で得た知見を、仕事でもフルに生かしているのが、学校への出張授業だ。東京五輪・パラリンピック開催やSDGsに絡んで、あちこちから声がかかる。

「ブルガリアの都市部の住宅では、台所は狭く洗面所を兼ねていて、ガスコンロはベランダに置く」「夏の定番はヨーグルトスープ。でも、ヨーグルトは昔から広く食べられていたわけではなくて、政府が生産と消費を奨励したんですよ」

ブルガリアでは、屋外の台所で、リュテニツアの材料のパプリカを焼いた=岡根谷実里さん提供

6月に催された早稲田大学の学生たちへのオンライン授業。岡根谷は海外で撮りためた写真を見せながら、生き生きした語り口で画面の向こうの約80人に語りかけた。見知らぬ国で人の家にあがりこんで食卓を囲み、台所で一緒に料理を作るのが趣味。そんな人はそうはいない。ジェンダー、時間に対する価値観、政治や経済……。学生たちは岡根谷を通じて、自分たちの常識の外にある広い世界を知る。「圧倒的な現場感」が、世の中のニーズにつながった。

「社のミッションである料理の価値を伝えながら、“はっとする気づき”を与えてくれるのが彼女。例えば、電気がないアフリカ南部ボツワナの村では、屋外で火を使った煮炊きを体験してきた。日本の常識とは違う料理と暮らしのありかたを見せてくれる」

2018年に訪れたキューバの台所では、家電製品が充実しているのに驚いた=岡根谷実里さん提供

上司の横尾祐介(40)は、所属する部の業務をこなした上で“台所探検活動を生かした仕事”があると前置きしつつ、「好きなことに没頭して究めるのは大事だな、と彼女を見て思う。趣味を仕事にクロスさせるのは(働き方の)面白い事例」と表現する。

食文化研究の第一人者、石毛直道(82)を尊敬する岡根谷は、文化人類学者になりたいと考えた時期もあった。でも、「先行研究にない唯一無二の新発見を書きつづるより、『ねえ、こんな面白いもの見つけちゃった』『世界って楽しいね!』と伝えたい」。料理はその最も効果的なツールだと考える。

新型コロナウイルスの感染拡大傾向が強まった2月半ばにクックパッドが在宅勤務を本格導入したのを機に、岡根谷は、生まれ育った長野で多くの時間を過ごしている。台所を渡り歩くなかで、地元を見つめ直したくなるタイミングでもあった。

出張授業はオンラインを中心に続けながら、山あいの村のシェフと県産パプリカを使った商品開発に乗り出し、地元テレビ局の情報番組にも出演。紹介する商品や料理を通じて、広い世界を見てほしいという思いを込める。台所探検のフィールドは、果てしなく広がっている。

Profile

  • 1989 長野県生まれ
  • 2005 長野高校入学、世界地理にハマる
  • 2008 東京大学理科一類入学。学業のほかには塾講師のバイト、体育会卓球部の活動で忙しかった
  • 2012 東京大学工学部社会基盤学科卒業、修士課程に進学。同時にオーストリアのウィーン工科大学に1年間の交換留学。留学中に国連工業開発機関(UNIDO)で3カ月インターンシップを経験
  • 2013 UNIDOケニアのプロジェクト現場でインターンシップ
  • 2014 修士課程修了、クックパッドに入社。レシピ投稿者向けのサービス開発ディレクター、翌年はレシピ検索機能の開発と改善のディレクター、データ分析などに携わる。海外事業にも関わり、米国へ派遣されたことも
  • 2017 コーポレート戦略部へ。社内コミュニケーションの改善とミッション浸透に携わる
  • 2018 コーポレートブランディング部へ。ミッション発信・体現の取り組みや学校への出張授業を担当

滋味深い食卓…幼少期は両親と兄、妹、祖母の三世代で暮らした。日々の食事は母と祖母にお任せで、高校卒業までは「専ら食べる人」。食卓にはいつも、地元の野菜や山菜を使った季節の料理が彩り豊かに大皿に盛って出された。思い出の味は、身欠きニシンに里芋や大根を合わせた煮物。海がない地方ならではの組み合わせだ。

幼い頃の岡根谷実里(左)。祖母(中央)の料理で懐かしいのは「身欠きニシンに 里芋や大根をあわせた煮物」。海が遠い地域ならではのレシピだ

探検の流儀…留学や旅行を含め訪れた国・地域は60以上。タイの山岳民族、パレスチナの難民キャンプの台所も訪ねた。訪問前に調べるのは、歴史・風土や国内総生産(GDP)。「先入観を持たない。勝手なイメージを作らない」のが流儀だ。物おじしない性格に加え、「見た目」がひとつの武器かもしれない。身長148センチのきゃしゃな体にはキッズサイズの服がフィット。東京のまちなかでも子どもに間違えられるエピソードは、もうしゃべり飽きたほどだ。(文中敬称略)

文・熊井洋美
1974年生まれ。科学医療部員。おやきは「食べるの専門」。取材を前に作ってみたが、祖母の味にはほど遠かった。

写真・川村直子
映像報道部員。「粉もん」で育った関西人。今回の取材で、慣れ親しんだそれとは別の滋味深さを知りました。