朝鮮中央通信などによれば、正恩氏は書簡で、民族教育の重要性などを指摘し、日本の制裁措置の撤回に力を尽くすよう訴えた。北朝鮮の最高指導者が、単なるあいさつではなく、書簡を送ったことから「総連を重視しているのではないか」と分析する声も一部にあったという。
ところが、出席者からは不満の声もあがったようだ。書簡は読み上げに1時間以上もかかるほど長かった半面、在日朝鮮人の服装や一挙手一投足にまで指示を与える内容だったという。関係者の1人は「言われなくてもわかっているような話が延々続いた」と語る。書簡が総連重視の表れとは即断できないという。
この関係者は、ここまで長文の書簡を正恩氏自らが作成することは考えにくいとする。総連を担当する党統一戦線部の担当課が書簡の概要について正恩氏の了解を得たうえで、作成した可能性が高いという。この関係者は「書簡は、総連を指導する部署が最高指導者に仕事ぶりをアピールする手段でもある」と話す。
それにしても、北朝鮮の演説は長い。朝鮮中央通信によれば、金正恩氏は21年1月に開かれた第8回党大会で、計3日間でのべ9時間も演説したという。
最高指導者が、長時間の演説に聴き入らなければならない場合もある。
今年2月15日、金正日総書記の生誕80年を祝う中央報告大会が中朝国境に近い両江道三池淵市で開かれた。朝鮮中央テレビの映像をみると、大会は一面雪景色の屋外で、正恩氏も出席して行われた。時折、雪が舞うなか、李日煥党書記の報告は、少なくとも30分にわたって続いた。中身は金正日総書記がいかに偉大な人物だったのかを強調し、自分たちも後に続かなければいけないというものだった。
報告の間、正恩氏ら出席者は耳当ても手袋もせず、一心不乱に報告に聴き入った。正恩氏が吐く息は白かった。三池淵市の2月の平均気温は氷点下で、最低気温はマイナス20度を下回ることもある。寒さに耐えているのか、への字に結んだ正恩氏の唇は紫色になっていた。幹部以外の出席者は、直立不動で報告に聴き入っていた。
脱北者の1人によれば、北朝鮮で行われる演説や報告は、最高指導者でない限り、感情を込めずに淡々と読みあげるのが習わしだという。報告書の内容が重要であり、そこに個人の感情を差し挟むべきではないという考えがあるそうだ。金永南最高人民会議常任委員長が「淡々と読み上げる」名手として、しばしば報告者に指名されたという。
長くて聞き飽きた文章を淡々と読み上げられたら、聞いている方の集中力はどうしても続かなくなる。
金日成主席のフランス語通訳を務めた韓国国家安保戦略研究院の高英煥元副院長は北朝鮮外務省に勤務した時代、金正日総書記が同省に宛てた書簡の読み上げに立ち会ったことがある。高氏は「読み上げに1時間以上もかかった。内容の大半は、いつも聞かされている内容。眠くて仕方がなかったが、必死に耐えた」と話す。
別の脱北者は、眠くなった場合、必死にメモを走らせるか、演説の合間に行う拍手で思い切り両手をたたいて、目を覚ましたという。脱北した元党幹部の1人は、北朝鮮の演説が長い理由について「党の正当性や過去の経緯など、盛り込むべきことを省略できないからだ」と語る。
そういえば、中国もキューバも演説が長いことで有名だ。
2017年10月の中国共産党第19回党大会では、習近平総書記(国家主席)が休憩なしで、3時間半近くに及ぶ政治報告を行った。一心不乱にメモを取る北朝鮮とは異なり、中国の大会参加者のなかには、中座する人の姿もあった。習氏の隣の席に座った江沢民元総書記は報告中に大きなあくびをしたり、何度も腕時計に目を落としたりしていた。
キューバのカストロ国家評議会議長は1960年9月、ニューヨークで行われた国連総会で、4時間29分もの演説を行った。カストロ議長はキューバ国内での政治報告では、10時間もの演説を行ったこともあると言われている。
東京大学東洋文化研究所の松田康博教授は、共産主義陣営の政権党が長時間の演説にこだわる背景について「理論政党だからです。マルクスレーニン主義に基づく自らの正しさを常に主張し続けることの方が、人気をとることより重要なのです。だから不人気な演説でも滔々とやり続けるのです」と語る。
確かに、中国や北朝鮮などの政権党は、民主的な選挙を経ていないため、権力の正当性の説明に苦労している。北朝鮮の場合、祖国を日本から解放した金日成主席の血筋である「白頭山血統」を政治指導者としていることを、正当性の理由にしている。このため、必要以上に演説や書簡などで、権力の正当性を証明する必要があるわけだ。
金正恩氏にしてみれば、氷点下の屋外で30分くらい我慢することなど、民主的な選挙を無視する対価だと思えば、何でもないことかもしれない。