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カストロはつぶやいた。「チェ・ゲバラは早く死んで幸せだった」

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カストロ氏との出会いは2000年8月です。当時の森喜朗首相から「キューバに行くなら親書を持っていったらどうか」と言われ、キューバの閣僚に手渡しました。その日の夜中、ホテルで寝ていたところ、たたき起こされました。明朝5時に起きるようにと言われ、首都ハバナから西へ車で約3時間のピナール・デル・リオへ。同市の記念行事で演説するカストロ氏と会ったのが最初でした。


演説が終わり、近くのゲストハウスで面会したカストロ氏は開口一番、「外は暑かっただろう。ネクタイを外し、上着も脱ぎなさい。お酒は好きですか」といいました。私が「大好きです」と応じると、ロンというラム酒を持ってこさせました。乾杯しようとしたら「ちょっと待って」と自分が先に口をつけ、味を確かめ「これなら大丈夫」というしぐさを見せて乾杯。私が一気に飲み干すと、カストロ氏は2杯目を差し出してきました。

さらに「私はあなたに謝らなければいけない」と切り出しました。「あなたは地球の反対側まで来てくれ、我が国の言葉で歌ってくれる。売り上げも寄付してくれている。それなのに我が国には日本の言葉を話せる人間が少ない。これではいけない。これからはもっと文化面で協力していきたい」と。

森首相の親書の大半が私についての紹介で、最後の数行だけ「日本とキューバの友好関係を築いていきたい」と記されていたそうで、「あなたは首相と親しいんですね」と言われました。会う前までは強面の革命家というイメージでしたが、気配りをする優しい人、というのが私の第一印象です。

カストロ氏は「あなたは伊東さんでしょ。なんでアントニオ古賀というの?」と聞くので、「日本の有名な作曲家、古賀政男先生が名付け親で、古賀先生はアルゼンチンのギター奏者アントニオ・シノッポリから手ほどきを受けました。私が18歳でデビューするときに古賀先生から名前をつけてもらったんです」と言うと、「私もニックネームをつけてあげよう」と言い、ラム酒のロンから「アントニオ・ロン・古賀」とつけてくれました。「飲んべえ古賀」という意味です(笑)。

盟友チェ・ゲバラの話も出ました。「彼らは早く死んで幸せだった」「私はこの年になるまでずっと政治をしてきた。長生きをしてしまったから、まだまだやらなければいけないのだ」と言っていました。革命をともに闘ってきた盟友が亡くなり、孤独を感じているようでした。

キューバ市内にはチェ・ゲバラの肖像や写真が飾られていますが、カストロ氏の写真は一切ありません。自らの個人崇拝を避けていたようです。

キューバには毎年訪問し、20年間で24回行っています。1995年から、日本ラテンアメリカ音楽協会の理事長(現会長)として、中南米の貧しい子供たちに毎年、楽器や文房具を贈る活動をしており、キューバには97~2002年にピアノ100台を、03~04年にギター100台をそれぞれ贈りました。自分の結婚式もキューバで挙げ、披露宴ではアメリカ人とキューバ人で構成されるバンド「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のオマーラ・ポルトゥオンドが歌ってくれました。キューバは音楽と音楽家を非常に大事にする国。私は音楽家ではなく「VIP(要人)」の扱いでした。

06年、カストロ氏の80歳の誕生日会にキューバに招かれました。ギターをプレゼントする約束をしていたのですが、カストロ氏が倒れたため、誕生日会は中止に。ただ国民は祝うため、駐日キューバ大使に頼まれ、演奏しに行きました。

カストロ氏もテレビで見ていると聞いていたので、ステージで「約束のギターを持ってきた。ギターだけでなく、日本人の心も持ってきたよ」と呼びかけ、「さくらさくら」を弾きました。それまでサルサを踊っていた観衆もピタッと静まりかえりましたね。演奏後、カストロ氏の家族から「テレビでずっと演奏を聞いていた」と言っていただきました。後で聞いたのですが、誕生日会に招かれた理由は「今まで会った中で印象に残った人」でした。私が音楽家で気安さがあったのかもしれませんが、うれしかったですね。

キューバは90年代初めに訪れたとき、本当に貧しかったです。キューバの国立劇場で演奏するとき、電球とトイレットペーパーを持ってきてと言われました。催しがあると観衆がみんな会場の備品を持って帰ってしまうんですよ。

カストロ氏は私に「我が国は発展は遅いけど、確実に良くなっている。昨年は小学校にパソコンを導入した。今年は中学校に、来年は高校に入れる。旧ソ連のような急激な変化は良くない」とも語っていました。教育と医療分野の政策は熱心に取り組んでいましたが、晩年は経済政策については間違っていた、と認めていたようです。

カストロ氏がかわいがっていた四男のアントニオ氏は、武士道が好きで、乃木神社で神式の結婚式を挙げたほどの親日家です。後継は弟ラウル氏ですが、こうした日本文化や伝統への良いイメージが国と国との関係に良い影響をもたらして欲しいと願っています。