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「裏切り者」が次々消えていく ロシア暗殺の歴史を振り返る

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ロシアの代表的な反政権活動家であるアレクセイ・ナバリヌイ氏。機内で体調を崩し、側近らが「毒を盛られた」と主張している=2017年10月、中川仁樹撮影

■「お茶に毒」過去にも

ナバリヌイ氏は20日、西シベリアの街トムスクからモスクワに戻る機中で体調が悪化。集中治療室で人工呼吸器をつけられるほどの深刻な状態となった。ロシアの病院は「毒物は検出されなかった」としているが、側近は、その前に飲んだお茶を疑い、「政権に毒物を盛られた」と主張。治療と安全のため、国外への転院を求めた。受け入れたドイツ・ベルリンの病院は、神経剤の成分を体内から検出したとしている。

実は「お茶」は、以前にもロシア関連の暗殺事件で登場した道具だ。中でも記憶に残っているのが、チェチェン紛争でのロシア政府による残虐行為などを批判してきたノーバヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者が2004年、機内で出された紅茶を飲んで意識不明の重体になった事件。このときは奇跡的に回復したが、わずか2年後の06年に自宅アパートのエレベーター内で射殺体で見つかった。くしくも、この日は10月7日で、プーチン大統領の誕生日。そのため「誕生日プレゼント」という見方が出た。このことも強烈に記憶に残る理由となった。

ポリトコフスカヤさんの写真パネルを掲げる追悼集会の参加者たち=2012年10月7日、モスクワ

やはり06年にロシアの元スパイのアレクサンドル・リトビネンコ氏が亡命先のロンドンで殺害された事件では、体調を崩す直前にロンドン中心部のホテルのバーで飲んだのが緑茶だった。猛毒の放射性物質「ポロニウム210」が混入されており、その3週間後に死亡した。

英国政府が設置した独立の調査委員会が16年に報告書をまとめ、殺害はロシアの情報機関「連邦保安局」(FSB)の指示で実行された可能性が高く、プーチン大統領も「おそらく承認していた」と結論づけて、世界に衝撃が走った。

誕生日と言えば、90年代にロシアのある地方の市長が殺害された日は、利害の対立があったとされる、元石油王のミハイル・ホドルコフスキー氏の誕生日だったという。

■わざと政権の関与をにおわす?

これまでもソ連やロシアの情報機関は国内だけでなく、国外の殺害事件でも関与を疑われてきた。59年、ドイツ・ミュンヘンで起きたウクライナの民族主義運動の指導者ステパン・バンデラ氏の暗殺。78年には、ブルガリアから亡命してソ連圏の言論弾圧などを批判した作家ゲオルギー・マルコフ氏がロンドンで毒を仕込んだ傘で刺され、殺された。ソ連が崩壊し、ロシアになってからも、上記の事件のほか、04年にもチェチェンのヤンダルビエフ元大統領代行がカタールの首都ドーハで、乗車中の車を爆破されて死亡。一時より減ったとは言え、最近も政権の関与が疑われる事件が続いている。

ロシア当局は関与を否定しているが、国内外からの疑いの声は消えない。その大きな理由が、殺害された人々の多くが、野党指導者やジャーナリスト、元スパイら政権が敵視する人物で、容疑者として政府の関係者が浮上することがあるからだ。見方によっては、否定する姿が芝居じみて見えるほど、わざと政権が関与した痕跡を残しているようにも思える。

例えば、15年に野党指導者ボリス・ネムツォフ氏が、モスクワのクレムリンを目の前に望む橋で銃撃されて殺害された事件。実行犯として有罪となったのは、チェチェン共和国駐在の内務省軍副隊長らだったが、背後関係が不明なまま、捜査に事実上の幕が引かれてしまった。

事件から1年後、ネムツォフ氏が暗殺されたモスクワ中心部にある橋の現場には、写真や花が供えられていた=2016年2月26日、モスクワ、駒木明義撮影

18年に、英国の商業施設のベンチで元ロシア軍情報機関大佐セルゲイ・スクリパリ氏と娘ユリアさんが意識不明で発見された事件でも、英当局は、旧ソ連で開発されたとされる神経剤「ノビチョク」が使用され、容疑者らは「ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の将校」と認定した。名指しされた二人は実際に現地に行ったことは認めたが、「観光目的だった」と主張した。

