北緯35度40分に位置する日本・東京。
東京・虎ノ門にある海洋政策研究財団の寺島紘士常務理事は6月初め、スウェーデン南部のマルメで開かれた気候変動に関する国際会議に参加した。肌で感じたのは、北極に対する国際的な関心の高まりである。
会場から、「オー」「そんなに多いのか」という驚きの声が漏れた。「昨夏、グリーンランド沖やノルウェーの北極圏を航海した船舶は150隻以上にのぼる」と発表されたときのことだ。
語り手は、米北極研究委員会アラスカ事務所長のローソン・ブリガム博士。「北極の未来を考える――2040年に向けたシナリオ」の論文で、乱開発や領有権争いなどにともなう危機を指摘した北極研究の第一人者だ。
博士は続けた。「タンカーや客船の事故を防ぐためにも、北極海での通信・航海技術を高めなければならない。しかし、各国間の統一された管理の枠組みができていない」
世界中から集まった気象や環境などの専門家たちは、「もう、『みんなで気をつけましょう』ではだめ。罰則のある義務的な規則を設けなければ」と口々に主張した。でも、誰が、どうやって決めるのか。
ブリガム博士は「北極評議会が主導できる」と言う。
北極評議会(Arctic Council)は、北極圏の環境保護や安定した経済発展などについて政府レベルで話し合う場として1996年に設立された。メンバー国はカナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国の8カ国。北極圏に領土を持たない国や非政府組織(NGO)などからのオブザーバー参加も認められている。法的な拘束力はないが、航路の安全性や環境問題などで実質的なルールづくりにもかかわっており、その役割に期待する声も高まっている。
「中国だってオブザーバーで参加している。日本はなぜ、北極評議会に参加しないのか」。寺島常務理事は首をかしげる。北極での航行の安全確保や環境保護といったルールづくりに参加することは、日本の利益にもなるはずだ、と思うからだ。
中国が北極評議会に参加するのは、欧州との距離が縮まる北極航路に関心があるためとみられる。
今年に入って、韓国も手を挙げた。評議会の議論に参加することで、国内の海運、造船産業の振興にも役立つという考えからだ。サムスン重工業がロシアから7万トン級の極地運航用タンカーを受注するなど、韓国は豊かな資源が眠っている北極圏をにらむ。
「水産資源、海上交通、海洋環境、鉱物資源。北極を『海』としてとらえるべきだ。日本は海洋国家なのだから、もっと北極のルールづくりに関心をもっていい」と寺島常務理事は強調する。周囲を海に囲まれた日本は、排他的経済水域(EEZ)の面積で世界6位、海水の体積でみると世界4位なのだ。
9月、外務省国際法局の鶴岡公二局長に、評議会に参加しない理由を尋ねてみた。「それなりの予算がなければできない。外交の優先度の問題だ」という答えが返ってきた。
鶴岡局長の説明はこうだ。
北極圏では、国連海洋法条約を中心とした枠組みは守られており、周辺国で武力紛争にまで発展する可能性は極めて低い。日本が不利益を被る状況にもない。
日本が抱える外交課題は多く、参加している多国間協議も多い。予算や人員の制約があり、何かを新たに始めようと思うと、どこかを削らなければならない。
「北極の重要性は増しているし、情報収集はしている。ただ、今の段階では、北極評議会に人を送り込むところまで機は熟していないと思う」
別の外務省幹部は、「民間に需要がない」と表現する。海運業界から北極海を通過する航行の安全対策などについて今後強い要望があれば、対応していくという。
3万人の国務省職員が世界に散って情報収集する米国。アフリカの48カ国に大使館を置く中国に対し、日本は27カ国にとどまる。「百年の計」を考えて将来に備えるのが、あるべき外交戦略なのだろうが、短期的な費用対効果が問われがちな日本では難しい。世論もそれを支持するとは限らない。
日本からみると、北極はまだまだ遠い、氷の世界だ。