人類の歴史を振り返ると、入れ歯や義肢、めがねなどの利用も、身体拡張の一つの形であることがわかる。入れ歯や義肢のように、物理的な機能を作り物で代替する技術は紀元前からあったらしい。
こうした骨格系や運動器系に比べると、五感を補う人工感覚器の歴史は新しい。
人工のレンズで目の屈折異常を補正するめがねが実用化されたのは13世紀終わりごろといわれている。聴力を補うトランペット型の集音器が使われるようになったのは17世紀。18世紀から19世紀にかけて活躍した楽聖ベートーベンは全長50センチを超える金属製の集音器を使っていた。
現在の補聴器のように電気的に音を増幅する技術は、19世紀末の電話の発明に触発されて開発された。コンタクトレンズや白内障治療などに使われる眼内レンズは、20世紀半ばになって実用化された。
「必要は発明の母」のことわざ通り、人が周囲の情報を得るうえで特に重要な視覚と聴覚の補完技術が、嗅覚(きゅうかく)や味覚、触覚に先んじて研究開発されてきたことがわかる。
人工知能(AI)や情報通信技術(ICT)、さまざまなものがインターネットにつながる「モノのインターネット」(インターネット・オブ・シングス=IoT)など、近年の急速な技術革新は人工感覚器開発に強烈なインパクトを与えており、身体とテクノロジーが融合するSF映画の世界が、近未来に実現するようにも見えてくる。
米スターキー・ヒアリング・テクノロジーズ社が開発した最新補聴器「エボルブAI」はAIを搭載していて、情報端末にもなり、ハリウッド映画「アイアンマン」シリーズの「AI執事」、ジャービスを思わせる。
ジャービスは人工知能の声だ。ハイテクなパワードスーツに身を包んで戦う主人公、アイアンマンに、いつもさまざまな情報を伝えて助けてくれる。映画ではアイアンマンが空高く飛行中にスーツが氷結し始めたのを察知して、いち早く警告。身の危険から救う場面も。メタ(旧フェイスブック)のマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が以前に「つくりたい」と言って話題になったものだ。
人工感覚器による五感の補完・身体拡張を突き詰めていくと、焦点は感覚をつかさどる脳そのものに近づいていかざるを得ない。感覚器が得た外界の情報は、脳の特定の場所に伝えられ、そこで処理されて初めて映像や音、におい、味、触感として認識されるからだ。
聴覚に関しては、空気振動を電気信号に変える内耳の働きが損なわれた重い難聴の人にも効果が期待できる「人工内耳」が、40年を超す実績を持つ。装置は体外で周りの音を拾うサウンドプロセッサーと、皮下に埋め込まれプロセッサーからの信号を受けて内耳に設置された電極に信号を伝えるインプラントからなる。
豪コクレア社のヤン・ヤンセン最高技術責任者(CTO)は「内耳にあるカタツムリに似た形をした蝸牛(かぎゅう)には、数千もの有毛細胞があるため、私たちはさまざまな高さ、大きさの音を聞き分けることができる。人工内耳は、音声を22個以下の電極の信号に変えることで、蝸牛の音を聞き分けるプロセスを再現し、聴覚神経に直接届ける。そして脳の学習能力とネットワーク再構築能力も使って、再び、聞こえを提供することを可能にした。人工内耳こそ、電子技術を中枢神経系や人間の知覚に効果的に結びつけた最初の人工器官だった」という。
そのうえで「人工内耳はすでに身体拡張の一例。将来的には体との一体化がさらに進んで、体外機器がなくなり、完全に体内に埋め込むことができるようになるかも知れない。無線接続により、映画館で音声を直接ストリーミングできたり、駅で最新の運行情報を聞いたりできるようになる可能性もある」と予測する。
視覚でも、脳で視覚情報を処理する部分に電極を埋め込んで、直接刺激する手法について、安全性を確かめる治験が米国で進められている。
士郎正宗の原作で、映画「マトリックス」に影響を与えたことでも知られるSFアニメ「攻殻機動隊」の舞台は、脳とインターネットが直接つながって情報を他者と瞬時に共有したり、記憶を外部装置に保管したりできる「電脳化」が起きた世界だ。同時に、脳や中枢神経系以外の肉体の動きは機械で代行する「義体(サイボーグ)化」が進んでいるが、それに反対する運動も描かれている。
先端技術情報の収集・分析を手がけるアスタミューゼ社(東京・神田)の川口伸明エグゼクティブ・チーフ・サイエンティストは「レーザー光で網膜上に自由に映像情報を投影する技術を世界で初めて実用化したQDレーザ(川崎市)の技術は、超視力をもたらしたといっていい。顕微鏡や望遠鏡とつなげば、人間の視力をそこまで拡張できる。スターキーなどの補聴器も同じで、音の分解能を高めたり、聞いている音以外の音をひろってきたりもできる超聴力を実現した」と話す。
「それに比べると嗅覚、味覚、触覚はまだ弱い。調べれば電気刺激で味を感じるとかいろいろ出てはくるが、その将来性がわかりにくい」
川口氏はごついゴーグルをつけるような身体拡張が、いきなり広がるとは考えていない。技術でこういうことができる、というばかりでは、「人類サイボーグ化計画が進められている」といった陰謀論や都市伝説のようなものにのまれてしまうと思うからだ。
「そうした技術をどう使えば、どんな社会課題の解決に役立つかといったストーリーづくりが重要だ」と川口氏は言う。
「例えば、目の不自由な人がそれを使って、自分の意思で歩けるようになれば、十分価値がある。加えて、今までとは違う異次元体験ができたり、健康管理ができたりすると、はっきり打ち出すべき段階にきている」
川口氏は、ファッションにも身体拡張の可能性を見ている。「アンリアレイジ」のブランドで知られるデザイナーの森永邦彦氏は、暗闇でも振動によって周囲にあるモノとの距離を伝える「エコーウェア」を発表したことがある。服が信号を発し、反射波をセンサーが受けると服が振動するしくみだ。身体拡張は思いがけない方向からやってくるかもしれない。