ユリア・スクリパリさん=フェイスブックから

■「裏切りは絶対に許さない」

そのため、こうした暗殺の目的を、「対立する人物への警告や見せしめの意味もある」とみる専門家もいる。しかもロシアの情報機関には、「裏切り者は絶対に許さない」という掟があるとされる。

リトビネンコ氏の場合、英メディアなどによると、88年からソ連の国家保安委員会(KGB)で勤務。ソ連崩壊後も、後継組織のFSBなどでテロ対策や組織犯罪対策部門に所属したという。

ところが98年、上司から政商ベレゾフスキー氏らの暗殺を指示されたことを記者会見で暴露。その後出版した本では、約300人が死亡したモスクワの高層アパート爆破事件について「チェチェン武装勢力によるテロではない。チェチェン侵攻の口実を作ろうとしたプーチンとFSBの自作自演だった」と指摘した。

2000年にトルコ経由で英国に亡命し、チェチェン問題への対応などでプーチン大統領を厳しく批判。亡命中のベレゾフスキー氏らプーチン批判の急先鋒(きゅうせんぽう)と親交を深め、暗殺されたポリトコフスカヤ記者とも接触していた。

そのポリトコフスカヤ記者関連でも、06年にチェチェン共和国の特殊部隊元幹部のモブラジ・バイサロフ氏が暗殺されたが、ポリトコフスカヤ記者の暗殺事件で検察当局に証言をする矢先だったという。

ポリトコフスカヤさんの机。2012年10月に職場を訪ねると、当時のまま保存されていた

英国などの報道によると、スクリパリ氏もGRU勤務時に英国のスパイとして活動していたが、ロシアで逮捕され有罪判決を受けた。スパイ交換でアメリカ側に引き渡され、英国に亡命していた。

こういった「裏切り者」への嫌悪感は、一般のロシア国民の中にも多かれ少なかれ、存在していると感じる。スクリパリ氏の暗殺未遂事件を伝える記事に国営メディアがつけた見出しは、「裏切り者の元スパイが毒を盛られた」だった。

これらの事件に政権が本当に関わっているのかは分からない。だが、少なくとも、政権に敵対したり、不正をした仲間を告発したりする「裏切り」を、かなり踏みとどませる効果があるのは間違いないだろう。

CIA(米中央情報局)といった他の国の情報機関なども暗殺事件を企ててきた過去がある。だが、いまも国内外で反政府派が暗殺され、真実が判明しないという国は限られる。ここにロシアの深い闇があると言えるだろう。

事件後、スクリパリ氏の自宅を見張る警察官ら=2018年3月、英南西部ソールズベリー、下司佳代子撮影

■「1人殺して2万円」と言われた時代も

ところで、筆者は90年代にロシアに住んでいたが、荒っぽい殺人事件が珍しくなかった。ソ連崩壊後、ロシアは急進的な経済改革を採用し、政治家や新興財閥、マフィアなどが勢力拡大にしのぎを削る「弱肉強食」の世界となった。いまより格段に社会が不安定で、殺人事件もはるかに多かった。

新聞や雑誌でよく見たのが、自動車事故を装った殺人。例えば交差点を直進する車に、わざと曲がってぶつけて殺すといった手口だ。確実に殺すため、被害者の運転手を犯人グループの一員にすることもあったという。高級ホテルのレストランに自動小銃を持った男が乱入。銃を乱射して敵対する組織の幹部を殺した後、ゆっくり歩いて立ち去った事件もあった。

私が通勤で使っていた路線のバスが爆破されたこともあった。チェチェン関連のテロと報道されたが、真相は分からなかった。公共交通機関を使うのが恐ろしくなり、しばらくタクシー通勤に切り替えた。

殺人の相場は1人200ドル前後(約2万1000円)とも言われ、驚くほど「命の値段」が安かった。犯人が捕まったというニュースを見た記憶は無い。

選挙が近づくと、政治家が命を奪われることもあった。ほかに大勢が殺されたのが銀行員。アングラマネーを扱うことで一獲千金のチャンスを得た一方、マネーロンダリングなどに失敗すると、容赦なく責任を問われた。1年に100人以上が殺されたという報道もあった。

当時のロシアの一般的な治安は、日本で言われているほど悪くはなかった。優しいロシア人も多かった。だが、マフィアに狙われたら最後、命が助かる見込みはなかった。