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14年前にも、意に沿わない国をねじ伏せた ジョージア侵攻でプーチン氏が学んだこと

World Now
2008年8月、黒海の港湾都市ジョージア西部のポティ占拠したロシア軍。「平和維持軍」のマークが入ったヘルメットをかぶっていた
2008年8月、黒海の港湾都市ジョージア西部のポティ占拠したロシア軍。「平和維持軍」のマークが入ったヘルメットをかぶっていた=喜田尚撮影

ジョージア(グルジア)中部の都市ゴリは、ソ連の独裁者スターリンの生地として知られる。08年8月11日の午後、私はそこから車で北へ向かった。砲撃音が聞こえ、畑に掘った塹壕(ざんごう)の中に装甲車を隠すジョージア軍部隊が見えた。リヤカーを引いてゴリの方向へ避難する住民らにも出会った。

突然、「バリ、バリ」と銃声が響いた。「逃げろ」。誰かが叫んだ。ロシア軍が地上から侵攻してきたのだ。

ロシアとウクライナの地図

3日前の8月8日、遠く離れた北京で五輪が開幕した。その日、ジョージア軍が分離独立派が支配する北部の自国領・南オセチアを攻撃。これに同派の後ろ盾のロシア軍が介入した。ジョージアの首都トビリシ近郊やゴリ、黒海沿岸を空爆し、両国の軍事衝突に発展した。

当時ローマ支局長だった私は、トルコで取材中に東京から連絡を受け、空爆下で最後となる航空便でトビリシに入った。11日は空爆の合間を縫ってゴリで取材し、そこから北上してロシア軍が地上侵攻を始める場面に出くわしたのだった。

ジョージア中部で2008年8月、破壊された首都トビリシとゴリを結ぶ鉄道
ジョージア中部で2008年8月、破壊された首都トビリシとゴリを結ぶ鉄道=喜田尚撮影

ジョージアはウクライナと同じく1991年のソ連崩壊で独立した。政府は一貫して親欧米路線でロシアと対立した。これに対しロシアは90年代初めから民族の違いなどを理由にジョージアからの独立を宣言していた南オセチアなどの地域紛争に介入して分離独立派を支え、ジョージア政府に圧力をかけ続けてきた。

銃撃戦があった夜、ゴリから東へ60キロのトビリシまで戻ると、宿の近くに近所の人が集まっていた。輪の中にいた宿の主人は「ロシア軍がトビリシに突入したら、どうやって娘を逃がすか相談している」と言った。10代の娘がロシア兵にレイプされると本気で恐れていた。

2008年8月9日、空爆を受けた中部ゴリから避難してきたという人々が首都トビリシの議会前で「家を失った」と訴えていた
2008年8月9日、空爆を受けた中部ゴリから避難してきたという人々が首都トビリシの議会前で「家を失った」と訴えていた=喜田尚撮影

ロシア軍はその夜トビリシの数十キロ手前まで迫っていた。ゴリは占領され、トビリシと黒海沿岸を結ぶ大動脈の幹線道路は遮断。ロシア軍は停戦が発効した後も撤退せず、一方的に「緩衝地帯」と宣言した地域に10月まで駐留した。

ロシアは侵攻後、南オセチアと、同様にジョージアから事実上の分離独立状態にあったアブハジア自治共和国をそれぞれ「独立国」として承認した。ロシアはソ連崩壊後、ロシアの影響下から逃れようとする旧ソ連国に対し、その国の親ロシア的な分離独立派を支援して地域紛争に介入してきた。ただ、この時まで紛争当事国の主権を無視してまで特定の地域を「国家承認」することはなかった。ジョージアの街は反ロシア一色に染まった。当時ロシアのプーチン氏は憲法上の任期制限のために大統領から首相職に回っていたが、トビリシ中心部の歩道にはプーチン氏の顔が多数描かれ、通行人が踏みつけて歩いた。

ジョージアの首都トビリシで2008年8月、歩道に描かれたプーチンの顔を踏んで歩く人々
ジョージアの首都トビリシで2008年8月、歩道に描かれたプーチンの顔を踏んで歩く人々=喜田尚撮影

北大西洋条約機構(NATO)はロシア軍侵攻前の4月に首脳会議でジョージアとウクライナを「加盟候補国」とするのを見送っていた。9月、トビリシの大学で講演した当時のデホープスヘッフェルNATO事務総長に学生らが「加盟候補国になっていれば侵攻は起きなかった」と激しく詰め寄ったのが印象に残る。

NATOは一方でジョージアとウクライナを「将来の加盟国」と位置づけることには合意していた。ただちに両国を加盟交渉開始を意味する候補国とするよう主張した米国に対し、ロシアの反発を恐れる独仏などが抵抗した結果の妥協の産物だった。それでもプーチンは「ロシアの利益が無視されている。NATOは自らの安全保障のためにロシアの安全保障を犠牲にしている」と怒りをあらわにした。欧米各国は、同じ論理を14年後のウクライナ侵攻前にもプーチン氏から繰り返し聞かされることになる。

ジョージア北部で2008年9月、ロシア軍に占拠され、破壊された自宅で嘆く住民
ジョージア北部で2008年9月、ロシア軍に占拠され、破壊された自宅で嘆く住民=喜田尚撮影

ロシアはジョージア侵攻の理由に「自国民の保護」をあげた。ロシアは事実上支配下に置いた南オセチアで住民らに以前からロシア国籍を与えていたからだ。

「互いの領土と独立を尊重する」という1991年の独立時に旧ソ連国間で交わされた合意は踏みにじられた。ソ連崩壊で多くの旧ソ連国にロシア系住民が取り残された。ジョージアでのロシアの行動は、今度こうした国々がロシアと争いを起こせば、「自国民の保護」を口実にロシアによる軍事介入や領土割譲の脅威にさらされることを意味した。その懸念は6年後、ウクライナ南部のクリミア半島併合で早くも現実のものになる。

ジョージア北部で2008年8月、避難民キャンプで遊ぶ子供たち
ジョージア北部で2008年8月、避難民キャンプで遊ぶ子供たち=喜田尚撮影

ジョージアに対するロシアの軍事介入は、ジョージアが事実上独立状態にあった南オセチアに軍を侵攻させたことをきっかけに始まった。当時のサアカシュビリ大統領はロシア軍の挑発があったことを強調したが、この経緯は事態を複雑化させた。その後国内でロシアの介入を招いたことに批判を受けたサアカシュビリ大統領は野党弾圧を強め、強引な政権運営を進めた。

欧米はロシアのジョージアへの軍事侵攻や南オセチア、アブハジアの「国家承認」を強く非難したが、12月のNATO外相会議では独仏などの反対でジョージアとウクライナを加盟候補国とすることは再び見送られた。いったん凍結された「NATO・ロシア理事会」も翌09年には再開する。当時NATOは最も力を入れていたアフガニスタンの復興でロシアの協力を必要としていた。

欧米でも、米国や常にロシアの脅威を感じるポーランドやバルト3国と、ロシアとの冷静な関係を望むドイツやフランスとの間には温度差がある。強引な力の行使で欧米との間に亀裂を走らせても、大国間のバランスを利用すれば決定的な孤立は避けられる。ジョージア侵攻は、ソ連崩壊後のロシアが意に沿わない国を直接力でねじ伏せる最初の例となった。プーチン氏はここでウクライナ侵攻につながるルビコン川を渡ったのかもしれない。(つづく)

■第5回は8月18日配信予定です。