全身ピチピチの服を身につけ、車輪のないオープンカーで透明チューブのハイウェーを滑走する――。私が幼い頃、子供向けの漫画や雑誌で目にする「未来予想図」といえば、そんな光景が定番だった。それから40年余り。おじさんの郷愁にずばり刺さる本を見つけた。『昭和ちびっこ未来画報~ぼくらの21世紀』(2012年、青幻舎)。1950~70年代、学習雑誌など様々な子供向けのメディアに掲載された「未来予想図」が数多く収録されている。
たとえば、『事故0(ゼロ)のハイウェー』(1969年 小松崎茂氏)は、スケールの大きさに度肝を抜かれる。高速道路に配置された巨大ロボットが、スピード超過や重量制限オーバーの車を見つけると、超音波を浴びせてエンジンを停止。UFOキャッチャーのようなアームが伸びて、違反車をつぎつぎに強制排除してしまうのだ。
『未来画報』の著者で、昭和のレトロ文化専門のフリーライター、初見健一さん(52)に尋ねた。どうして、こんな発想になったんでしょう?
「当時は交通死亡事故が急増し、『交通戦争』という流行語も生まれました。そんな時代背景を反映して、未来予想も『交通安全』が重要なファクターになっていたのです」
同じ頃の作品には、歩行者が立ち入る心配のないチューブ型道路や、人間による運転ミスが起こりえない自動制御の交通システムも登場する。程度の差こそあれ、現代に実用化されつつあるアイデアもあるから面白い。
子供たちに関心が高い「未来の学校」もたくさん描かれた。『コンピューター学校出現!!』(69年、小松崎茂氏)もその一つ。教室のスクリーンに映った先生が問題を出し、生徒たちが机の上のコンピューターで答える授業風景は、現代の大手予備校にも似たイメージで、当たらずとも遠からず……と思っていたら、よくよく見ると、教室にへんてこな箱形のロボットがいくつもいる。よそ見をしている子に背後からげんこつを食らわすロボもいれば、生徒をアームで捕まえて教室の隅に立たせているロボも。うーん、どうやら未来の教育現場では「体罰」に厳しい目が向けられるようになるとは予想できなかったみたい……。
■「すごい!」から「終末」「便利」へ
「戦後日本の子供たちの未来観は、『高度成長』『公害』『冷戦』の三つに大きな影響を受けました」と、初見さんは分析する。
学習雑誌に「未来予想図」が掲載され始めたのは、戦後の焼け野原から奇跡の復活を果たした50年代。超高層のタワーマンションが立ち並び、自動車が空を飛ぶ、そんな科学の進歩は子供たちに素晴らしい未来を約束する代名詞だった。そして、その流れは高度成長期を迎える60年代に加速する。「驚異的なスピードで未来が目に見えて迫ってくる、50~60年代はそんな異常な成長の時代でした。そこで子供たちに提示される未来予想図も、このまま行けばとんでもない未来が来る、とにかく『すごい!』が大前提でした。今だったら非現実的に思えるものでも、当時はかなりリアリティーを持って受け取られていたのではないでしょうか」と、初見さん。
ところが、70年代に入ると、未来予想図はテイストががらりと変わる。「世界の終わり」「終末」「ディストピア」を扱った作品が目立つようになってくるのだ。初見さんは、とくに1973年を「終末元年」と呼ぶ。この年、いずれも大ベストセラーになった「日本沈没」(小松左京著、講談社)、「ノストラダムスの大予言」(五島勉著、祥伝社)が発刊され、後に映画にもなって大ヒット。「終末」ブームに火がついた。
「ノストラダムスの大予言」シリーズは、当時小学生だった私も、父親が買ってきたのを文字どおり手に汗握って読んだ覚えがある。幼心に、これ以上勉強してもあんまり意味ないのかなあ、人生は今を楽しまなくちゃ損なのかなあ、などと友達と真剣に話していた。
初見さんはこう解説する。「60年代までのモーレツな経済成長は頭打ちになり、一方で『公害』など多くの矛盾が噴き出てきました。未来予想図も『反省モード』になっていき、『冷戦』で核戦争による終末のイメージも色濃く反映されるようになりました。かつて未来に向けられていた子供たちの好奇心は、心霊、超能力などオカルト的なものに向けられていったのです」
コンピューターが非人間的なものの象徴として、人間を選別するなど否定的に描かれている作品が多いのも、当時の特徴だという。
そんなオカルトブームの反動が80年代、未来予想図にいまいちど転換をもたらす。「子供たちは、存在がはっきりしないものを追い求めるのに疲れ、確かに存在する『今』を楽しむのに忙しくなりました。実用的で、すぐに商品化できるようなテクノロジーがあこがれの対象になり、未来予想図からも『すごい!』は薄れ、『便利さ』がクローズアップされるようになったのです」
そして、90年代。「冷戦」と「昭和」の終焉とともに、日本の子供たちはかつてのように「非現実的な未来」を夢見ることはなくなった、と初見さんは考えている。
「平成」を飛び越え、「令和」の子供たちはどんな未来を予想しているのだろうか。「最近、子供たちが描く未来の世界の絵を見る機会がありました。環境に配慮した屋上ガーデン、癒やしにあふれた空間など、どれもすごくエコな印象を受けました。50~60年代の子供たちに比べると、荒唐無稽なばかばかしさはないのですが、未来への好奇心や興味も消極的なものになっているのかな、そんな風にも感じられました」
■大正のオピニオンリーダーが描く「百年後の日本」
驚異的な成長のなかで描かれた昭和の絵を楽しんだところで、今度は、近代化が進んだ大正デモクラシーの自由な空気のなかで描かれた「未来予想図」を見てみよう。
「令和」から、一気に時をさかのぼること1世紀。1920年(大正9年)4月、「日本及日本人」(政教社)という言論雑誌が春季増刊号で「百年後の日本」という特集を組んだ。当時の各界を代表する有識者らに大規模なアンケートをして、100年後の日本の姿、つまり2020年に日本がどんな国になっているかを大胆に予想してもらったのだ。寄稿は350人余りにのぼり、作家の菊池寛や島崎藤村らも名を連ねている。
現在も手に入る『百年後の日本 復刻』(株式会社J&Jコーポレーション)を繰ると、文語体が多くて読みづらいところもあるが、ユニークなタッチの挿絵が盛りだくさんで味わい深い。肝心の予想の方は、100年後の日本の平均寿命について、「医学・衛生学の進歩で80~90歳まで生きる」とずばり言い当てたものがある一方で、「人口は2億5800万人に」「地球と火星との交通」といったトンデモ予想もたくさん出てきて、読み物としても十分に楽しめる。
当時の大正デモクラシーの世相を反映し、女性の普通選挙権、女性代議士の登場など女性の社会進出を予想した人が多かった。そんな中で、詩人・作家の室生犀星(1889~1962)は100年後の女性について、独特の予想を披露している。「すべての女性が食物の進化(主として肉類などから)に従って、非常に美しく繊細(デリケート)な明るい女が増えるだろうと思います。肉体的にいえば、やや小柄に、だんだん西洋化された皮膚の細かい傾きを予感させます」
教育と語学は当時から関心が高いテーマだったようで、多くの識者が独自の説を主張した。「漢字は撤廃されて英語が第2の国語となる」「エスペラント語が小学校の必修科目に」といった現代にも通じる予想もあった。ほかにも、100年後のウナギの蒲焼きについて切々と説く料理人がいるかと思えば、ノーベル文学賞をもらう文豪は13人に達しているはずだと力説する学者もいて、当時の牧歌的な雰囲気が伝わってくる。
一方で、「優生学が盛んになり、社会淘汰が行われて国民の品位は今日よりいっそう高等に」なんていう記述も出てきて、はっとさせられた。この後、日本は軍国主義に突き進み、特集が組まれた25年後に太平洋戦争に敗れることになる。「世界の中で日本のみが現状の幸福を慶賀している」「最も理想的な立憲民主国として世界に範を垂れる」といった楽観論も少なくないが、日本を待ち受ける苦難をすでに冷静に見通していた人々も幾人かいた。
「もし現在の如く、我が軍閥が国論を無視して侵略主義を行う時は、遠からず日米戦争を惹起し、その勝敗いかんによって、日本の百年後の運命が定まることになる。勝てば英国と並ぶ大国となり、いよいよアジアの主人たるを得るけれども、負ければ日清戦争前の小日本に成り下がることになる。しからば、来たるべき戦争において日本に勝算ありや。残念ながら私は結果を危ぶむ」(法学博士・末廣重雄)
「日本はまだ醒めきらないのです。寝床の中でやッと背伸びをしているぐらいです。強者に跪拝し、弱者を陵辱して悦んでいます。ヨーロッパの真似をして威張っています。さァ、百年の後? その間に、一度は崇め奉っているヨーロッパ、アメリカから袋叩きにあいます。そこでほんとうに目を覚ます。覚めなければ叩き殺されて滅亡するばかり。覚めればアジアの解放を完成して、東洋の心臓くらいになれるでしょう」(早稲田大学講師・矢口達)
そして、こんな見方をする人もいた。「我ら子孫の日本人はますます根性がひねこびてずるがしこくなり、小闘紛騒を事として諸外国に侮られ、国威すこぶる振るわざるものとなります。この間に支那は誠に大国としていよいよ発展し、米国と提携して日本をいじめることになるでしょう」(小説家・仲木貞一)
「幸福になるか疑問」というタイトルで、日本の100年後について短く記した作家・菊池寛(1888~1948)の文章が、なぜか胸に響いた。「自分が生きていそうもない百年後のことなどは、考えて見たことがありません。ただしかし、人間がこれから先、だんだん幸福になっていくかどうか、大いに疑問だろうと思います。人類の真の幸福というものは、社会改造論者などの手でヒョイヒョイと生まれるものでしょうか」